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論  説

獣 医 師 の 近 未 来

境 政人(農林水産省消費・安全局蓄水産安全管理課長)

境 政人
 平成18年末現在の獣医師の活動状況を見ると,小動物診療36.8%,公務員25.4%,産業動物診療11.7%,その他14.0%,獣医事に従事しない者12.1%となっている.また,近年の獣医系大学卒業者の就業状況を見ると,約半数が小動物診療分野に進み,公務員や産業動物診療分野への就業は減少傾向にある.
  農林水産省では,今後30年程度の中長期的な獣医師の需給見通しについて検討を行い,昨年5月末にその結果を公表した.結論としては,総体として今後獣医師が不足するか否かは,犬猫1頭当たりの年間診療回数の伸びや獣医師による診療の効率化の程度に応じて変化するとされた.ただし,今後,産業動物診療獣医師や公務員獣医師は不足する傾向にある.
  近年,獣医系大学に入学するためには,医学部入学並みの学力が要求されると聞く.高校卒業時に高い学力を有する彼らは,単に小動物診療分野のみを志向しているのであろうか.私は否と考えたい.前述したとおり,医師と異なり,獣医師が広範な就業分野で活躍する中で,人類を含む多様な動物を対象とし,動物診療,家畜衛生,動物由来感染症,食品衛生,動物愛護,環境問題等々,漠然としつつも彼らは広範な社会で活躍することを目指しているのではなかろうか.
  このように考えるにつけ,実際に社会で活動している我々先輩獣医師は,希望に燃えた若い新たな仲間が存分に活躍できる場を提供できているのかと疑問に思うことが多々ある.現に,最近,獣医師法に基づく行政処分が後を絶たない.しかも,その対象は,小動物診療,産業動物診療,公務員,大学と各分野に及ぶ.このようなことでは,優秀な若い獣医師の期待にも応えられないし,獣医師の社会的処遇改善も到底覚束ない.
  本稿の表題は「獣医師の近未来」とさせていただいたが,各分野でご苦労されている獣医師への期待と反省を込めて私見を述べさせていただきたい.
  まず,自らが所属する公務員獣医師についてである.私は,国家公務員としての28年間の多くを本省で過ごした.正直なところ,給料はさておき,国家公務員として,国際的な動きにも直接関与しつつ,関係業界のご意見も伺いながら国の施策を企画立案し,その施策を実行していくとの活動は,十分に魅力的でやり甲斐がある.しかし,悩みも多い.その大半は,行政官としての自らの知識不足と見識の狭さである.私に限らず,一般に獣医師にはその傾向がある.結果として,入省してくる新人獣医師に,どれだけやり甲斐のあるポストを用意できているかと考えると,大いに疑問がある.
  私は,若い公務員に求められる要件として,次のようなことをお願いしている.まず,基本的な姿勢として,常に明るく元気で,課題から逃げることなく前向きにチャレンジする気概を持つこと.次に,公務員としての広い視野と国際人としての語学力,良い意味での人脈を持つこと.そして,業務遂行過程における自らの発想を大切にしつつ,主体的に業務をこなすことである.このような姿勢を持ってこそ,自らの業務に対する充足感と公務員獣医師としての生き甲斐に繋がるのではないか.
  公務員獣医師の処遇改善は,その活動する組織の中で,存分に実力を発揮し高いポストを勝ち取ることで,必然的に実現されるべきものと考える.そうしてこそ,あらゆる職種を抱える公務員社会の中で,獣医師が真に評価されることになるのではなかろうか.我々公務員獣医師が,自らの職域を魅力あるものと感じることができれば,優秀な若い獣医師も興味を示してくれるはずである.
  我々公務員獣医師にとって,良い流れもある.これは,国にとどまらず,地方公共団体,研究機関,大学等にも関係する.それは,食の安全行政に導入されたリスク分析の考え方であり,行政施策の検討から実施のすべての過程において,リスク評価,リスク管理,そして関係業界や消費者等のステークホルダーとリスクコミュニケーションを行いつつ,施策を推進するというものである.それを支える科学として,従来の基礎科学と革新的科学のほかに,行政科学(レギュラトリーサイエンス)という分野が重要視されるようになったことである.この行政科学は,疫学に代表されるように,畜水産業,動物飼育,自然環境等の現場の実態と密接に関連している点で,家畜衛生,公衆衛生,動物愛護等の行政施策に従事する公務員獣医師が主役となり得る分野であろう.行政の現場を熟知し,最新の科学的知見に基づく定量的・定性的なリスク評価結果を踏まえ,リスク管理措置としての行政施策を講じていくことになる.このように各種の規制が科学的根拠に基づき作られ,規制される側の業界や生産者の立場から見ても過不足がなく,国民・消費者全体の利益に繋がるものであれば,担当する公務員にとっても十分な満足感が得られるであろう.更にその成果として,種々の科学論文の公表や学位の取得等も可能となれば,魅力は倍増するに違いない.
