ストレス説

Garm[22]により卵巣嚢腫牛の副腎は腫大していることが1949年に報告されて以来,ストレスが卵巣嚢腫の一因である可能性が考えられてきた.Liptrapら[39]は正常牛に副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)を投与することにより卵胞嚢腫を誘起できることを報告した.著者ら[33]はこのACTHの投与により誘起された卵胞嚢腫の発生過程において性腺刺激ホルモンおよび性ステロイドホルモン濃度の動態について検討した結果 ,嚢腫の発生過程には正常牛でみられる排卵前のLHおよびFSHのサージの消失することを明らかにした(図3).またLHおよびFSHのサージ消失の前には副腎由来のプロジェステロンおよびコルチゾールの増加および卵巣由来のエストロジェンの減少が観察された.さらに副腎からのホルモン分泌増加が視床下部―下垂体―卵巣系の機能を抑制する機構について解明するため,invitroの実験系を用いて検討し,高濃度のプロジェステロンは視床下部からのGnRH放出を抑制することならびに高濃度のコルチゾールは卵胞顆粒層細胞のLHレセプターを減少させ,エストロジェンの分泌を抑制することを明らかにした[31, 32].これらの結果から,ACTH投与による卵胞嚢腫の発生過程には,副腎からのプロジェステロン分泌増加が視床下部からのGnRH放出を抑制し,一方,コルチゾールの増加は卵胞のLHレセプターおよびエストロジェン分泌を減少させ,その結果 LHおよびFSHのサージが消失し,卵胞が排卵せずに嚢腫化するという一連の可能性が考えられた(図4). また前述したように,緬羊ではエンドトキシンの全身性投与によって,視床下部からのCRH放出が増加し,これに時間的に呼応してGnRHの放出が減少していることから[4],CRHが視床下部内でGnRH放出を抑制する機構も存在する可能性が示唆されている.

図3 副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)投与によって誘起した牛の卵胞{腫の発生過程における血漿中LH,FSH,コルチゾール,プロジェステロンおよびエストラジオールh17β濃度の変化

図4 ストレスによる牛の卵胞{腫の発生機構の想定図R:レセプター

 

おわりに―卵巣嚢腫の防除


と治療に向けて― 牛の卵巣嚢腫が初めて世に報告されてから170年が経過した今でもその発生原因と機構についてはなぞが多く,現場ではその原因を特定できないままホルモン治療を実施することが多い.卵巣嚢腫を防除するには,その原因を特定する簡便な方法を開発することが最も重要であろう.たとえば,将来,遺伝的傾向のある卵巣嚢腫牛の遺伝子異常を特定できれば,遺伝子診断を実施し,異常牛を淘汰してその発生を減らすことも可能になるであろう.また飼料の問題に起因する嚢腫の場合,血液中の微量 成分の低下やエストロジェン様物質の検出を迅速に検査できる方法の開発が望まれる.さらに家畜のストレスを客観的に評価できる手法を開発して,ストレス要因を排除することで,それに起因する嚢腫を防除できる可能性などがあげられよう. 現在牛の卵巣嚢腫の治療法としては,GnRHもしくはヒト絨毛性性腺刺激ホルモン(hCG)の投与により卵巣に黄体を形成させる方法[37]や,プロジェステロン放出腟内挿入製剤を一定期間留置する方法[9]などが主として実施されている.この治癒機構としては黄体期レベルのプロジェステロンが性中枢に作用して性腺刺激ホルモンの分泌を適正化し,黄体退行後に正常な発情周期が営まれることを期待するものである.しかし,それらのホルモン剤治療を実施しても嚢腫が再発する例もあり[35, 42],血中のプロジェステロン濃度を一定期間増加させる治療法だけですべての嚢腫牛を治癒させることは不可能と思われる.黄体を形成させるホルモンやプロジェステロン以外の薬剤で視床下部―下垂体系の機能回復を図る方法や,LHサージに対する感受性もしくはLHレセプター量 の低下[28, 29, 31, 34]などの卵胞機能の異常を修復する治療法の開発も必要と考えられる. 本稿の執筆にあたりご助言をいただき,またご校閲いただいた大阪府立大学大学院農学生命科学研究科獣医臨床繁殖学講座の澤田 勉教授に深謝する.
牛の卵巣嚢腫は分娩後の早期(分娩後16〜45日)に多発することが報告されている[18].Cookら[13, 14]は非妊娠牛に,妊娠末期の血中濃度に匹敵する量のエストラジオールh17βとプロジェステロンを7日間投与したところ,その終了時から約1カ月後に半数の牛に卵胞嚢腫が発生することを報告し,その嚢腫発生過程ではLHサージは消失しており,さらに卵胞発育時のLHパルスの頻度と振幅は,正常に排卵した牛に比較して,高くなっていることを示した.これらの結果 から,分娩後早期に発生する卵巣嚢腫牛の一部のものは妊娠末期の高濃度の性ステロイドホルモンに起因している可能性があり,その場合LHの基底値の上昇によりLHサージが消失して嚢腫化する機構が推察される.しかし,LHの基底値の上昇がLHサージを消失させるか否かについては不明であり,今後の検討を要する. 卵巣嚢腫牛のうち子宮の感染症を併発しているものがみられることは古くから指摘されていたが,その因果 関係についてはしばらく明らかにされていなかった.Bosuら[8]は分娩後早期にグラム陰性菌(主として大腸菌)による子宮感染症の牛において,血中コルチゾールおよびPGFM(プロスタグランジンの代謝産物)の増加が起こり,その後卵胞嚢腫が発生し,この嚢腫の発生前にはLHサージはみられないことを報告した.さらに彼らは正常な卵胞期の牛の子宮内に大腸菌エンドトキシンを注入すると卵胞嚢腫を誘起できること,ならびにその発生過程においてコルチゾールの増加に続くLHサージは消失したことを確認した[44].これらの結果 は子宮内微生物由来のエンドトキシンもしくはその媒介物質(PGなど)が副腎を刺激してコルチゾールの分泌を増加させ,その結果 LHサージが消失したことを示唆している.さらに緬羊にエンドトキシンを全身性に投与すると視床下部からの副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン(CRH)とアルギニンバソプレッシンの放出が増加し,これに時間的に呼応してGnRHとLH放出の減少が観察されたことから,エンドトキシンは中枢のストレス軸を活性化して,視床下部内でGnRH放出を抑制する機構が想定される[4].

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