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論 説

来たれ! 公衆衛生獣医師

加地先生 (厚生労働省医薬食品局食品安全部監視安全課長)

 

先生写真 今や医学部に進学するよりも難しくなってきたともいわれている獣医学科の学生の大半は,小動物診療に従事することを目的として,難易度の高い入学試験を突破してきている.予備校でも医歯薬系の特別クラスが,医歯薬獣系と名称変更するところも増えてきており,宣伝のチラシにも獣医科大学に入学した予備校生の顔写真と名前が堂々と掲載されているものをよく見るようになった.
 私が獣医学科を卒業した30年前には想定外の状況である.確かに当時でも若干は人気が出始めてはいたが,漫画「動物のお医者さん」がヒットする前であったので,教養部のあの成績で「H大学」の獣医学部に進学できたのは,つくづく早く生まれてきたおかげだと思う.
 30年前のH大学での小動物診療は,動物病院の専任教授とスタッフがほそぼそとやっているだけで,解剖や病理はもちろん,外科・内科でさえ小動物について教えてくれる先生はいなかった.そもそも臨床教育があったと言えるかどうか怪しい.卒業後の進路は,大学や研究所,大動物診療,製薬及び食品メーカー,国・地方公務員がほとんどで,小動物診療に就いたのは家業を継いだ一人だけだった.公衆衛生分野には,私をいれて1割が就いている.
 現在,自治体では団塊世代の獣医師職員が,大量に退職する時期が迫りつつある.それは公衆衛生分野ばかりでなく家畜衛生分野の獣医師も同様である.先般も日本獣医師会,家畜衛生職員会及び全国公衆衛生獣医師会の三者協議会が開催され,現状と今後の展望を議論したが,今後5年の間に,公衆衛生・家畜衛生獣医師の確保を真剣に行っていかなければ,地方自治体での獣医師,獣医療行政は破綻してくるのではないかという,大きな危機感を確認するにとどまった.
 都市部の数少ない自治体を除いて,軒並み定員割れと,募集しても応募者が集まらないという状況である.例え獣医学科のある大学の自治体であっても卒業生はみんな首都圏の開業のもとに去ってしまうという状況だ.地方自治体ではBSEの発生以来,獣医師の食の安全への貢献が認められ,定員増になったにもかかわらずそれを充足できないでいたり,食肉衛生検査所に獣医師を重点配置するために,保健所や本庁に勤務する獣医師を検査所に異動させたりして,対処せざるを得なかったところも多い.
 公衆衛生分野での医師の確保問題は以前から深刻化している問題であるが,獣医師の確保問題のほうが深刻さにおいてはそれ以上かもしれない.すでに遅すぎるのではという声もあるが,何もしないで手をこまねいている場合ではない.獣医師会も大学も本気で公衆衛生獣医師の確保を考えていただき,協力して欲しい.
 厚生労働省での獣医師の採用については,昨年度は受験者が11名で,面接受験者が3名であった.そのため1名しか採用することができなかった.このことに危機感を感じて今年は3月から,担当者を各大学に派遣して説明会を開催し,厚生労働省での獣医師の仕事をPRしたり,インターンシップで業務を経験してもらったりしたところ,面接に12名が残り,3名の優秀な獣医師に内定を出すことができた.いずれもインターンシップや説明会の参加者であった.
 大学を回った担当者からの報告によると,まず,第1に大学では獣医公衆衛生行政を教えていないということ.また,それを教えられるスタッフが一部の例外的な大学を除いて,皆無に近いということ.第2に,大学の教官が獣医公衆衛生行政の経験も知識もないことから,学生への進路指導では消極的であること.過去には何度か公衆衛生分野の教官の方々への啓発活動を行ったりもしたが全く効果はなかった.その上,大学には家畜衛生分野出身の教官が多いせいか,学生が公衆衛生部局と農林部局の選択に迷った場合,農林部局を勧める傾向が強い.従って,第3に,学生は小動物臨床を志向して入学しても,その後の6年間で自分の性格が臨床に向いていないとわかっても,方針転換の道を知らず,また,衛生行政に対する適正があったとしても,知らずじまいでおわるということになる.
 獣医公衆衛生行政は,食品安全対策,動物由来感染症対策,動物愛護と幅広く,人類の健康維持と幸福な社会を発展させていくために,働きがいのある獣医師の分野である.個々の動物を治療するのではなく,動物群,公衆,社会といった集団を対象として,獣医学のすべての知見と獣医師としての思考様式を使って行う,魅力ある活動である.
 例えば,微生物学と病理学の知識をもとに牛,豚等の家畜の疾病を診断し,食用に適するか否かを判断する.微生物学や疫学の知識を駆使して,食中毒事件の原因を究明し,再発防止のための対策をつくる.必要に応じて,食品メーカーや飲食店に対し,営業禁停止などの行政処分を執行する.食の安全を確保するための法律や条令を作るなど,社会を改善するための制度改革を実施する.食品輸出国に出向いて汚染調査や技術指導を行う.新たな感染症の発生を予測しながら,野生動物の調査体制を構築していく.動物実験の結果を評価して,残留農薬や動物用医薬品の規制値を決めていく,等々.いずれも人の健康・安全を目標として,多数を対象とする獣医学の実践活動である.
 獣医師よ来たれ!(地方自治体・厚生労働省の)公衆衛生行政へ.

「人生で大切なものは,勇気と想像力,      
それに少しのお金だ.」
チャップリン『ライムライト』より



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