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訃 報

中村 寛先生のご逝去を悼む

中村 寛先生

 本会第7代会長の中村 寛先生が本年4月19日に逝去(享年93歳)され,告別式が長男の中村康夫氏により4月21日に大阪府吹田市の公益社「千里会館」において親族による密葬として執り行われました.ここに,謹んでご冥福をお祈り申しあげます.

中村 寛先生の逝去を悼んで
 社団法人日本獣医師会を代表して,ここに哀悼の言葉をささげます.
 中村先生は,生前の昭和48年4月から53年3月までの2期5年間にわたって日本獣医師会の会長を務められました.当時の社会情勢は,高度経済成長期が終焉を迎え,第一次オイルショックと公害問題が重大な社会問題となり,これら克服のために科学技術の転換に大きな期待が求められた時期でもありました.
 そうした時代背景の中にあって,日本獣医師会の会長として中村先生は,日本獣医師会会誌に「科学技術者としての獣医師のありよう」を毎月連載され,実に56回を数えましたが,この中で会長在任中に中村先生が終始貫かれたことは「科学者は自分の持ち場で少なくとも嘘をつかない」ということでした.
 このことは,21世紀を迎え科学技術が格段に進歩した現在においても決して変わることがない真理であり,われわれ獣医師は科学技術者として常に肝に銘じなければならないことと思います.
 顧みれば,中村先生は大正3年に島根県浜田市で生まれ,昭和9年に盛岡高等農林学校(現・岩手大学)獣医学科を卒業され農林省播磨種鶏場に勤務されました.その後,関東軍軍馬防疫廠に入隊され,終戦後は昭和22年11月までソ連に抑留された経験をお持ちです.そして,帰国されてからは大阪府で開業され,大阪府獣医師会会長をはじめ近畿地区連合獣医師会会長等を歴任されたほか,農林省の獣医師免許審議会委員,厚生省の中央薬事審議会臨時委員,総理府の動物保護審議会委員等の政府委員も数多く務められ,昭和48年には藍綬褒章,昭和59年には勲三等瑞宝章を受章されています.
 特に,日本獣医師会会長としては,新青山の会館建設に尽力されたことをはじめ,現在の「動物の愛護及び管理に関する法律」の前身である「動物の保護及び管理に関する法律」の制定に努力され,また,診療獣医師のためには獣医師賠償責任保険等の福祉共済制度を創設されました.そして,獣医界が長年望んでいた獣医学教育六年制実現に向けた獣医師法の一部改正(獣医師国家試験受験資格を修士課程2年積上げによる6年に変更)という偉業を達成されたことは,数々の多大な功績の中でも決して忘れられることはないでしょう.
 ここで,中村先生が生前大切にされた故事(ことわざ)を一つ申しあげます.「初めあらざるなし,克く(よく)終わりある鮮し(すくなし)」…….中村先生は,平成13年に「今後に続く獣医師のために役立てて欲しい」として日本獣医師会に「中村寛獣医学術振興基金」を創設されています.正に,中村先生の生き方はこの故事のとおりであったと思うところです.
 私どもは,中村先生のご遺志を受け継ぎ,獣医界の発展のために今後とも努力して参る覚悟でありますので,どうぞ見守っていてください.
 万感胸に迫る思いを込めて,お別れの言葉といたします.
合 掌
平成19年4月21日
社団法人日本獣医師会 会長 山根義久
 

 

【略 歴】

大正3年1月4日:島根県浜田市で誕生
本籍地:島根県浜田市新町47番地  
現住所:大阪府吹田市千里山西1丁目15番9号
日本獣医師会顧問,大阪府獣医師会名誉会長,浜田市名誉市民,医学博士


昭和9年3月: 盛岡高等農林学校獣医学科卒業
昭和9年4月〜: 農林省播磨種鶏場助手
昭和12年1月〜: 関東軍軍馬防疫廠付陸軍技師
昭和12年8月: 獣医師免許(登録第5557号)
昭和20年8月〜: ソ連抑留(エラブガ収容所)
昭和23年12月: 舞鶴帰還復員
昭和24年7月〜: 開業(大阪府吹田市)
昭和35年3月: 医学博士
昭和40年3月〜: 大阪府獣医師会会長
昭和44年4月〜: 近畿地区連合獣医師会会長
昭和48年4月〜: 日本獣医師会会長
昭和48年11月: 藍綬褒章受章
昭和53年2月〜: アジア獣医師会連合副会長
昭和59年11月: 勲三等瑞宝章受章
平成元年9月・平成3年10月: 紺綬褒章受章
平成4年10月: 浜田市名誉市民