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論 説

食品の安全確保と獣医師

酒井 豊 (内閣府食品安全委員会事務局情報・緊急時対応課長)

酒井 豊
 1 は じ め に
 食品安全委員会(食安委)は,獣医師である見上 彪委員長をはじめ4名の常勤委員,3名の非常勤委員と二百数十名の専門委員で構成される科学者集団であり,食品リスク(法令用語は「食品健康影響」)を科学的知見に基づき中立公平に調査審議を行い評価する機関(リスク評価機関)になる.平成15年5月に制定された食品安全基本法に基づく組織であり,同法第29条で「委員は,(略)両議院の同意を得て,内閣総理大臣が任命する.」とされています.また,私の属する事務局は,その食安委の事務(調査審議の支援等)を処理するための組織として位置付けられている.
 既にご承知の方も多いと思われるが,本稿では,様々な観点から話題となっている「食品リスク」を巡る最近の情勢について,食安委の視点等から紹介するとともに,この分野における獣医師の役割の重要性について私見を述べたいと思う.

 2 ゼロリスク論への対応
 あらためて「食品リスク」の定義を確認すると,「食品中に危害(ハザード)が存在する結果として生じる健康への悪影響の起こる可能性とその程度(健康への悪影響が発生する確率とその影響の程度)」である.
 食品リスクへの取組に関する世界的趨勢は,近年の分析技術の向上等により,食品の安全性に関しゼロリスクはあり得ないことが認識され,リスクの存在を前提に,これを科学的に評価しリスクの低減を図るという考え方に立った「リスクアナリシス(Risk Analysis:リスク分析)手法」の導入が進められている.リスク分析の3要素は,リスク評価,リスク管理及びリスクコミュニケーション(リスコミ)であり,これらの要素が相互に作用し合うことによって,リスク分析はよりよい成果が得られる.
 3要素のうちリスク管理とは,「(食安委の行う)リスク評価の結果を踏まえて,「すべての関係者」と協議をしながら,リスク低減のための政策・措置について技術的な可能性,費用対効果等を検討し,適切な政策・措置を決定,実施すること」であり,政策・措置の見直しも包含され,法令等により規制,指導等を行う厚生労働省(厚労省),農林水産省(農水省)等が担当している.限られた予算の中で政策・措置を講ずる場合,十分に低いリスクに税金を投入するよりは,他の有効なリスク低減策を講じた方が良い場合も多々あるので,総合的判断を行うことが求められる.
 このように,リスク評価やリスク低減のための政策・措置の理解ためには,どうしても確率や費用対効果の概念を説明する必要はあるが,「すべての関係者」の中には,未だにゼロリスクを主張する人々もおられ,なかなか理解をいただけない場合がある.天然も含めどんな食品にもリスクがあるのにかかわらず,「食品はゼロリスクであるべき」とか,ハザードを適切に管理することにより十分に安全な水準までリスクが低減されているにもかかわらず,「何となく不安だから」等の理由で,ゼロリスク論に戻ってしまう場面にしばしば遭遇し,特に生物系のハザードで多いように思える.

 3 食品ハザードごとの対応の相違
 食品を介したハザードを大別すると,化学系,生物系,新開発食品系に分けられる.化学系については,基本的に食安委が耐容一日摂取量(ADI)を定め,厚労省,農水省等で当該化学物質の規制のための基準(例えば農薬の農産物への残留基準,使用基準(散布時期,休薬期間)等)を規定するという流れになる.化学系ハザードについては,適正な動物実験データを基にして安全率(種差×個体差)等を考慮した上で,濃度と安全性の2軸のグラフ(用量反応モデル)によりリスクの状況を表せる場合が多く,ポジティブリスト制の施行等もあり,関係者等の理解が進んできているようである.背景にはもちろん,農水省,厚労省,食安委等の連携による粘り強い広報活動等がある.
 それに対して,生物系,新開発食品系についてはハザードと食品リスクとの関係は複雑である場合が多く,容易に視覚的に示すことはできない.最終的にはハザードが産生する毒素が用量反応モデルに帰着する場合であっても,ハザードの存在そのものに消長があり,食品の中でも局在することもしばしばあって,食品の保存環境等によってもリスクが大きく変動することはご承知のとおりである.体内で数を増やす病原体の場合は,生体の防御,代謝,解毒等といった要素も関係することからさらに複雑になる.

 4 生物系ハザードやリスクの評価手順
 このため,食安委における生物系,新開発食品系等のハザードの評価については,ガイドラインを定めて安全性評価を行おうという国際的な動きへの整合を図りつつ,ハザードやリスクを客観的に把握し適切な評価を進めるため,必要とされる原則等を示すこととし,ハザードの種類ごとに「評価指針」や「評価基準」の整備作業を進めている.詳細についてはホームページに掲載しているので是非ご確認いただきたい.多岐にわたるハザード,リスクに係る要素について丁寧に洗い直し,体系的に整理した上で取り組んでいることをご覧いただけると思う.やや難しい記述等もあるが,少しでも多くの方々に承知いただきたいと考えている.

 5 獣医師の役割の重要性
 消費者の食品に対する不信を軽減し我が国の農畜産業の振興に資するためには,食品のリスクについて,科学的根拠に基づき分かりやすい表現できめ細かくリスコミを行う一方,消費者には自らも学んでいただく必要はあるが,上記のように生物系や新開発食品系のリスクについては,ハザードとリスクの関係が複雑で不確定要素も多いことから,必ずしも理解が醸成されているとは言る状況にはない.
 そのために,分かりやすくリスコミを行える者が理解促進役を果たすことも試みられている.しかし,理解促進役についても,生物系や新食品のハザード,リスクについては,一朝一夕の勉強ではハザードの本質に迫り,分かりやすく説明することが困難な場合も多いように感じている.既に食品衛生分野で多くの獣医師の方々がご活躍のところであり,言うまでもないことであるが,獣医師は,微生物から動物の生体まで体系的に理解している上に,常に経済性にも配慮をしておられることから,理解促進役として適任であると考えている.

 6 お わ り に
 食品の安全性確保に関して科学的知見に基づく中立公正な調査審議や評価を通じて,食品のリスク分析の考え方を我が国に定着させ,些細なこと,非科学的な風評に動じない賢い消費者を育成し,食品安全に関する無駄な社会的コストの低減に資することも,食安委の重要な役割の1つであると考えている.多様な分野で日々活躍しておられる獣医師の方々にも,消費者に対する理解促進役として様々な機会を捉えて,食品のリスク分析の考え方の定着等に積極的に協力いただければ幸いである.




† 連絡責任者: 酒井 豊(内閣府食品安全委員会事務局情報・緊急時対応課)
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