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意見(構成獣医師の声)

養鶏産業における群診療の実態と課題

川崎武志 (人と鳥の健康研究所家禽診療センター・北海道獣医師会会員)

川崎武志
 1 は じ め に
 今日,多くの養鶏場では,数千から数十万羽という規模で集約的に鶏を飼育している.参考までに総務省統計局発行の日本の統計2007のデータをもとに算出すると,平成17年度における農家1戸あたりの平均飼養羽数は,採卵鶏が21,468羽,ブロイラーが38,658羽であった[1].また,家禽を診療する獣医師の数は,業界情報から推察するとその数はきわめて少ないようである.
 一方,現在の獣医療の体制は,獣医学教育,獣医事関連法規から獣医行政に至るまで,いずれをみても哺乳動物の個体診療を前提とした概念に沿って発展してきたと考えられる.そのため,養鶏産業のような大規模集約飼育形態に合わせて実施する診療の技術や概念の体系化,関連法規の整備は意外なほど進んでいないのが実情であると思う.最近,高病原性トリインフルエンザの発生等,養鶏産業における話題が社会でも大きく取り上げられるようになってきた.このような情勢の中で,家禽の飼育実態と獣医療体制の現実を正面から見つめ直し,両者のギャップを埋める具体的な対応策を編み出していくことが必要である.
 本稿では,近年ますます大規模集約化が進む養鶏産業において,なぜ群診療という概念が必要なのかについて述べ,あわせて養鶏産業に対する群診療における課題について述べたい.

 2 群診療の概念
 これまで群単位で飼育管理されている大規模養鶏場(肉用種)における診療業務を通じて,農場経営者の獣医療に対する期待および社会の獣医療に対する要請にできるだけ応えられるよう試行錯誤を繰り返してきた.その中で大規模集約化の進む畜産業における獣医臨床においては,群診療の考え方がますます重要になってきたと感じている.
 鶏の飼育形態はケージ飼育と平飼い(広い床面で放し飼い)になっているものとがあり,農場によって差はあるが,一般的に鶏舎一棟あたり数千から数万羽の鶏が飼育されている.たいていの農場では複数の鶏舎を有しているので,一カ所の農場だけでも数千から数十万羽の鶏が収容されているのである.また,そこに収容されている鶏は多くの場合,遺伝的に均一で,日齢的にもほぼ同一である.このような状況から,診察の際には「一鶏舎を一群と考えたうえで診察する」のが群診療において最も合理的であると考えられる.

 3 日常的な飼育状況のモニタリング
 数千から数十万規模で飼育される鶏を個体別に診察することは物理的に不可能である.
 ケージ飼育であっても平飼いであっても鶏群は1羽ずつの集合体であるから,理屈では個体別に診察できるようにも思われる.しかし,仮に1万羽の鶏群で呼吸器障害を主徴とする疾病が発生したとしよう.その診察に際しては異常呼吸音を確認するだけでも1羽30秒はかかるだろう.すなわち,個体診察をすれば一群の診察には83時間以上かかる.つまり,一群診察するのにぶっ通しで診察しても3日以上かかることになり,非現実的であることがわかる.
 筆者は,常時,数十鶏群,数百万羽を対象として,衛生指導と診療を担当してきた.そのなかで,農場からの毎日の死亡・淘汰状況の報告,異常時の通報を基本として,必要に応じて細菌学的検査や抗体検査等を組み合わせて行う日々のモニタリングを推進してきた.そして,これらを通じて客観的に鶏群のコンディションを把握でき,適切な診断や衛生指導が行えることに少しずつ確信を持てるようになってきた.また,鶏群単位でのコンディションの把握をしていくための方法論としては,群全体を観察した後,鶏群の中から典型症例を見出し,必要な数だけ個体別の診察をするという手順を繰り返す,というのがある.ここで必要な数を一概に示すことはできないが,少なくとも筆者の経験では,このような手順によって診察を進めると,最初から最後まで個体診察だけにこだわるよりも現実的に診断や対策を進めていく上で常に有効であった.これが最良かどうかは別として,鶏群を対象とする診療技術については今後も検討を重ねていく必要がある.

