わが国における動物のボルナ病

谷 山 弘 行

酪農学園大学獣医学部
(〒069-8501 江別市文京台緑町582)

Borna Disease of Animals in Japan
Hiroyuki TANIYAMA
School of Veterinary Medicine, Rakuno Gakuen University, 582
Bunkyodai-midorimachi, Ebetsu, Hokkaido 069-8501, Japan

は じ め に

 ボルナ病(borna disease:BD)は,馬に伝染性の進行性非化膿性脳脊髄炎を引き起こすウイルス性疾患である.本病の発生は古く,最も古い記録は1813年にさかのぼる.当時この致死性脳炎は「hitzige Kopfkrankheit der Pferde」,「Gehirnentzundung der Pferde」あるいは「Nervenkrankheit der Pferde」と呼ばれた.BDの名はドイツ南東ボルナ地方ではじめて発生したので,その地名にちなんで命名された.病原体であるボルナ病ウイルス(BDV)は馬のほかに羊にも自然感染する.1900年代に入って,兎やラットをはじめとする実験動物への感染実験が試みられた.それ以来実験動物をモデルにした BD の病態解析が続けられ現在にいたっている[9, 10, 18].一方,馬および羊の自然発生例がドイツ,スイス,オーストリアなどヨーロッパの一部で報告されていたが[16, 30, 33],ごく最近になって猫(スウェーデン[19],日本[24]),牛(ドイツ[6]),犬(スイス[32]),ダチョウ(イスラエル[20])にBDの発生が報告された.さらに,健康な馬,羊,牛,猫およびダチョウの血液ならびに脳脊髄液中に抗BDV抗体が存在するいわゆるBDV不顕性感染動物の存在が,多くの国で報告されるようになった[1, 12, 14, 21].1985年,ドイツのRottら[26]は精神分裂症患者の脳脊髄液中に抗BDV抗体が存在することを報告し,ヒトに対して病原性を有する可能性をはじめて指摘した.その後の血清疫学的調査で,健常人に比べて精神病患者では有意に高い値を示すことが明らかにされ,今や人獣共通 伝染病として注目を集めている[3, 9, 10, 23].
  わが国においても,BDV抗体陽性の馬が多数存在することは明らかにされていたが[12, 21],BDの発生はこれまで報告されていない.しかし,Hagiwaraら[11]は,ウマヘルペスウイルス1(EHVh1)感染による麻痺を示した妊馬の脳組織中にBDV抗原とゲノムを証明し,EHVh1との重複感染を明らかにした.さらに,その胎子の脳組織にもBDV抗原とゲノムを証明し,BDV の垂直伝播(経胎盤感染)の可能性を指摘している.本稿ではBDに関する最近の知見と,1999年にわが国で初めて発見された馬のBD 2例の中枢神経系の病理組織像と本病のウイルス学的診断法について解説する.

病  原  体


 
BDVは,非分節(nonsegment)のマイナス鎖,一本鎖のRNA(NNShRNA)をゲノムとする被膜(エンベロープ)を持つウイルスであり,約9kbサイズの向神経性ウイルスである.本ウイルスは,感染細胞の核内で複製され,またRNAスプライシング機構を有するなど,他のNNShRNAウイルスとは異なる特徴を持つ.BDV はその遺伝子構造からラブドウイルス科に近い未分類のウイルスとされてきたが,馬由来のBDVの全塩基配列が決定され[5, 7],核内複製を行うなどの特徴から,新たにボルナウイルス科(Family Bornaviridae)が設けられた[27].BDVゲノムは5個の蛋白(ORFhI〜V)をコードしていると考えられている.ORFhIはp40,ORFhIIはp24と呼ばれ,それぞれヌクレオプロテインとリン酸化蛋白(ポリメラーゼコファクターと推定)とされている.ORFhIIIはウイルス中和エピトープを持つ糖蛋白である.ORFhIVはウイルス吸着・侵入に重要な94kDaのエンベロープ蛋白である.ORFhVはNNShRNAウイルスのポリメラーゼとの相同性が高いとされている.
  感染と広がり:自然感染例では,ウイルスの侵入門戸は嗅球の神経上皮と考えられている.感染馬は初期に同部位 に強い炎症を起こす.実験的に経鼻感染させたラットでは,接種後4日に嗅球の神経上皮細胞にウイルス抗原が検出される.同時にウイルスは感染の早い時期から神経細胞の軸索に沿って広がり,さらにシナプスを越えて次の神経細胞へと広がる.このほか,実験的に眼球内に接種した場合には視神経を,四肢の神経組織に接種した場合には脊髄の上行線維を伝って上位 中枢へ広がるとされている[9, 28].

