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私の野生動物救護奮闘記
中村丹美† (長崎県野生動物救護センター・長崎県獣医師会会員) 長崎県野生動物救護センターは,長崎県自然保護課(現・自然環境課)の委託により,県獣医師会が運営する施設として,2000年秋に開所した.担当範囲は,佐世保市周辺を除く県下一円で,救護件数は,毎年200数十件程度,うち9割余が鳥類である. |
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1 地球の医者になれる? 県を辞めて一年が過ぎた頃,当時の長崎県獣医師会長から,野生動物の救護施設を作るから,やってみないかと声が掛けられた.勤務経歴はそこそこ長いものの,診療経験ゼロ,躊躇する私に,元会長,「医師はね,人間の医者にしかなれないけれど,獣医師は地球の医者になれるんだよ!」 この一言で,ド素人のオバサン獣医師二人による,暗中模索,時々冷や汗の救護奮闘記が始まった. |
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2 異種間移植に成功? 半年ほどが過ぎた頃,一羽のトビが搬入された.風切り羽根,尾羽根すべてが途中からちぎれている.体力だけは回復したものの,ちぎれた羽根はどうにもならず,放鳥の見通しがたたないまま,5カ月になろうとしていた.丁度そのころ,入院中のミサゴが死亡.ここが素人の怖いところ,ミサゴの羽根をトビに接着させてみようと意見が一致.そして,爪楊枝と瞬間接着剤で接着.半数ほどしか着かなかったものの,左右がバランスよく繋がって,飛べるようになり,放鳥.しばらくののち,その場所に行ってみると,なんと,歯抜け翼のトビが私たちの頭上で,ゆっくり弧を描いていたのであった. |
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3 サルは怖い ある年の秋,巷で片腕の離れザルの出没報道,いや〜な予感が的中,イノシシ用のトラバサミにかかったサルが,搬入.右足首に罠が食い込んで骨まで達しており,足は浮腫を起こしていた.幸い骨折はしていないので,傷の治療を行い,しばらく様子を見ることに.報道関係者3名,保護した役場の職員2名,会長,事務局長に囲まれて,借りてきた猫ならぬサル.レポーター氏曰く「おとなしいですね」.でも,集まった男性諸氏,そこまで考えが及んでいたのであろうか.サルには老若男女の区別ができる.毎日,世話をしているのが,たった一人の女性だということも…. しばらくして,足は壊死を起こし,断脚を余儀なくされた.手術は,ベテランの開業獣医師にお願いし,完璧な仕上がりであった.数日後,付けていただいた首輪を,檻につないで管理中,ちょっと目を離したその時だった.逃げようとしたのであろう,首が絞まってあっけなく死んでしまった.もう,牙を向けられ,怖い思いをすることはないけれど,しばらく落ち込んでしまった.野生に返しても生きて行くのは困難だし,動物園というわけにも行かないので,彼にとってはこれが運命だったのだと,自分に言い聞かせている. |
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4 対馬は,油汚染のメッカ 2006年2月,対馬で油汚染の水鳥が保護され,環境省対馬野生生物保護センターで救護活動が行われているとのこと,さっそく対馬へ.それから2泊3日,県外からのボランティア4名と共に,保護中のシロエリオオハムなどの水鳥10羽の救護活動に従事した.救護活動は,次のボランティアへ引き継がれ3月いっぱい続けられた. 対馬は,韓国の町が見える国境の島で,海流の関係で中国や韓国からの漂流物も多く打ち寄せられるところである.その対馬では以前から冬になると,油汚染水鳥が発見されているとの話である. ただ,ナホトカ号事故の時とは違い,はっきりした原因がわからないまま,毎年のように繰り返される.水鳥は汚染が軽微なために衰弱しきって初めて保護されることから,救命率が低いのが特徴である. この年は,目撃情報も含めて120件近くにのぼり,翌年も少数ながら発生したと聞いている.当センターでは,狭いながらも洗浄室を備えた動物舎が完成し,今年1月には,さっそく一羽のシロエリオオハムが空輸されて来た.その際には,野生動物救護獣医師会から専門の先生を派遣していただき,アドバイスに従って放鳥することができた.また,開業獣医師対象の研修会も開催できて,油汚染水鳥救護への取り組みが一歩前進した感がある. |
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毎日が初めての連続で,とまどいながらも今日までやってこられたのは,県自然環境課の皆様,会長をはじめとした獣医師会会員の皆様の支えがあってこそと思う.そして,全国の救護活動に従事しておられる先輩方,多くの仲間と知り合えたこと,今までに感じたことがない,ワクワクした気持ちで仕事ができることがとても幸せと思っている. |
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† 連絡責任者: | 中村丹美(長崎県野生動物救護センター) 〒850-0001 諫早市貝津町3031 TEL 0957-26-3688 FAX 0957-26-3622 E-mail : nagasaki-vet@sunny.ocn.ne.jp |