数多くの医学者,医師,看護婦,医学生,薬剤噴霧班,代表区長,住民ら.今に比較すれば劣悪な環境の下,一致団結して事にあたった.その間の度重なる政府との交渉.これにもまた10数年を費やすことになる.
南日本新聞に掲載された経過(見出し文).
昭和37年2月2日
「フィラリア症撲滅へ本腰,7月に一斉検診.保虫者には無料で投薬」
昭和37年7月10日
「夜の採血はじまる,フィラリア症根絶へ」
昭和37年11月6日
「保虫率は鹿県が最高.各県検診状況を報告」
昭和37年11月29日
「フィラリア白書発表.保虫率は6.7%.特にひどい奄美大島」
昭和38年4月29日
「保虫,全国で最高.実証された鹿県風土病」
その後も根気強い闘いが続けられる.そしてついに,勝利宣言.
昭和54年12月14日
「鹿大研究グループが『宣言』へ.フィラリア絶滅.再調査で保虫ゼロ.宿命の風土病,30年の努力実る」(沖縄県,愛媛県ではフィラリア防圧を記念して記念碑を設立)
昭和55年11月1日
「南九州の風土病『フィラリアついに絶滅』.沖縄も保虫,感染なし,尾辻鹿大助教授ら確認」.
資料となった一冊の本.「愚直の一年.―フィラリアと共に30年―(尾辻義人著.記念誌のため非市販).それを紹介した高尾善則博士は語ってくれた.45年に及ぶ寄生虫研究歴(おもに日本住血吸虫:撲滅)の持ち主である.
「個人レベルでも現在,1地方で,年に1人はフィラリア症の患者を診ます.しかしそれは,バンクロフト糸状虫(Wuchereria bancrofti)ではなく,犬糸状虫(Dirofilaria immitis)の異所寄生によるものです」.
乳房から取り出した組織の病理切片.次第に拡大する写真10数枚.フォーカスを微妙に違えた写真を示しながら,ツモール内虫体,クチクラの紋理の違いを説明してくれた.
「多くは,肺ガン,乳ガン所見に酷似.時に眼瞼下の寄生も認められます.X線所見,超音波検査では正円像として認められることが多いのですが,免疫学的検査も行います.今,犬・猫だけの問題ではありません.獣医界でも是非,その撲滅に取り組んで頂きたい」.
フィラリア症を,「疾病」と見なしてこれを撲滅した医学の思想.
この中に,「利益の多寡」や「協力広告」,まして「マーケットの拡大」や「企業の発展」など,入り込む余地は何処にもない.存在するのは,「医療科学への真摯な姿勢」と「撲滅への情熱」だけである.
制度は本来,思想という母体から生まれるもの.制度で思想を作ろうとすれば,いびつな思想もまた,生まれ始める. |