(3)微生物学的ADIの設定方法[1, 13](図4参照

 ヒトの腸内には,個人差や食事の種類による影響はあるものの,一般に400種以上,腸内容物1g当たり1,000以上の細菌が存在すると考えられている.腸内細菌の役割は,外来病原菌の転移増殖の阻害,食品の消化,薬・異物・栄養の代謝など幅広く,ヒトの健康維持には欠くことのできない重要な機能を果 たしている.ヒトの医薬品としての抗生物質の使用は,この腸内細菌にさまざまな影響を与えることを示唆している. 食品領域においても,食品に残留した動物薬(抗生物質・抗菌剤)のヒトの腸内細菌への影響の懸念から,抗生物質のヒトの腸内細菌叢に与える影響を評価するため,多くの試験方法が提案されている.しかしながら,いずれの試験方法も問題点が指摘されており,現時点において,残留動物薬(抗生物質)のヒトの腸内細菌叢への影響を十分に反映できる試験方法は示されていない.JECFAはこのような背景を踏まえ,伝統的に用いられている最小抑制濃度(MIC,Minimum Inhibitory Concentration)に加え,種々のin vitroおよびin vivoの試験方法を総合的に活用した微生物学的ADI設定のスキームを提案している. このスキームは,微生物学的ADI設定の必要性を判断する第一段階とADIの設定に必要な試験方法を示唆する第二段階とに分類することができる.

a.第一段階
 以下のうち,一つでも該当するものがあれば,追加的な微生物学的データは不要である.すなわち,微生物学的ADI設定の必要性はないものと考えられる.なお,あわせてJECFAによって示唆されている当該項目の判断の参考となるデータ等を示す.

a. ミルクや可食部における残留物(動物薬およびその代謝産物,以下同じ)が抗生物質的な性質を有さない場合.
b. 摂取された残留物が腸に入らない場合(経口投与後の排泄,薬物動態や代謝に関する試験データなど)
c. 摂取された残留物が腸管下部に入る前に不活性な代謝物に変化している場合(薬物動態および代謝に関する試験データなど)
d. 摂取された残留物が完全に微生物学的に不活性な代謝産物に変化する,あるいは腸内容物に完全に結合し,結果 として腸内に入った後,速やかに不活性化される場合
e. 腸内細菌叢への影響についての文献調査により,毒性学的に求められたADIが腸内細菌に影響を与えないことが明らかな濃度(低濃度)である場合(腸内の優先菌種の変化,転移増殖阻害能の変化,継続培養における抵抗性バクテリア群の変化など)
f.

ヒトの臨床データ(医薬品としてのヒトへの適用)により,毒性学的な影響が腸内細菌のかく乱による胃腸への副作用よりも重大であることが明らかな場合.この結果 ,ADIが微生物学的ではなく,毒性学的に得られる場合

 

b.第二段階
 第一段階のいずれにも当てはまらない場合,以下のスキームで微生物学的ADIが求められることとなる.

a. ヒトの腸内細菌において最も敏感な有害作用を判断する.その作用として薬剤耐性の発現,転移増殖阻害能のかく乱,代謝活性の変化をあげることができる.判断の方法として,構造活性連関の研究結果 (例えば,リンコサミド類は転移増殖阻害能をかく乱)等を用いることができる.
b. 転移増殖阻害能への影響が懸念される場合は,計100のバクテリア株に対する動物薬のMICから,保守な推定ADIが決定される.

 MICテストの結果を踏まえ,以下の方法でMIC50からADIの上限を求めることができる[12]. ADI(μg/kg bw)=MIC50(μg/g)×MCC(g)/FA×SF×BW(kg) MIC50(μ g/g):ある微生物を培養した場合に,その 50%を完全に抑制する抗生物質の最小濃度.評価にあたっては,試験された代表的な種に対する株の平均 MIC50を利用する.最も感受性の高い株に対する最小MIC50を用いることもある. MCC(g)(Mass of colonic content):腸の内容物重量.220gが使用される. FA(Fraction of an oral dose available to act upon microorganism in the colon):投与された動物薬のうち,腸内の微生物に生物学的に有効に作用する割合.
  SF(Safety Factor):MIC値を求めるために使用されたデータの量と信頼性に対する不確実性とを勘案して設定される安全係数.一般 にその領域は1〜10.安全係数1は,広範で適切な微生物学的データが用いられた場合に適用される.
  BW(kg):体重.60kgが使用される.
c. 転移増殖阻害能のかく乱が懸念される場合,あるいはそれについてのデータがない場合,少なくとも以下の一つについて情報が提供されるべきである.
1) 糞便接種物の継代培養において,腸内でADIに相当する濃度となるような濃度の動物薬が添加されても,微生物(たとえば,Clostridium difficile,人畜共通感染病原菌 あるいは日和見感染菌)に対する転移増殖阻害能に影響がないことを確認する.かく乱がない場合,該当濃度がNOEC(無影響濃度,no observed effect concetration)となる.
2) 腸内でヒトのADIに相当する濃度となるような濃度の動物薬を単胃動物へ経口投与した場合にも,経口投与されたC. difficile,人畜共通感染病原菌あるいは日和見感染菌に対する転移増殖阻害能に影響を示さない.