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「狂犬病」撲滅の立役者・原田雪松と
狂犬病予防法制定の経緯
1 書 評:「狂犬病」撲滅の立役者・原田雪松 獣医師であれば誰もが知るところの,衆議院議員 故原田雪松.その生い立ちから開業獣医師としての戦後の地域畜産業の振興に向けての足跡.政治家を志し衆議院議員として当時の社会経済情勢混乱期に猖獗を極めた狂犬病対策を議員立法による狂犬病予防法を制定し,今日の日本の清浄国の礎を築かれた様.更に,議員退任後は熊本県獣医師会会長,晩年に至るまで勤め上げた地元天草畜産協同組合長として獣医界や地域畜産振興への思い入れを活写するとともに,獣医史学的にも大変貴重な資料の数々を整理した特集が(株)大塚製薬の機関誌雑誌に特集記事として掲載されている. 著者は,奇遇にも原田先生の生誕の地である熊本の熊本県獣医師会で事務局長を務めておられる四宮義和氏である.中には,原田先生の明治生まれの稟とした,しかも泰然自若とした風格がにじみ出る姿が資料として諸処に,また,娘の潤子さんによる故君子夫人との逸話がちりばめられている力作(歴史史料)である.忘れてはならない公衆衛生対策としての狂犬病予防の徹底に獣医師をはじめ保健衛生行政関係者が心して当たる上での先人の業績.公衆衛生獣医師や獣医史学に興味のある方の一読(見)をお勧めする. |
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資料:大塚薬報2008年,7・8月号から | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2 狂犬病予防法制定の経緯 次に狂犬病予防法制定の経緯を紹介する. (1)戦前の大正期以降における犬の狂犬病防疫対策は,牛,馬等の家畜の伝染性疾病の防疫とともに,旧家畜伝染病予防法(大正11年4月10日法律第29号)で対処されてきていた(犬を家畜伝染病予防法の適用対象家畜とし,[1]狂犬病発生時の届出,[2]殺処分,[3]死体・汚染物品等の焼却・埋却,[4]予防のための犬の抑留,[5]犬の検疫等を家畜伝染病予防法において規定). ただし,狂犬病防疫の国の所管は,昭和4年4月11日の内務省・農林省訓令により,農林省から内務省に移管され(当時,公衆衛生業務は治安対策の側面から警察行政の一環として内務省が所管する.ただし,輸入検疫は,他の家畜と同様に家畜検疫の所管官庁である農林省が所管,戦後は厚生省が受け継ぐ.) (2)戦中・戦後の狂犬病の流行に対し予防対策が急務であったが,一方で,戦後の立法については,法の目的並びに権限と責任の関係の明確化が前提とされた中で,再構築が図られ,この中で畜産の振興を目的とする家畜防疫と公衆衛生の向上を目的とする狂犬病防疫とは立法上わけるべきとの議論がなされた(GHQは,当時猖獗を極めた狂犬病の防圧の徹底の推進とともに,家畜防疫からの独立を強く要請してきた経緯がある).このような事情の中で,昭和23年に旧家畜伝染病予防法の一部改正が行われたが,ここでの狂犬病防疫の独立は見送られ,近時に必要とされた家畜伝染病予防法の全面改正にあわせ検討することとされた. (3)その後,昭和26年の家畜伝染病予防法の全面改正に当たり,狂犬病防疫に関する諸規定については,厚生省所管法律として別立てにより制定することとされ,狂犬病予防法案が,衆議院議員原田雪松(開業獣医師)による議員提案として第8回国会に上程(昭和25年7月29日に衆議院厚生委員会・衆議院本会議で可決,7月30・31日に参議院厚生委員会・本会議可決され),8月26日に法律247号により公布,即日施行された. 国会の法案審議における提案理由説明の一部を紹介する. |
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なお,日本獣医師会役員室には原田雪松先生の胸像が鎮座している.これは昭和53年当時,全国獣医師会会長会議において「原田雪松先生顕彰募金」が提案され,全国の獣医師をはじめ獣医師会等の獣医界関係者からの募金620万円の浄財により造られたものである. |
† 連絡責任者: | 大森伸男(日本獣医師会) 〒107-0062 港区南青山1-1-1 TEL 03-3475-1601 FAX 03-3475-1604 E-mail : info@nichiju.lin.go.jp |