  公務員を事例として,若い獣医師に提供すべき魅力的な職場と,獣医師が具備すべき専門的知識と広範な知見の必要性を述べたが,それを培う獣医学教育の重要性は論を待たない.
  獣医学教育については,それとの対比において,獣医師国家試験の内容との関係に言及されることがある.獣医師国家試験に問題なしとはしないが,その目的は,「飼育動物の診療上必要な獣医学並びに獣医師として必要な公衆衛生に関する知識及び技能」を有することを確認することである.その点で,獣医師国家試験は,獣医師の広範な就業領域をカバーするものではない.最高の学府としての大学教育においては,獣医師国家試験の範囲にとどまることなく,小動物・産業動物診療,動物衛生・公衆衛生行政,学術研究,民間企業活動等獣医師の活動分野に相応しい専門的かつ広範な獣医学教育を実践していただきたい.
  現在,農林水産省では,獣医師国家試験の改善に向けた検討を進めている.最近,獣医師についても職業倫理や法令遵守が問題となっていることを受け,獣医師としての資質や倫理に関する設問を必須問題として出題する予定である.獣医師の活動分野は広く,関係する法令も広範に及ぶことから,当省では本年度から厚生労働省と協力しつつ,各獣医系大学のご要望により,関係法令等に関する出張講義を実施している.獣医学教育については,欧米諸国との比較においても,その充実・改革が検討されて久しく,早期の実現が待たれる.このような改革の実現は,有能な学生にとっても,単に小動物診療に偏ることなく,職業選択の視野が大きく広がることに繋がるものと期待している.
  産業動物診療獣医師の不足は,畜水産業の健全な発展にとって重大な課題である.農林水産省としては,従来の卒後研修への助成に加え,獣医系大学生の産業動物臨床研修への助成,奨学金給付額の増加等について検討している.
  獣医師の需給見通しの検討の中で明らかとなったが,農業共済獣医師の年収が,43歳の平均で8百万円余りであった.職業の選択は,業務に対する魅力とやり甲斐が一番とは言え,優秀な学力を持って6年制大学を終了した新規獣医師を処遇するには,余りに低過ぎはしないか.
  近年,畜産の世界では,管理獣医師としての役割が求められている.これは,既に養鶏や養豚の世界では定着しているが,獣医師が単に治療を主体とした診療サービスのみでなく,予防衛生に力点を置きつつ,全般的な飼養管理から経営管理まで実施しようとするものである.このような管理業務を行う個人又はグループでの産業動物開業獣医師の中には,広域・多数の畜産経営者と契約に基づく管理業務を行いつつ,国内外での研修による自己研鑽も実施し,遥かに高額の収入を得る方も少なくない.このような産業動物獣医師業務であれば,若い獣医師にとっても就業先として十分な魅力があろう.
  ところが,管理獣医師業務の中で一般的に行われている注射等の獣医療行為を畜産経営の雇用者に実施させることについて,診療権限の侵害だと非難される向きもある.しかし,そのような指摘は,畜産現場における獣医療の実態に合わないし,畜産業界からも支持されないであろう.管理獣医師は,個別の診療行為に固執せずとも,畜産経営全般を指揮監督する中で,家畜の健康と畜産物の安全の確保は十分担保できる.それが実需者である畜産関係者から評価される姿であろうと考える.今後は,養鶏,養豚に限らず,酪農や肉用牛の世界でも,このような産業動物管理獣医師が増加するものと見込まれる.その結果として,産業動物獣医師の不足問題も解決の方向に向かうのではなかろうか.
  近年,小動物診療分野へ就業する新卒の獣医師が多い.その背景には,犬猫等の飼育頭数の増加,家族の一員としての位置付けと長寿化に伴う高度獣医療への需要の進展がある.これに対し,獣医師側の対応にも目を見張るものがある.日本獣医師会等関係団体を中心に,高度獣医療サービスの提供に向けた研修活動が精力的に実施されている.それに参加される獣医師の方々も熱心に技術の獲得に研鑽されている.また,高度獣医療を提供する診療施設として,獣医系大学の附属病院のほか,適切な役割分担の下で個人開業施設も設置されている.まさに,技術的にも社会的評価においても魅力ある職域であり,新卒獣医師の半数がこの分野を志向することも頷ける.
