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「ラストサムライ」というアメリカ映画があった.そう昔のことではないので,ご覧になりご記憶の方も多いと思う.興味があったので,劇場公開でも観に行ったし,テレビ放映でも見た.アメリカ映画にしては,まあまともな武士道の描き方だったと思う.かつての外国映画で描かれた日本のサムライ,あるいは武士道にいつも不満を覚えていたので,まあこれならば許せると思ったものだ.主人公は実用主義,利己主義に対するレジスタンスを示したものであるが,最後は名誉を重んじる侍の精神にほっとさせられた. 今の日本にはほとんど見る影もないが,戦後もしばらくはまだ侍の精神が残っていたような気がする.新渡戸稲造が言うように,明治の日本人の心の支えは,前代から引き継いだ侍の道徳観であったと思う.ところで,私の両親は,その明治生まれの,しかも士族の出であった.彼らの学校の卒業証書などには名前の前に○○県士族と麗々しく肩書きがあったことを覚えている.そのせいか,我が家は貧乏ではあったが,私は幼い頃から士族としての誇りだけはイヤと言うほど教えられてきた.武士に二言はない,富貴よりも名誉,武士は喰わねど高楊枝,腹が減ってもひもじうないは序の口で,道を歩くときは真ん中を歩け,曲がるときには直角に曲がれ,その他もろもろ揚げていくときりがない.ちょうど育ち盛りの太平洋戦争の前,中そして戦後食料の乏しい時代にこれであったからたまらない.我が身の体力的なひ弱さはこの時期の栄養不足が原因ではなかったかとさえ思っている.ただ,世界中どこへ行っても何でも好き嫌い無く食べられるというメリットも身に付いた. アナクロもこれ極まれりで今では誰も信じてくれないが,幼稚園に通う年頃に私は母親に切腹の作法を教えられたことがある.おやつをくすねて,見つかったにもかかわらず,しらを切ったがためだ.見届けてやるから腹を切れと,正座をさせられ,短刀を目の前に置かれて作法まで教えてくれた.やっぱり死ぬのはイヤだったので,べそをかき許しを請うた.後々,切腹の作法ではなく,卑怯な言動は恥である,恥を知れとの教えであったことに気がついた.恥は死に値する,そのようなことはするなとの教えであったのだ.恥を知ることは侍精神の基本なのである. 昨年,昔ならば侍の頂点とも言うべき防衛事務次官が逮捕された.以前には,厚生省,あるいは文部省の事務次官等も同様問題を起こしている.あのかつての役人の道徳観,つまり,高い誇りを持って,多くの誘惑を退ける侍の精神はどこへ行ったのだろうか.武士は喰わねど高楊枝とまでは言わない.恥を知る精神は持っていて欲しかった.幹部役人の多くを送り出している国立大(特に東大)では,精神論としての武士道の教育を必須にする必要がありそうだ. 映画「ラストサムライ」で主人公勝元が言った最後のセリフ「名誉を取り戻した」に大きく頷いていたのは私一人だけだったのだろうか. |
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(子) |