動物看護士を目指す若い人たちの前で話をさせられた.話の枕に,その日の朝新聞で見かけた投稿川柳「かすがいが犬に替わってまだ夫婦」というのを紹介した.たぶんどっと来るだろうと思ってたが,予期に反して大声を出して笑ってくれたのはその学校の役員をやっておられる年輩の方お一人だった.若い諸君の反応はあまり良くない.多くは何が面白いのだろうと不思議な顔をしてきょとんとしている.これはいかん,連中「かすがい」という物というか言葉を知らないなと感じたから,まず建築資材である「かすがい」の説明から始めた.しかし,「かすがい」という言葉の意味がわかっただけでは冒頭に紹介した川柳の本当のおもしろさはわからない.もう一つ「子はかすがい」という有名な落語を知っていなければならない.そこまで説明すると話は長くなるし,その日の話の枕にわざわざ使ったインパクトも半減する.説明は「かすがい」だけで勘弁してもらった.そういえば,ある落語家が,最近は「子はかすがい」の話をするのに「かすがい」の説明から始めなければならないのでやってられねえとこぼしていたのを聞いたことがある.古典落語もやりにくくなってることは十分に理解できる.落語の中で,町人が侍に対して「さんぴん」と蔑んで呼ぶことがある.さんぴんは漢字で書くと「三一」である.これはさいころの目の話ではない.三一は一年に三両一人扶持の俸禄を受ける身分のことで,身分の最も軽い侍を指している.これなどとんとんとーんと進む落語の話の中でいちいち説明していては話にならない. 以前にも書いたことがあるが,私の母の葬儀で,「故人は這っても黒豆でした」と挨拶したところ,あとで,あれはな〜にと聞かれたことがある.頑固者の例えですと説明はしたが,肝心の話の時にわかってもらえないようではユーモアがユーモアでなくなってしまう.別にカントやニーチェを持ち出すつもりはないが,昔の常識や教養が通用しないようでは話がやりにくい.とくにユーモアや,皮肉が通じないのは困るより残念だ. それとは逆に我々年輩者は新しい言葉特にカタカナ言葉に戸惑うことが多い.インセンティブ,モラルハザード,シミュレーション,ユビキタス,エンフォースメント等々あげればきりがない.とくにパソコンをいじっているとやたらというかほとんど全ての指示がカタカナで示される.ログインぐらいならわかるが,スクロールやテキストファイルなんて言われてもはてなんだっけである. 昔霞ヶ関で仕事をしたことがあるが,そのころ予算請求に横文字(カタカナ語)を使った方が予算を取りやすいと言う風潮があった.同じ内容でもその方が説得力があるというのである.インフラ,シルバーケアー,第三セクター,モニタリング等々である.あれも本来の日本語を無視しておかしなカタカナ語をはやらせた元凶であろうと思っている. 新しいカタカナ語を全て否定するつもりはないが,伝統ある日本語の意味それに正しい日本語の使い方をもっと大事にしてほしいと思う.
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