会報タイトル画像


論 説

わが国の獣医学系大学における倫理教育

伊藤伸彦 (北里大学獣医学部長・日本獣医師会獣医師道委員会委員長)

伊藤伸彦
 今年2月9日(土)の朝日新聞朝刊に,「獣医師試験,倫理面の50問を追加へ」という記事が掲載された.その記事内容は「獣医師の不祥事が相次いだことを受けて農林水産省は8日,獣医師国家試験の内容や実施時期を変更すると発表した.09年度の試験から倫理面を問う項目を追加する.(中略)現行の試験は学説について2項目(計180問),実地2項目(計120問)の4項目の試験がある.これに新たに倫理面の50問を追加する.動物のいのちをどうとらえるかや,情報開示についての基本的な考え方等を問う見込み.(後略)」であった.
 新聞の記事内容には少し誤りがあり,「倫理を含む50問を必須問題として合格基準を厳しくする.」という表現が正確であろうと思われるが,重要なことは,一般の人々も獣医師の倫理や獣医学系大学における倫理教育に重大な関心を持っているということである.そして,その倫理の内容には法令遵守も当然含まれるが,動物の福祉と獣医療におけるインフォームドコンセントが関心事であることも短い記事の中から浮かび上がった.
 動物福祉に関しては,これまでも国内の市民団体から大学へ要望書が提出されたこともあったが,大きな反響をよぶには至っていない.しかし,最近の獣医師が関わった事件や獣医療における飼い主とのトラブル等が多数報道され,一般社会も獣医師の倫理について関心を持つようになったと思われる.当然のことながら一般社会の関心の有無にかかわらず,獣医学生からベテラン獣医師に至るまで,獣医師の倫理について意識を高めてゆくことが必要であるが,今回は教育機関における獣医師倫理教育の実態と目標について考える.
 私の所属大学の獣医師倫理教育の実態はわかっているが,他大学の状況については,各大学のホームページに掲載されている内容だけでは情報が取得できなかったので,獣医師会にお願いしてアンケートを取っていただいた.ただし,情報のレベルや表現方法が大学によってまちまちであったため,今回はアンケート結果をまとめて公表することはできなかったが,今後の参考となる情報は十分に得られたので,以下に解説し,今後の各大学におけるカリキュラム整備の参考にしていただくことを希望している.アンケートの質問事項は,[1]貴学における獣医師倫理教育の実施の有無,[2]獣医師倫理教育科目名,[3]学習計画(年次,時間数等),[4]日本獣医師会獣医師倫理規程集の活用,[5]獣医師倫理教育に関する講師派遣の要望等についてなどである.
 今回,全国16大学全てからアンケートの回答が集まった.第1番目の獣医師倫理教育を行っているかとの質問に対しては,3つの大学が行っていないとの回答であった.しかし,獣医倫理学や獣医倫理動物福祉学等の獣医師倫理に関する専修の科目を持って教育を行っている大学となると数は非常に少なくなり,6大学だけであった.専修科目を持っている大学の大半は私立大学であり,各大学の専門教育に携わることのできる教員数の問題が浮かび上がってきた.
 もう一度,各大学に質問をし直してみないと明らかではないが,おそらく獣医師倫理教育を実施していないという回答を寄せた大学においても,解剖学,実験動物学,衛生学,公衆衛生学等の専門科目の授業の中において,法令や生命倫理に関することには必ず触れており,全く教育を行っていない大学はないと推測している.しかし,より幅広く,詳細な内容に至るまで教育を行うためには,専修科目をたてて,獣医師倫理教育を実施することが必須であろう.特に倫理教育を実効あるものとするためには,一方的な講義だけではなくて,学生一人一人に十分に考えさせる授業を行う必要があり,教員にもそれなりの知識と経験が必要となってくるからである.
 多くの大学では,獣医畜産関連法規の授業との関係もあり高学年における実施が多かったが,幅広い獣医師倫理教育を行うためには,高学年における専修科目以外に,学生の気持ちが純粋な初年度教育において関連の教育を行っておくことが望ましい.実際に低学年と高学年時の両方で,獣医師倫理教育を実施している大学もあるので,できるだけ早期に,全大学において十分な獣医師倫理教育が実施されるよう希望する.国家試験の改善計画において,獣医師倫理に関する問題を必須問題にしたいと提案されているが,国家試験で倫理に関する問題に適切に回答できるというだけでは,獣医師倫理に関して十分な人材を育てているのか確認することは難しいし,国家試験に対応するだけが獣医学系大学に課せられた責務ということでもない.全ての獣医学系大学において,獣医師倫理教育について早急に適切かつ十分な対応をお願いしたい.
 日本獣医師会が編集・発刊した「獣医師倫理関係規程集」は各大学に送付されているが,日獣のホームページにも掲載されている.この中に記載されている,獣医師の倫理綱領(獣医師の誓い―95年宣言等),動物臨床の行動規範(小動物医療の指針,産業動物医療の指針),関係資料,関係法令についての印刷物を学生には必ず配布し,参考にしていただければと希望する.日本獣医師会の獣医師の倫理綱領に加えて,千葉県獣医師会獣医師倫理綱領も参考になる.
 また,所轄官庁が異なる「動物の愛護・管理についての基準等について」も頻繁に追加改訂されており,これらの分野の専門の教員による教育が必要と思われる.農林水産省では,各大学における獣医師倫理教育の支援を行うことも考慮している.獣医学系大学からも要求し,一般社会の要請に対して適切に対応できる獣医師養成に向けてさらなる努力が必要である.
 獣医師倫理と動物の福祉に関する教育を適切に行ってこそ,獣医学の国際化という主張が世の中に受け入れられると考える.




† 連絡責任者: 伊藤伸彦(北里大学獣医学部)
〒034-8628 十和田市東二十三番町35-1
TEL 0176-23-4371 FAX 0176-23-8703
E-mail : nobuhiko@vmas.kitasato-u.ac.jp