RNAワールド

 リボザイムの発見は,生命の起源の問題を多くの分子生物学者にも親しみやすいものとした.すなわち,「RNAワールド仮説」の登場である[4].一般に,原始情報分子としては,DNAよりもRNAの方が先に存在していたと信じられている.そしてRNAが原始蛋白質と相互作用を繰り返し,原子生命の遺伝情報システムができてきたのではないかと考えられていた.ところがリボザイムの発見は,情報を保持するRNAが触媒能をもつということを示し,蛋白質とRNAとの出会いを待つまでもなく,RNAそれ自体で切断,連結を繰り返し,原始情報分子が自ら進化できる可能性を示すこととなった.さらに,この原始RNAからrRNAが生まれ,RNAのみからなるリボソームが蛋白質を作り始めたのではないか.これで,RNAと蛋白質からなる生命の世界ができる.「RNAワールド仮説」では,DNAの登場はこの蛋白質ができた後である.RNAが作ったさまざまな蛋白質の中にDNAを生み出す酵素もあり,それらの酵素がDNAを作り,RNAのもっている遺伝情報(塩基配列)がDNAに移されていった.そして現在のDNAワールドができた.これが「RNAワールド仮説」がいう生命の起源の道筋である.「RNAワールド仮説」の優れている点は,起こったであろうことの素過程を実験的に試すことができる点にある.「RNAワールド仮説」以前の「原始RNAが原始蛋白質と相互作用を繰り返し,蛋白質合成系ができた」というなんだかはっきりしない仮説を試そうとすれば,ランダム配列のRNAとランダム配列の蛋白質を混ぜて放っておくことくらいしかできず,それでなにかが起こることは期待できないであろう.
  「RNAワールド仮説」はセントラルドグマの成立過程を教えている[7].先に述べた,壊れやすいRNAはDNAに選ばれたわけではなく,逆に情報を書き込んでおくのに安定で都合がよいのでDNAがRNAに選ばれたのである.RNAは本当はとても偉いのである.現在「RNAワールド仮説」に基づき,自己複製するRNAを創製しようという試みがアメリカのJack Szostakのグループにより進められている[5].また,1992年アメリカのHarry Nollerらは,徹底的に除蛋白質処理をした好熱菌の23S rRNAがペプチド結合を生成できることを報告し,RNAが蛋白質を生成できる可能性を示した[12].しかし,このrRNA標品には,まだ蛋白質がわずかに残っており,この時点ではまだRNAだけでペプチド結合を生成できることが証明されたとはいえなかった.しかし,1998年に渡辺公綱ら[10, 11]のグループは,大腸菌の23S rRNAがペプチド結合の生成を触媒することを明らかにした.これは純粋なRNAが蛋白質を作れることを示した初めての例で,RNAワールドが生命の起源であるという「RNAワールド仮説」の素過程を証明する重要な証拠である.このように能動的RNAの発見は,分子生物学者に生命の起源の研究のための指針を与え,多くの研究者がこの問題に真剣に取組み始めている.

おわりに

 リボザイムが発見されてから(RNAが変身してから),現在までわずか十数年が経過したに過ぎない.その間に『RNAワールド』,『RNA工学』という新分野が開かれ,さらに,RNAのレパートリーは年々増え続けており,今後もこの分野での新発見は大きなインパクトを与え続けていくことと思われる.おとなしかったRNAは今や完全に変身し,われわれのもとはRNAであることをわれわれに教えようとしている.ご先祖様であるRNAがわれわれに明るい未来を与えてくれることを期待できないはずはない.