馬および羊のBD

 臨床症状:馬や羊の自然発生例は臨床的に急性型と慢性型(不顕性型)に分けられる[9, 10, 16, 32].急性型は数週間の潜伏期を経て,知覚過敏あるいは麻痺,興奮,筋肉の震えなどの神経症状を示し,やがて運動失調や全身麻痺に陥り,しばしば死に至る.近年,ヨーロッパにおける急性型の発生例は少ない.実験感染馬においては,接種後,少なくとも4週間後には症状が現れる.初期症状は特異的ではなく,発熱(38.5℃),食欲不振,黄疸,嚥下障害,便秘,疝痛などが観察される.罹患馬は興奮したりあるいは動きが鈍くなる.髄膜炎あるいは脳脊髄炎を引き起こす急性型では,強度の沈うつ,運動失調,予期せぬ 転倒,旋回運動,障害物への突進などが認められる.リンパ球性網膜炎や視神経の炎症による視力障害がみられることもある.ほぼ全例に運動麻痺の症状が認められる.臨床経過はほとんどの場合1〜3週間,まれに1〜6日間あるいは3週間以上に及ぶことがある.致死率は80〜100%に及ぶ.羊では50%もしくはそれ以上とされている.
 病理解剖学的所見:剖検時BD罹患馬の脳には,まれに軽度の充血・水腫,灰白質の退色および点状出血巣が認められるほかは,肉眼的変化は認められないことが多い.また,脳以外の臓器や組織には特徴的所見は見いだされていない.
  脳の病理組織学的所見:病理組織学的検査において非化膿性脳炎像が認められる[10, 28].すなわち,リンパ球を主体とする単核細胞(少数の形質細胞や単球を含む)が血管周囲性(おもに静脈系)に浸潤する囲管性細胞浸潤,神経細胞の変性,ミクログリア(microglia)の反応から成る病変である.囲管性細胞浸潤は細胞層が厚く,血管周囲の実質へと広がる.実質へ広がった単球は腫大し,脂肪顆粒細胞に変化することもある.ミクログリアは変性した神経細胞の周囲に集簇し,神経食現象(neuronophagia)の像を呈する.これらの病変はおもに灰白質に認められるが,罹患領域に関連する神経路に沿って病変が形成されることもある.ヨーストhデーゲン小体(Joest-Degen inclusion bodies)と呼ばれる好塩基性封入体が神経細胞の核内に認められるが,必発所見ではない.臨床経過が長引いた症例では,炎症性病変はおもに大脳辺縁系と間脳および中脳の脳室周辺に及ぶが,脳幹部と小脳はまれとされている.
  抗BDV抗体の検出:罹患馬の血液あるいは脊髄液中に産生された抗BDV抗体を検出する方法がある.上記のウイルス性蛋白質を抗原にしてウエスタンブロッテング法(抗原抗体反応を膜上で行う免疫化学的検出法)で検出する.一般 には,p40(ORFhI)とp24(ORFhII)を精製したウイルス蛋白を抗原として膜上に吸着させ,これに検体を反応させて血液あるいは脳脊髄液中のBDV抗体の有無と力価を測定する.
  BDV抗原の検出:1968年,Wagnerら[31]によって馬の脳組織内におけるBDV抗原が免疫組織化学的にはじめて証明された.その後,多クローンおよび単クローン抗体を使用した検索によって,ウイルス抗原が核内,核周囲および細胞質突起に分布することが明らかになった.核のみ陽性を示す神経細胞と細胞質のみ陽性を示す細胞が混在して認められることもある.核内のウイルス抗原は,1〜8μ mの封入体が1〜6個集合した円形ないし卵円形の集合体として捉えられ,その周囲には薄いハロー(明帯)を持つ.この集合体がヨーストhデーゲン小体に一致するものと考えられている.これらの小体は海馬の錐体細胞や脳幹の巨大神経細胞に最も頻繁に観察されるが,核小体においては陽性所見は得られない.感染神経細胞の細胞質は常にび漫性に染色される.神経突起がよく染色されている場合には,神経細胞の樹状突起や軸索突起の形が明確に染め出される.神経細胞のほかに,星状膠細胞および希突起神経膠細胞においてもウイルス抗原が証明される.
  BDVゲノムの検出:BDVゲノムの証明には,PCR とin situ hybridyzationが用いられている[25].PCR は,ウイルスゲノムの特定の塩基配列を増幅させて検出する方法で,脳組織内に存在するわずかなBDVゲノムの検出に利用できる[22].in situ hybridyzationでは脳組織内のBDVゲノムの局在を明らかにすることが可能である.antisense BDV probeを用いた場合には神経細胞の細胞質と核内に,sense BDV probeを用いた検索では核内にウイルスゲノムを証明することができる.さらに,免疫組織化学的手法とin situ hybridyzationを同時に用いることで,組織内でのBDV蛋白とゲノムを同時に検出でき,ウイルス複製とその広がりを検索することが可能である.