【参考】

マレーシアにおけるニパウイルス病発生状況の予備報告


 人の発生例
 人における死亡例まででたマレーシアにおけるニパウイルス病発生は豚での感染に起因しているとされている.1998年および1999年の発生患者について,それまで日本脳炎として診断された初期発生例について再度調査が行われた.
 1997年にIpoh近郊の多くの養豚場の作業者が病気にかかったとの報告があり,1名が死亡した.患者のほとんどは民間の病院で治療を受けていた.
 1998年になると,ウイルス性脳炎の報告症例数が増え,感染がさらに2つの村に広がった.医療および獣医局の検査官からなる特別 対策チームが編成され調査がすすめられた.1998年末までにTAMBUN,ULU PIAH,AMPANGの作業員10名が4日間から4週間の昏睡期間の後,死亡した.ウイルス性脳炎の症例のうち,約15%だけが日本脳炎によるものと診断され,残りの85%については原因不明であった.
 1998年12月中旬までには,感染豚の移動によってクワラルンプール南約60kmのSIKAMATまで本病は広がった.1999年1月には20人の養豚関係者のうち7人が本病の症状を示し,うち5人が死亡した.1999年3月までにNEGERI SEMBILAN州BUKIT PELANDOKの主要養豚地帯にまで本病が広がった.
 マレーシア大学(医微生物学部)では1999年2月に,未知のウイルス分離に成功した.ウイルスは米国CDC(感染症センター)でも本年3月分離された.そこでマレーシアおよび米国の科学者が共同でウイルスの同定を行った.1999年3月18日にCDCはオーストラリアで1994年に分離されたパラミクソウイルス属のヘンドラウイルスに非常に近いウイルスが分離されたと発表した.1999年4月10日にはこのウイルスはNEGERI SEMBILAN州のSANGAI NIPAH村の労働者から分離されたことから,公式にニパウイルスと命名された.
 1999年3月1日から5月10日の間に本病はさらに多くの農場に広がり,NEGERI SEMBILAN州においては,ウイルス性脳炎(疑症)224例が発生し,そのうち80名が死亡した.最終的にはニパウイルスの感染が疑われた258名のうち100名が死亡した.この新しいウイルスの感染拡大を制御するため,養豚農家関係者およびその家族は,村から離れ,感染地域外の学校や公民館に仮住まいするよう指示を受けた.ニパウイルスの診断および蔓延防止のため,CDCおよびオーストラリアの専門家の援助が必要とされた.
 人における症状
軽度から重度の臨床徴候
さまざまな程度の発熱および頭痛
ぼんやりしたり,方向感覚を喪失したりした後,昏睡に陥り人工呼吸を必要とするものがあった.
昏睡状態に入った場合,死にいたることが多い.
疾病の完全な経過は今までのところ不明.
潜伏期間は1〜3週間と推定された.
症状の重くない事例では不顕性感染で抗体価の上昇のみがみられた.