会報タイトル画像


学術・教育

─獣医学における学位の取得(I)─
獣医学博士取得のすすめ

三宅陽一(帯広畜産大学畜産学部教授)

先生写真 最近,ある学会会場で北海道内の若手臨床獣医師から,「論文博士はもう駄目なのでしょうか」と問われた.また,現在学位取得を目指している方からも同じような質問を受け,手持ちの新聞記事を改めて見直してみた.
確かに,中央教育審議会(中教審)の大学院部会では,学位の国際的信頼性を確保し高める目的で,社会人が業績を基に論文を書き上げてきた場合に,それを審査して博士の学位を授与する,いわゆる「論文博士」制度を廃止し,大学院に在籍したものにのみ授与する「課程博士」制度に一本化する方向で一致したとある.また,これを受けて文部科学省は,大学院に短期間在籍する「博士課程短期在学コース」の創設などを検討しているとされている.しかし,その一方で博士号の授与数のうち36%が論文博士であり,現在も企業などに所属しながら学位を得ようと論文を書く,あるいは書こうとして頑張っている社会人が多いことから,論文博士制度の廃止は影響が大きく,廃止の時期はさらに議論が必要としている.
 これによれば,当面は論文博士の制度は維持され,臨床や公衆衛生分野などで活躍している獣医師が努力の積み重ねの結果として博士(獣医学)の学位を取得する道は確保されているといっても過言でない.しかし,この流れは変わらないだろうと思う.いずれ,何らかの形で大学院に在籍(すなわち,入学金や授業料を支払って)して指導を受けて論文を提出する制度への移行が早かれ遅かれやってくると思うので,学位の取得を希望する方はそれを見越して準備を進めたほうが良い.
 ところで,先の質問者は,「現在どのような仕組みで学位が取得できるか」とも聞いてきた.学位を授与している大学院ごとにそのシステムは違うので,よく調べたほうが良いと答えたものの,案外学位を取得する仕組みが理解されていないことに気付かされた.また,「学位を取ってみたいと考えているのですが」という問いかけは,自分の臨床経験をベースに科学的な解明を行って,近い将来に博士(獣医学)の学位を取得してみたいと考えている臨床家が少なくないことを知った.
 学位取得が可能なさまざまなシステムについては,それぞれの大学院の責任ある立場の方からの紹介に譲るとして,獣医師の多くが博士の学位をもっている,そのような社会的環境は,獣医学(獣医療)の地位の向上に直結するものであり,獣医師の社会的認知に直結するものではないかと常日頃考えている.正確な数値ではないが,医学の分野では卒業生の7割近くが医学博士の学位を取得して医療に従事していると聞く.この称号だけが医療従事者の社会的な地位の高さと関係があるとは思わないが,少なくとも「医学を極めた」技術者に身を任せることへの信頼が彼等の社会的地位の高さと無関係ではないだろう.翻ってわれわれ獣医学関係者はどうであろう.
 この1年間の北海道獣医師会雑誌をひも解くと,3名が学位を取得したとある.昨年末から最近では1名の獣医師が岐阜連大(帯広畜産大学)から学位を取得したと,「会報通信」に紹介されているにすぎない.産業動物に限っていうと道内には開業獣医師も含め700名近い獣医師が日夜診療に従事して,直るはずなのに直らない疾病や貴重な症例に日々苦労しているにも関わらず,博士(獣医学)の学位をもっている方は10名にも満たないのではないだろうか.ちなみに私が兼務している岐阜大学大学院連合獣医学研究科(博士課程)でこれまでに学位を取得された道内関係者は,課程博士で5名,論文博士で4名程度である.
 一方,東北地方においては臨床獣医師の学位取得者を続々と輩出している.NOSAI山形ではほぼ60名の臨床家のうちこれまでに7名が学位を取得し,今も数名が準備中と聞いている.また,NOSAI宮城でも約40名の臨床家のうち,これまでに2名が学位を取得したとのことである.
 もちろん,学位を取ることは目的ではないし,取ったからといって待遇が改善されることもないだろう.しかし,たとえば雌牛の繁殖障害や蹄の適切な管理,あるいは感染症の防圧に関する学理を極め,これに関しては私にお任せ下さい,専門家です,と自信をもって標榜できることは獣医学徒としての誇りと自信に繋がるものではないだろうか.また,身近かな症例を「研究」して「極め」,「まとめる」ことの喜びと苦しみは,臨床家として成長し,飛躍する上で大きなステップとなることが期待できる.そして,説得力のある獣医療の確立を通して日頃の診療に当ることが,農家,動物飼育者の信頼を勝ち得,かつ利益に直結する一番の早道であることは間違いないだろう.
 さきに道内で博士の学位取得者が少ないと嘆いた.一方で,小動物臨床分野では全国的に若手を中心に一時的にしろ,職を投げ打っても研究生活に身を投じて学位を取得する臨床家は年々増え,「学理」に裏打ちされた臨床の世界を切り開いている.しかし,産業動物の分野でも今,既取得者に励まされて,「学位を取ってみたい」と問を発する若手や中堅どころの意欲に溢れた臨床家が少なからず存在することは,産業動物臨床の世界に新しい息吹きを感じさせる.
 この夢の実現には組織を上げた支援が必要だ.NOSAI山形では,学位取得対象者に年間15万円の「奨励金」を支給しているし,一人の学位取得者が出ると,「次はお前の番」とばかりに半強制的に「研究」に向わせていると聞く.また,NOSAI宮城でも15万円の「特別研究費」を出している.さらに,常に疑問とたゆまない好奇心をもって日々の診療に当ること,データベースを作成しつつ,課題設定に努力を惜しまない姿勢を組織全体で堅持することも大事だ.
 『臨床家は Scientistでなければならない』を座右の銘として,
 “臨床は宝の山,磨かざれば 光ることなし
必ず見つかる 輝く原石”
を信じて,「俺が学位を出してやったんだ」と農家から自慢される,そのような獣医師が数多く輩出される日がまもなくやって来る,そんな夢を描きながら.
 次号以降は,どのようなシステムで学位取得へ挑戦できるか,それぞれの大学院の責任者に原稿を依頼することとしている.



† 連絡責任者: 三宅陽一(帯広畜産大学畜産学部臨床獣医学講座)
〒080-8555 帯広市稲田町西二線の11
TEL 0155-49-5380 FAX 0155-49-5384 
E-mail : miyake@obihiro.ac.jp