ゲノムデザインの今後の研究の展望

 ゲノム全体の遺伝子がわかればいったい生命とは幾つの遺伝子が必要なのかとの還元論的な見方が出てきて当然である.いわゆる最小ゲノム生物学の創始である.現時点で最小のバクテリアゲノムはマイコプラズマの1種で約58万塩基対,遺伝子数で約400[8].マイコプラズマ独自の遺伝子も含んでいるために実際の必須遺伝子の数はもう少し減って300位だと推測されている.筆者自身は最小ゲノム生物創製のアプローチに関しては幾つかのアイデアがあり楽観的である.例えば枯草菌ゲノムのスリム化である.全塩基配列が決定されている枯草菌ゲノムから,溶源性ファージやトランスポゾン様配列,抗生物質生産等の生育に必須でない領域を欠失させ,枯草菌の種としてのアイデンティティーを確認する.いわゆる最小ゲノム生物への正道で技術的には可能であると思っている[11, 12].最小ゲノム生物学の最大の利点は,新しい遺伝子をさらに組み込んで実験室内高速進化系を作り多様性を創出できるところにあると思っており,夢は広がる一方である[14].
  生命の起源,進化の研究は過去の再現が不可能という乗り越えられない絶対の壁がある.起源の問題はさておき,ダーウィン進化論の本質は変異の多様性と選択の種類とレベルの問題に帰着すると思っている.よく言われる「適者が選択された」の表現は非常に誤解を招く.「選択された(絶滅しなかった)者が結果として適者だった」と考えるだけで世界はずいぶん違って見える.進化の議論がほとんど動植物の観察結果を対象としているのは目で見えるので直感的に理解できるからだろうが,では目に見えない微生物は進化とは無縁なのだろうか.答えは否で,二つの限界から進化の議論に登場が遅れているだけである.一つはバクテリアの種の定義のあいまいさと分類法の限界.もう一つは繰り返しになるがわれわれはまだほとんどのバクテリアの生態について知らないこと.これではバクテリアの進化を論ずる以前の状態である. 世の中の流れが猫もしゃくしも高等動物志向の80年代から,ゲノム志向と騒々しくなってゆくこの10年近い過程を見てきて,世の中の動きが早くパイオニア的な研究,深く根付いた研究を遂行することの困難さと充実感とを同時に実感している.「重要な研究テーマがあるのではなくて,自分の研究テーマによって重要にするのである.もし重要なテーマがあるとすれば,それは誰かがすでに重要にしたのである.自分の研究に興味があるならば,そしてそれを発展させる自信があるならば,“そんなテーマはつまらない,時代おくれだ”などという人の言葉に耳をかさず,いまの研究を着実にすすめて,それを重要なものにしよう」.これは筆者の所属する研究所の初代所長であられた故江上不二夫博士の「江上語録」の一つである.この頃その意味がよくわかってきた.今後の研究活動を支える貴重な言葉である.

終 わ り に
  人はこれまで自らの生存領域拡大と特に近世では経済活動のために道具を用いて(物理的な道具であれ,化学的な道具であれ)数え切れない程の生物種を絶滅に追いやってきた.しかしながら「細菌の逆襲」に記述されているように,われわれには細菌を絶滅させることは不可能のようである[22].そもそも多くのバクテリアは人を傷つけようとの積極的な意志を持っているわけではない.バクテリアは意志は持っていなくても本稿でも触れたようにその遺伝子数を考えても可塑性に富む.つまり生存のための多様性の創出が可能であるからこそ,また増殖するときには短時間で増殖できるからこそ新たな環境での適者生存者を次々と産生できる.これが動植物とは決定的に異なる点であり,時には人類にきばをむく病原性微生物の逆襲の実態であろう.
  地球が誕生して46億年,原始微生物は約38億年前にすでに地球上に出現していたとされている.実にこの長い間さまざまな環境にさらされ,それに耐えて生き延びて現在に至っている微生物には,生命を保持するため,無限に近い潜在能力が遺伝子に刻み込まれているのだろう.自然界に生息している微生物の中には人類と共存できる(人類に役立つ)微生物はまだまだ多数いるだろうし,彼らといかにつきあうかが21世紀の微生物学の最大の課題であると考えている.21世紀は隣人を理解するだけでなく,隣菌を訪ね,尊大ではなく対等な共生関係を築く世紀である.筆者も微力ながらそれに取り組みたいと思っている.実験室でのゲノムデザインをいつも考えながら.
(本稿は1998年2月麻布大学システム生物学懇話会で行った講演をもとに執筆したものである.)