2. 狂犬病の歴史

  「イヌが市民を咬み,咬まれた市民が狂犬病で死亡したときには,そのイヌの飼い主は40シェケルの銀を支払い,奴隷を咬んで奴隷が死んだときは15シェケルの銀を支払うべし」。これはイラクのバグダッド近郊で発掘された紀元前2300年の法律(エシュンナ法典)に記されている条文である。この条文から,狂犬病のイヌに咬まれた人間はやがて狂い死ぬという因果関係は,さらにその昔から知られており,狂犬病による被害も少なくなかったと推測できる。現在では,狂犬病は代表的な人獣共通感染症として知られているが,ヒトの狂犬病がいつ頃からあったのかということは明らかではない。狂犬病は本来,肉食獣の間で地域的に流行していた病気であると考えられる。したがって,古代人が狩猟中に狂犬病の野獣に咬まれて狂犬病になった可能性は否定できない。しかし,狂犬病が人間社会で問題となり始めたのは,人間が家畜としてイヌを利用し,共に生活し始めた後のことであると推測される。人間がイヌを家畜にしたのは3万年も前のことであるといわれている。3万年前にヒトの狂犬病があったか否かは当時の記録がないので,まったく知ることはできない。
  イヌの狂犬病を初めて科学的に記録したのは,紀元前450年頃のギリシャのデモクリトス(BC. 460〜370)であると考えられている。同じくギリシャのアリストテレス(BC. 384〜322)も『動物誌』第8巻の第22章で,イヌの狂犬病について「イヌは3種類の病気にかかる。このうち,狂犬病は狂気を起こし,咬まれた動物は,ヒト以外は,みな狂気になる」(島崎三郎訳,岩波書店)と記述している。ギリシャ時代には人間の狂犬病(恐水病)では狂気よりも恐水発作が注目されていたらしい。ヒポクラテス(BC. 460〜377)は,水を飲めなくなり,少しの音でけいれんを起こすという人間の病気を記載しているが,これは狂犬病(恐水病)のことであると考えられている。ローマ時代の著述家であるルキアンは狂犬病のイヌに咬まれるだけでなく,狂犬病の人間に咬まれても狂犬病になると書いているという。実際に狂犬病患者が医師や看護婦に咬みつくことはあるので,狂犬病患者に咬まれて狂犬病になったローマ人もいたのかもしれない。
  中世までは人間社会で狂犬病は散発的にみられただけであり,狂犬病の発生が明らかな流行の形をとり始めたのは13世紀以後のヨーロッパにおいてであった。1271年にはフランコニアで狂犬病のオオカミが村落を襲い,30人以上の住人が咬まれ,その後狂犬病になって死亡したという記録が残されている。1500年代にはスペインでイヌの狂犬病が流行し,1586年までにはイヌの狂犬病はフランドル,オーストリア,ハンガリー,トルコなどでもみられた。
  1700年代に入るとイヌの狂犬病はヨーロッパ大陸の各地でみられ,特にフランスに多く発生したが,これらの地域ではキツネ,オオカミの間でも狂犬病が流行していた。1734〜35年にはイギリスでイヌの狂犬病が流行した。さらに1759〜60年にも狂犬病の大流行が発生したため,当局は飼いイヌの係留を命じ,懸賞金を出して野良イヌを殺した。1750年には米国南部でイヌの狂犬病が初めて観察され,1768年にはボストンをはじめ米国北部の諸都市でもイヌの狂犬病が流行した。1783〜84年狂犬病の流行はジャマイカ,ハイチに達し,多数の家畜および住民が犠牲になった。
  19世紀に入るとヨーロッパの狂犬病はさらに流行を拡大し,特にフランス,イギリス,ドイツで著しかった。1803〜35年にはフランスのジュラ山脈付近でキツネの間に狂犬病が大流行して,ふもとの村落では多数の住人と家畜が咬まれた。またロンドンとその近郊では1807〜23年にヒトの狂犬病が多数発生した。1813年,ウクライナ地方でも狂犬病の発生がまれでなくなったが,これにはナポレオンがロシア遠征(1812年)に連れて行ったイヌが関係しているとされている。1824年には狂犬病の流行はスウェーデンにまで及び,イヌ,ネコ,キツネ,オオカミ,シカなどの間に広まった。19世紀にはカナダでも狂犬病が蔓延していたらしく,1819年にカナダ総督府長官がオタワ付近で捕獲したキツネに咬まれたのち狂犬病で死亡したという記録が残されている。1830年代に米国の大草原地帯でスカンクの狂犬病が報告され,1850年代にはカリフォルニアでもスカンクの狂犬病が認められた。1803年にはペルーに初めて狂犬病が発生し,獣間流行の形で北から南へと拡大していった。1808年までに流行は収まったものの,その後も野生動物の間に散発的な発生がみられた。1806年にはアルゼンチンに狂犬病が発生したが,これは英国軍人の猟犬が持ち込んだものだといわれている。アルゼンチンではその後,散発的に狂犬病が発生し続けている。