◎謝 辞
受賞者代表 岩崎 徹郎


  本日,厚生省並びに社団法人日本獣医師会主催のもとに行われました狂犬病予防法施行50周年記念式典におきまして受賞いたしました一同を代表し,僭越ではございますが,一言お礼の言葉を申し上げます.私ども一同は,狂犬病予防業務の推進に係る功績により,厚生大臣殿,社団法人日本獣医師会会長殿から栄えある表彰を受け,身に余る光栄とするところであります.ただいま,厚生大臣殿並びに来賓各位のお言葉にもありましたように,我が国では,狂犬病は昭和32年以来発生を見ず,狂犬病の清浄国として輝かしい地位を確保している訳でありますが,狂犬病予防の推進に私共の力がいささかなりともお役にたっておりますことは大きな喜びとするところであります.本日の受賞を機といたしまして,一層精進し,微力ではございますが,今後,更に,業務の推進に励む所存でございますので,一層のご指導,ご鞭撻をお願い申し上げ,簡単ではございますが,お礼の言葉といたします.


<特 別 講 演>

世界における狂犬病の発生状況と日本が取るべき対策

高山 直秀(東京都立駒込病院小児科)


1.狂犬病の特徴
狂犬病は狂犬病ウイルスの感染によって引き起こされる,代表的な人獣共通感染症であり,下記のような特徴を有する.狂犬病ウイルスが致死的な脳炎を引き起こすため発病すればほぼ100%死亡する(臨床的特徴),侵入門戸付近で増殖した狂犬病ウイルスが神経を上行して中枢神経系に達してはじめて症状が出るので潜伏期が通常1〜3カ月と長い(発病病理的特徴),ほとんどすべての哺乳動物が罹患するが,地域によってウイルス保有宿主が異なり,狂犬病流行の型は都市型と森林型に区分できる(疫学的特徴)などである.通常,ヒトは狂犬病の動物に咬まれて狂犬病ウイルスに感染する.特殊な感染経路として,狂犬病死した動物の皮をWいで感染した症例,コウモリが群生する洞窟内でエアロゾルを介して経気道感染した例,角膜移植によるヒトからヒトへの感染例なども報告されている.1)狂犬病の症状ヒト狂犬病の経過は,潜伏期,前駆期,急性神経症状期,昏睡期に分けられる.
 潜伏期は,咬傷を受けた部位,咬傷の程度,衣服の上から咬まれたか素肌を咬まれたか,ただちに傷を洗浄したか否か,その他不明の要因によって左右され,15日程度から1年以上とばらつきが大きい.患者の約60%では潜伏期が1〜3カ月であり,1年以上の潜伏期が7〜8%の患者で記録され,最長例は7年前にラオスで受けたイヌ咬傷が原因で発病した米国への移民少女である.
 前駆期は2〜10日間で,発熱や食欲不振など非特異的症状に加えて,すでに治癒した咬傷部位が再びチクチク痛んだり,咬傷周囲の知覚過敏,かゆみなどが現れる.知覚過敏や疼痛は求心性に範囲が広がり,咬傷を受けた上下肢のけいれんも起こる.
  急性神経症状期は2〜7日間続く.患者は間欠的に強い不安感に襲われ,精神的動揺を示すが,それ以外のときは意識清明で医療職員にも協力的である.患者の約半数に咽頭喉頭筋群のけいれんに起因する嚥下障害が起こる.このけいれんには強い痛みを伴うため,患者は発作の原因となる飲水を避けるようになる(恐水症).また喉頭のけいれんは顔面に冷たい風が当たっても誘発されるため,患者は風を避ける(恐風症).さらに進行すると,高熱,幻覚,錯乱,麻痺,協同運動失調などがみられ,ときには意味不明の叫びやイヌの遠吠えにも似た叫び声をあげることもある.やがて全身けいれんなどが現れ,ついで昏睡に陥る.
  昏睡期に入ると,低血圧,不整脈,呼吸不全などが起こり,やがて呼吸停止,心停止して死亡する(狂躁型).一方,恐水発作や恐風症を示さず,麻痺が主な症状となる狂犬病(麻痺型)も患者の20%程度あるとされている.麻痺型狂犬病はポリオと誤診されることもある.狂犬病の予後はきわめて不良であり,ほぼ100%死亡する.現在まで回復例は3例報告されているが,うち1例は以前に狂犬病ワクチン接種を受けた研究者であったので,厳密な意味での回復例は米国での6歳男児とアルゼンチンでの45歳女性の2例のみである.

