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私は,岐阜大学大学院連合獣医学研究科の論文博士制度で,2005年に「飼育海生哺乳類の繁殖に関する研究」で博士(獣医学)を取得した.水族館の飼育現場で働きながら挑戦であった.
「学位を取得したい」と,漠然と思い始めたのはいつのころであったか.30年近く水族館に勤務する海獣類専門の獣医師として,積み重ねてきたデータをきちんとした形で残しておきたいと思ったのがそもそものきっかけである.水族館の獣医師としての本来業務は海生哺乳類である鯨類(シャチやイルカ),鰭脚類(アシカ,アザラシ,セイウチ)及びラッコ,海鳥であるペンギン類の健康管理である.1977年に入社当時,イルカ類の飼育の現状といえば,長期に飼えるようになった時代であった.当時,これから繁殖を推進したいという館の希望と自分自身の繁殖や子育てへの興味が一致したことは幸運であった.健康管理者としての本業の傍ら,繁殖に関するデータ集め,研究者との共同研究,アシカの人工保育,ペンギンの人工孵化など,新しい試みに着手することができた.水族館でのイルカ類の飼育では,若い個体を搬入するのが一般的である.性成熟過程の行動変化と性ホルモン変動を把握しておくことは,ショーを行う上で事故防止の観点からも重要である.このような目的で定期的に採血を行い,血中ホルモン濃度の変化と行動の変化の調査を進めた.また,残った血清は将来何かの役に立てばと冷凍保存した.
1 出 会 い
飼育現場での経験年数が増すうちに,繁殖,症例報告,血液などのデータは徐々に蓄積された.折も折り,岐阜大学大学院連合獣医研究科の東京農工大学獣医学部 田谷一善教授から共同研究のお話をいただいた.教授は哺乳類の生殖機能を内分泌学に解明することを専門とされ,特にインヒビンの研究では世界的な権威である.教授が打ち合わせのために鴨川へいらした際に,様々なホルモン測定に使用可能な血清サンプルなどについて打ち合わせを行った.その際に個人的な希望として今までのデータをまとめて学位を取得したい旨話をさせていただいた.すると「では,わたしのところでやりなさい.」と,思っても見ない言葉をいただいた.興味を持っていた海生哺乳類の繁殖で論文をまとめられるとは,願ったりかなったりであった.
とはいうものの,私自身の現状を知っていただく必要があった.学生だった昭和50年当時の獣医学系大学は4年制.馬術部で熱心に馬の世話に明け暮れた私にとっては,獣医学系大卒業イコール馬術部卒業であり,4年間を勤め上げたことに最大の意味を見出す,論文を書く,研究成果を発表することとは無縁の学生であった.「先生,私は現場の悩める獣医師です.実は馬術部出身で…….」そのときの田谷教授の言葉を忘れることができない.
「馬術部ですか.じゃあ,大丈夫だ」馬術部出身ならば最後までやりとおせると,期せずして太鼓判を押していただいた.教授は,学生時代は馬術部で活躍され,現在は馬術部長を務めていらっしゃる.思いがけず馬術部出身であることが取り持ってくれたご縁であった.その後,東京農工大学に教授をたずね,今までの研究発表,手持ちのデータを見ていただいた.論文博士として必要な3篇の学術論文のうち,1篇はすでに公表したものがあった.他2編の論文のための内容もほとんど完成に近かった.そこで内容を精査して,論文として投稿することになった.この学術論文3編を中心に,イルカの人工授精,セイウチの繁殖と妊娠中の尿中ホルモンの変動などを加え,11章の論文構成となった.
2 働きながら学位取得
論文博士という制度がなければ,現場で働きながらの学位取得は不可能であった.本業の傍ら,論文を仕上げた数カ月間は来る日も来る日も(会社でも家でも)パソコンとにらめっこである.職場では「勝俣獣医師は今使い物にならないから,動物を病気にするな」が合言葉,協力体制万全,また家庭では家族が助けてくれた.
論文の内容は,すべて会社が所有する動物を用いたものであった.そしてデータのひとつひとつは,大型動物を扱う飼育のプロ達がチームとして機能しているからこそ得られた貴重なものであるから,博士号は,飼育現場を代表していただいたと認識している.また,動物が残してくれた貴重なデータをまとめたことで,長年付き合っている海生哺乳類たちにも恩返しができたと感じている.
とはいうものの,順風満帆ではなくて,何度かくじけそうになった.「無理,絶対無理!」とさじを投げそうになり,期限を延ばしてもらえないかと弱音を吐く.すると「あなた馬術部出身でしょ?」「論文を仕上げるのは勢いですよ.」と教授の激励.そのつど,先延ばしにしてもデータが増えるわけではない,今踏ん張るしかないと思いとどまって,審査の日を迎えることができた.親身にお世話をいただいた教授の指導がなくてはとても成就することはできなかった.
とにもかくにも,人生の中でもっとも勉強した時期であるのは間違いがない.時間をおいて改めて自分の論文を読むと,何かがとりついて一世一代の論文を書かせてくれたように感じる.「勢いですよ.」とおっしゃった教授の言葉通りだった.
飼育という仕事はエンドレスである.たとえばバンドウイルカの人工授精は,基礎研究から20年をかけて成功にこぎつけた研究の集大成ともいうべきものであった.しかし,人工授精イルカが生まれた瞬間,成功の喜びに浸ることもないまま,生まれた子の育成という次なる課題が目の前に突きつけられた.そのような飼育現場で働きながら,博士号論文を水族館で働く後輩たちに残すことができて本当にうれしく思っている.
時として,海生哺乳類医療の最先端を行く米国の水族館獣医師と一緒に仕事をする機会があるのだが,以前はものすごく気後れがした.しかし今では対等に話ができる.半分は海獣専門の獣医師としてのキャリア,半分は博士号のおかげである.
名刺に書かれたDVM, Ph, Dの文字が輝いて見える. |