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論 説

薬 理 は 臨 床

小久江栄一 (東京農工大学名誉教授)

先生写真1 臨床薬理学が認知された
 「薬理は臨床」というのは,筆者が恩師吐山豊秋先生と初めて会ったときに伺った言葉である.当時はその意味をあまり考えなかったが,時が経つに連れて重みを感じ,現在に至っている.東京農工大学の獣医薬理学教室は私が学部を卒業(昭和39年)した年にできた.「そういうことでよければ,しばらく居てもいいですよ.」と言ってくださった.筆者自身が臨床志望だったせいもあり,あまり先のことは考えずお世話になることにした.
 吐山先生は農工大就任後,“動物丸ごとの薬理学”を提唱し,薬物動態学を基礎にした「臨床薬理学」を確立された.しかし,昭和の時代,獣医学会・薬理分科会は平滑筋薬理が全盛で,それは今でも色濃く続いているように思うが,農工大の薬理は大体において理解されていなかったようである.あれは薬理ではない,とも言われていたらしい.筆者はあまり気にせず気にもならず,“薬理は臨床”に励んだ.それが驚いたことに,ごく最近,薬理分科会で“農工大の一人勝ち”という声が上がったとか聞く.私はその頃すでにリタイアしていてどうしてそうなったかは知らないが,“薬理は臨床”が薬理分科会で,少しは認知されたのだと思った.

2 先進国との差は広がる
 先進国の獣医薬理学は進展が激しい.有名な総説シリーズ「Veterinary Clinics of North America」が,昨年8年ぶりに臨床薬理学をテーマにした.10章からなるトピックスはみな面白かったが,特に「獣医薬理遺伝学」の記述が印象に残った.薬物反応は遺伝子レベルでは個々の患者で違う.犬といっても遺伝学的な背景は様々である.完璧な投与計画のために遺伝子解析データーを組み込んだらどうか,という提案である.同じく個体診療をテーマにした「動物薬の調剤調合」も面白かった.ペット患者個々にピッタリの薬剤を提供するためには調剤が必要であるとし,その問題点を述べている.薬剤を飲むのを嫌がる動物に対応する薬剤味付け法,インコンプライアンスに対応する経皮ゲル剤作製にまで話が及ぶ.
 また昨年,Blackwell社が“Veterinary Psychopharmacology(獣医精神薬理学)”を出版した.ペット動物の問題行動治療薬をまとめた薬理学書である.個々の問題行動の病態生理を基礎に,問題行動の治療と精神薬投与のノウハウを書いている.精神病の人と動物における相似・相同性や,人の精神病の治療法を動物に外挿すること可否など,獣医薬理学研究の精力的な活動がしのばれる.
 このような獣医薬理学の進展は,獣医臨床の治療レベルが急激に上がっていることが原因であろう.薬理学もそれに対応せざるをえない.日本の獣医臨床のレベルも上がっている.薬理学分科会もよほどしっかりしないと,獣医学の他分野から取り残されると思う.“薬理は臨床”を認知した程度では心もとない.

3 臨床現場薬理学とは
 昨年からスタートしたポジティブリスト制度では,食糧生産動物の臨床に携わる獣医師の先生方が,休薬期間のことで苦労をなさっている.数少ない動物薬を工夫して使い診療するので,当然,承認外使用をせざるを得ない.しかし,承認外使用時の休薬期間の情報はない.そうしたことで,先生方からいろいろなケースでの休薬期間についてご相談をいただいている.直ぐにお答えできる質問もあれば,教科書を見ながら答えを書くものもある.中には以下のような難解な質問もいただく.
  • 乳房炎牛の盲乳化にヒビテン®(クロールヘキシジン)を使っているが,(他分房からの)乳は何日間出荷を見合せたら可いか.
  • 牛の手術にキシラジン(α2作動薬)を使うが,手術したあと牛がふらふらつく.アンチセダンム(アチパメゾール;α2拮抗薬)を注射して帰す事にしているが,乳の出荷は何日待てば可いか.
  • 同じく,拮抗薬にトラゾリン(α拮抗薬)を使ったときの,トラゾリンの休薬期間は何日か.
 ヒビテンの体内動態や,アチパメゾールやトラゾリンの休薬期間は教科書には書いてない.データーブックにもない.考えても答えは浮かばない.困った挙句にメッドラインにキーワードを入れたところ,そのものずばりがテーマになった1990年代の外国学術論文が,それぞれについて報告されていた.臨床現場での問題が獣医大学に持ち込まれ,共同で研究して結果を大学の先生が論文にまとめて発表したのであろう.畜産業と獣医大学の位置関係を新めて思い知らされた気がした.
 日本の獣医臨床の現場にはこうした問題が沢山あるのだろうと思う.まだ身体は少しは動くし,臨床現場に沢山の仲間がいる.いっしょになって,これから「臨床薬理学」から一歩踏み出した「臨床現場薬理学」をやろうと思っている.



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