  また,小動物診療分野においては,その業務を支える職種として動物看護士が注目されるようになっている.最近,動物看護士関係の協会を設立するための準備会が設立された.その目的は,動物看護士の資格を明確に位置付けること等と聞いている.これを機に,動物看護士の資格認定の一本化と,教育水準の平準化が進展するよう,大いに期待している.
  このような獣医師,動物飼育者双方からの要請に応えるべく,農林水産省においても新たな行政対応を行うことにしている.
  まず,獣医療における高度放射線診療体制の整備である.現在,獣医療法においてはエックス線装置のみが規制対象となっているが,この春からは,診療用高エネルギー放射線発生装置や診断用放射性医薬品の活用等が可能となる.高度獣医療提供の一助となるよう期待している.
  また,愛がん動物の飼育が増加する中で,動物飼育者等からは診療施設に関する情報提供の要望がある.このため,先行している医療法に倣い,獣医療法においても今年8月から広告制限の緩和を行う予定である.これにより,新たに避妊・去勢手術,狂犬病の予防注射,犬糸状虫症の予防,健康診断等の広告が可能となる.ただし,これらとともに,費用広告,比較広告及び誇大広告を行うことは禁止される.
  さらに,昨年3月,米国において有害物質を含むペットフードにより多数の犬や猫が死亡する事件が発生した.これを受け,農林水産省と環境省では,「愛がん動物用飼料の安全性確保に関する法律案」をこの通常国会に提出することにしている.この法案の中では,獣医師に対する規制は予定していないが,ペットフードが原因で事故が発生した場合,その診断を行った獣医師には,直ちに情報提供していただくようお願いしたい.
  小動物診療分野においては,このほかにも動物薬事の観点からお願いしたい事項がある.
  まず第一に,狂犬病予防注射である.同ワクチンは,副作用を防止するために数次に渡って改良がなされている.しかしながら,最近においても年間十数頭の副作用による死亡事故が発生している.大半はアナフィラキシーによるショック死だと思われるため,同予防注射の実施前には,当該動物に対する過去の診療履歴を踏まえ,十分な事前チェックと予後観察を実施するとともに,不幸にして事故が発生した場合には直ちに薬事法に基づく副作用報告を行っていただきたい.この視点に立てば,現在実施されている集合注射は,一部の獣医療過疎地域等を除き,前近代的な獣医療サービスの形態と言わざるを得ない.獣医師の責務である最高の獣医療を提供するためにも,速やかに個別診療施設における予防接種に転換すべきである.この対応は,獣医療トラブルを回避し,動物飼育者の信頼確保にも繋がる上に,獣医師の社会的評価の向上にも貢献するものと考える.
  第二に,小動物獣医療における動物用医薬品の積極的な使用である.現在,小動物獣医療においては,犬糸状虫症の予防薬やノミの駆除薬等の動物専用薬を除けば,その9割近くは人用医薬品が使用されていると聞く.人用医薬品や輸入医薬品によって動物に副作用が発生しても,薬事法に規定された獣医師による副作用報告はなされず,当該医薬品の安全性の改善や注意喚起がなされないまま使用が続けられることになる.また,家庭内で飼育されている動物も多く,薬剤耐性菌問題も懸念される.獣医師,動物用医薬品業界,規制当局の三者が相互に協力しつつ,豊富な動物用医薬品を合理的な価格で提供し,獣医療において適正に使用されることが望まれる.このような取組みによってこそ,真に動物飼育者等国民全体に信頼され支持される獣医療業界となることができるのではないか.是非とも,ご理解とご協力を賜るようお願いしたい.
  以上,「獣医師の近未来」と題して,獣医師への期待と要望を述べさせていただいた.繰り返しになるが,冒頭に述べた獣医師の需給問題や処遇改善の問題は,単に収入の問題ではない.その獣医師としての活動分野が,社会的にも十分に評価され,若い獣医師にとっても魅力的なものであれば,自ずから人は集まるものであろう.そして,その実現のためには,我々社会人獣医師が自らの業務内容を客観的に見つめ,社会的に評価されるものとなっているか,常に必要な改善を行っていくことが重要であろう.
  日本獣医師会及び地方獣医師会は,科学の進歩と獣医師に対する社会的要請に機敏に対応することが求められており,既得権益を擁護する団体にとどまるべきではない.仮に,後者が優先することになれば,若い優秀な獣医師の賛同を得ることは難しいし,組織力も低下することになろう.
  社団法人日本獣医師会と地方獣医師会,獣医師各位のご理解・ご協力とご尽力に期待するとともに,益々のご発展を祈念する次第である.


† 連絡責任者: 境 政人(農林水産省消費・安全局畜水産安全管理課)
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