2)診断および検査法
 狂犬病常在地でイヌなどの狂犬病危険動物に咬まれた既往歴があり,恐水症や恐風症のような典型的な症状があれば,臨床的に狂犬病と診断することは可能である.しかし,咬傷既往歴は不明であることが少なくないうえ,狂犬病の臨床経験を有する医師がゼロに等しい日本では臨床的に狂犬病と診断することは不可能に近いであろう.
  狂犬病の確定診断は,唾液や髄液,脳組織からの狂犬病ウイルス分離,組織でのウイルス抗原の証明などのウイルス学的手段による.また上記の検体から,逆転写ポリメラーゼ連鎖反応(RThPCR)によって,分子生物学的に狂犬病ウイルスの遺伝子を証明することも可能である.蛍光抗体法による狂犬病ウイルス抗原の証明は,脳組織ばかりでなく,皮膚生検標本(項部の頭髪の生え際),角膜印圧標本でも行える.抗狂犬病ウイルス抗体は末期になれば血液や髄液中に検出できるが,病初期には抗体産生がみられないので,抗体検査は早期診断には役立たない.
 生前に狂犬病との診断が確定できても,患者の予後には何ら変化がない.しかし,早期に診断できれば,患者を厳重に隔離することによって,狂犬病ウイルスに曝露され,狂犬病発病の危険に曝される医療職員や家族,友人などの数を減らすことができる.

3)治療法
 狂犬病は発病予防は可能であっても,治癒させえない疾患である.発病してしまった狂犬病に対する特異的な治療法はない.1980年代にインターフェロンが治療に応用されたことがあるが,無効であった.したがって,生前に狂犬病と診断が確定できたときは,患者は近日中に必ず死亡する運命にあるので,患者本人や家族へのカウンセリングなど精神面での支援が不可欠になる.
  狂犬病死を免れる唯一の方法は,狂犬病危険動物に咬まれたあと,ただちに狂犬病曝露後発病予防を受けることである.これは,狂犬病の潜伏期が長いことを利用して,受傷後ワクチン接種により狂犬病に対する免疫を獲得させようとする方法であるが,ワクチンの改良は行われたものの,1885年にパストゥールが始めて以来根本的な変更はなされていない.
  パストゥールの狂犬病ワクチンは,弱毒株(固定毒)を感染させたウサギの脊髄を材料にした,生ワクチンか不活化ワクチンか判然としないもので,ワクチン株による死亡例もあった.1911年に動物の脳で増殖させた弱毒株を石炭酸で完全に不活化したワクチン(センプル型ワクチン)が作られ,広く用いられるようになった.このワクチンには神経組織成分が多量に含まれていたため,麻痺などの副反応が発現し,死亡する例もあった.ワクチンのミエリン含量を減らすため,1955年に乳のみマウスワクチンが,1956年にはアヒル胎児ワクチンが開発されたが,やはり神経系の副反応が発生した.1958年に狂犬病ウイルスを培養細胞で増殖させることに成功したため,神経組織成分をまったく含まないワクチンの開発が可能となった.1970年代から組織培養狂犬病ワクチンの開発が進み,現在ヒト2倍体細胞,ニワトリ胚細胞,ベロ細胞などを利用して製造したワクチンが多くの地域で使用されている.これら組織培養ワクチンによる副反応は,接種部位の発赤のほか目立ったものはない.日本では1980年からニワトリ胚細胞ワクチンが市販されている.