「咲いた桜になぜ駒つなぐ,駒が勇めば花が散る.」粋な都々逸のひと節である.牧場の隅の桜に繋がれた馬の背に,ハラハラと花が散りかゝる風情が目に浮かぶ. 桜前線も次第に北上して,北国から桜の便りも聞こえてくるだろう.桜が咲くと,日本人は花見と称して宴を張る.この花見はいつ頃から始まったのだろう. 古い記録では,弘仁三年(812)嵯峨天皇が,桜を愛でる宴を催したといい.また紫宸殿の前庭左側の梅を桜に植え替えさせ,右近の橘左近の桜になったという. そもそも桜の語源は,サが田の神,クラは座を表し,「田の神が依りつく所」を意味するという説がある.古くから農民の間では,田植え前に豊作を願い,桜の頃「春山入り」と称して,飲食物を携えて山で過ごす宗教行事があり,一方奈良・平安時代には,貴族は桜を愛でて歌を詠んだという. この農村信仰と貴族的な観賞が,次第に庶民の娯楽へと変わっていったのが「花見」のようで,後に江戸時代参勤交代で全国に広がったという.特に徳川八代将軍吉宗は,これを奨励したといわれ,自らも鷹狩りの際桜の名所で派手にやったようだ.当時江戸では,上野,飛鳥山,向島などが桜の名所だったといい,鷹狩りの場所と一致している.またその頃全国にも名所があって,長崎の日見桜,阿波の北山桜,吉野の千本桜,美濃の淡墨桜,会津三原の滝桜などが記録にもあり,今も有名である. 花見の宴はつい無礼講になり喧嘩も絶えなかったようだが,一方では西鶴の「好色五人女」に出てくるお夏清十郎の悲恋物語りのような男女の出会いもあり,落語の「長屋の花見」にもでてくる庶民の楽しみでもあった. ところで桜といえば,よく縁日の叩き売りで見かける所謂「さくら」というのがいる.もとは,芝居で好きな役者に向って贔屓が声をかけて盛り上げるが,客が少ないとき客になりすましパッと声をかけパッと消える.この代役を桜にたとえたもので,明治中期からよく見られたと.人気商売の役者にしてみればかけ声は有り難いから,日当を貰って雇われた者も当時からいたそうだ. このさくらは今なお存在するが,驚いたことに昨年のこと,政府が主催した裁判員制度や教育基本法改正に関するタウンミーティングにこれがいたという.しかも日当まで出して,やらせだといって問題になった. さて春だ.鹿児島では「春でごわす,ぬくうなりもした」,大分では「ばされえぬくうなったのおや」,京都は「ほんまにええ陽気どすなあ」,岐阜は「のくとうなったなあ」,仙台は「春だっちゃねえ」,秋田は「あったげくなったべな」と挨拶すると聞いたが―
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