会報タイトル画像

馬耳東風

 6月10日は時の記念日である.なぜこの日が時の記念日か.それは671年6月10日,天智天皇が,漏刻という水時計を新設して「時」を知らせたことに由来する.滋賀県の近江神宮の時計博物館にその模型が置いてあったと記憶する.水時計というのがいかにも日本らしい.時計とは時の進んでいく様を計るものであり,そもそもは太陽の動きにあわせるのが自然であるが,必ずしも晴れた日が多くない日本では水時計が公式時計として採用されたのであろう.しかし世界の多くの文明発祥地では日時計が時間を計る物差しとしてスタートしている.紀元前4千年には既にエジプトで日時計が使われている.
 ところで,法律で決めているわけでもないのに,どこの国でも時計の文字盤は右回りである.車の通行は国により左側右側の違いがあり,競馬だって左回りもあれば右回りもある.それが時計だけはどこの国でも右回りだ.最初に時計の文字盤を作った人(国)が右回りの文字盤にしたからであり,そしてそれがどこの国でも自然に受け入れられたからだ.何故右回りか.理由は日時計とされている.地上に作られた日時計の陰は右へ右へと移動する.必然的に時計は右回りになったというわけだ.これが定説だ.しかしちょっと待て,それは北半球での話であって南半球では日時計の陰は左へ左へと動くはずではないか.その通りであるが残念なことに当時の地球上の文明はほとんど北半球に集中していた.もしインカ文明が時計発祥であったなら文字盤はきっと左回りになっていたに違いないし,また我が国が時計発祥の地であったなら,漏刻に習って縦型のアナログ時計が世界基準になっていたかも知れないのだ.
 もう一つ待った! かつて北ヨーロッパのどこかの街で,建物の壁面に作られた日時計を見たことがある.恐らく他にも壁面に作られた日時計はあったと思う.北半球でもあの種の日時計の陰は左回りではないか.いわゆるクロック,壁面につける時計では左回りが元祖でもいいははずだ.そこで思い出した.イタリアのヴェネッチア,サンマルコ寺院の大広間の時計は左回りだった.わざわざガイドが説明していたから間違いない.話では,プラハのユダヤ教寺院の時計も左回りだそうだ.日本でも,見たことはないが美容院や床屋専用に左回りの時計があると聞いたことがある.
 認知症の診断法の一つに時計の文字盤を書かせるのがあるというが,左回りを描いたからといって認知症にされてはかなわない.そうは言っても今更左回り時計を認めれば世の中を混乱させるだけであろう.認知症と診断されぬよう時計は右回りと肝に銘じよう.

(子)