4 診断書の位置づけ
 診断書は「獣医師が診療の対象である動物の疾病について診察の結果,その獣医学的断定を証明するのに作成する書類である」と定義され[2],動物の飼育者等の請求に応じて獣医師が交付するものである.獣医療における診断書は,通常の診断書と死亡診断書とがあるが,いずれも様式は定められていないので,診断した結果を,病名,治療に要する日数等,飼育者の知りたいと欲する事項についてその要点を(獣医師が事実に基づき)記載すればよい[3].診断書とほぼ同じ目的で扱われるその他の文書として,出生証明書,死産証明書,検案書があるが,これらについても同様である.診断書を要求する側(飼育者や動物の所有者)は,こうした文書を診察の結果に対する正当性が証明されることを意図して求めているわけであるから,でき得る限り客観的に得られた科学的根拠を明示して作成されるべきものである.なお,診断については,疾病の性格や発生状況等から判断し,個体診断を行う場合と,群診断を行う場合とがあるが,いずれの場合においても,診断書は,獣医師が公正かつ客観的な診断結果に基づいて自ら獣医学的に断定できる範囲で作成する必要がある.診断書は官公署に対する添付書類として,あるいは損害保険金の請求等の証明書として疾病等の発生事実を公に証明する社会生活上重要な文書(書類)となるからである.

 5 診断書における罹病個体数の算定
 大規模養鶏場は,種々な原因によって発生する可能性がある事故を想定して損害保険会社との間で損害保険契約を締結していることが少なくない.そうした農場において鶏の健康障害や死亡事故等が発生し,損害保険金の支払い手続きが必要になる場合,事故等の発生を証明する目的で診断書の交付を求められることがある.
 そこで獣医師が診断書を交付する際に直面する問題は,疾病・事故等の発生羽数の確定に関する件である.大規模な農場においては,事故や疾病の発生事実は群レベルでおおまかに把握することはできても,罹病個体数を正確に把握することができない場合もある(熱射病や風水害で突然大規模な死亡が発生する場合等).そのようなときに診断羽数を明示することなく発生事実の証明だけに留めた診断書を発行したとしても,診断書を必要とする側としては納得できないばかりか,保険給付の事務手続きが滞ることさえあるだろう.こうした事態を避けるためには,群診療における診断書等の文書を作成する際に必要な要件を定めたガイドラインを整備しておく必要がある.診断書やそれに類する文書は,前述したように財産権の問題に直接関係する文書になることが少なくないことから,動物の保有者はもちろんのこと,損害保険会社等にも十分に納得できるような文書の作成・交付ができるよう,獣医療を提供する立場としても考えていかなければならない.筆者としては,現行の疾病診断基準以外に群診療に関する文書作成の要件として, (1)飼育個体数の算定(導入個体数と日常的減耗数)および(2)罹病・死亡個体数の算定に関するガイドラインの制定と,(3)ガイドラインの要件を遵守した契約であることの獣医師の確認が必要と考えている.

 6 まとめ
 今回は,筆者の経験を踏まえた養鶏産業に対する群診療の実態,在り方について述べた.また,これらの飼育状況や診療の実態から生じる課題のひとつとして診断書の例を挙げて考察した.今後,できるだけ早期に個体単位の診療だけでなく群単位の診療にも対応した診断指針の策定も含めて獣医療分野はもちろん,広く社会に対しても意見を求めつつ,この問題について議論を交えていきたいと考えている.このことに関して諸先生方から忌悼のない意見をいただければ幸いである.

参 考 文 献
[1] 総務省統計研修所編:日本の統計2007,総務省統計局(2007)
[2] 獣医事研究会編:獣医師法・獣医療法の解説,地球社,東京(1993)
[3] 池本卯典:改訂新版獣医事法学,チクサン出版社,東京(1995)



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