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意見(構成獣医師の声)

「牛海綿状脳症の新しい知見を求めて」を拝読して

岡部一見(三重県獣医師会会員)

先生写真 私はBSEを始めとする海綿状脳症の研究者でも有識者でもなく,家畜衛生,公衆衛生に携わる行政官でもない.小動物を対象とする一開業獣医師であり,個人的に入手した情報等を基礎として,意見を執筆するので,学術的等の見地から間違った記載があれば,指摘いただきたい.
 日獣会誌第59巻第9号掲載の「牛海綿状脳症の新しい知見を求めて」を投稿された古好秀男氏の主張は,よく理解でき,特に,「6.さいごに」の記述にある,[1]感染した異常プリオン蛋白質が正常プリオン蛋白質を自発的に変換して増殖蓄積している変化を20カ月と21カ月齢とに機械的に月齢で区別して取り扱うことは的を得ていない.[2]感染した牛は全身が危険部位と考えられることから,異常プリオンが溜まりやすいとされる脳・脊髄等の危険部位を除去したからといって,その他の部位が安全という解釈は,末梢神経や筋肉内神経に含まれていると思われる異常プリオン蛋白質が,そのまま残っているので危険である.
 には,賛同と言うよりも,私自身も日頃から考えていた事である.
 編集発行者によると「何人かの有識者の方から,掲載内容は科学的検討によらず牛肉の危険性をことさらあおる.これが日本獣医師会の意見と捉えられるおそれを危惧する.とご心配をいただいている」との事であるが,私にはこの心配は理解できない.また,有識者の中には別の意見をお持ちの方もいらっしゃると思う.
 平成13年10月30日,日本農業新聞に掲載された日本獣医師会五十嵐幸男会長の特別寄稿文には次の様な記載がある.「国際獣疫事務局専門家会議においては,科学者はBSEの情報はそれが消費者を動揺させるものであっても積極的に提供する.同時にそのリスクに対し,どの様に対処するかも明らかにすべきである旨の勧告がなされている.肝に銘ずべきである」.この事は科学者のみならず,関係行政機関に対しても,同じ事が言えると思う.
 私が日頃指導いただいている農林水産省のOBの方(獣医師)が執筆した論説文の中に「法の格言に疑わしきは罰せずという言葉があり,安全性の格言には疑わしきは罰するとの言葉がある.」との記載がある.以上の様な考えを基礎としてBSE対策が行われるべきであると考える.さらに,ゼロリスクが望みえない事であっても,そのリスクをよりゼロに近づける事を大多数の国民は望んでおり,関係者はその為の最大限の努力をする事が重大な責務であると思う.
 20カ月齢の線引きについては,山内一也先生(財団法人日本生物科学研究所主任研究員,元食品安全委員会プリオン専門調査会委員)の講演会(平成18年4月22日,主催,食の安全・監視市民委員会)資料の中に次の様な記載がある.
 プリオン専門委員会において,「我が国における約350万頭において発見されたBSE感染牛11頭のうち,21,23カ月齢の2頭が確認された事実を勘案すると,21カ月齢以上の牛については,現在の検査法によりBSEプリオンの存在が確認される可能性がある」という表現についても特に異論は出なかった.しかし,その後に続く「20カ月齢以下の感染牛を現在の検出感度の検査法によって発見することは困難であると考えられる」という文言が問題になった.21カ月齢の陽性牛はそれ以下の月齢でも調べれば陽性になる可能性があり,科学的に月齢の線引きはできないという訳である.
 この討論をふまえて座長は,「350万頭調べて11頭の陽性牛があって,若齢牛がそのうち2頭を占めていた.それが21カ月と23カ月であった.その量的なものについて分析すると500分の1から1,000分の1と微量であった.そのうち350万頭調べて20カ月齢以下では陽性牛を1頭も検出できなかったという事実があるということで終える」と提案し,この部分の文言は座長に一任とされた.しかし,最終的に親委員会で承認された報告書には,「我が国における約350万頭に及ぶ検査により20カ月齢以下のBSE感染牛を確認することができなかったことは,今後の我が国のBSE対策を検討する上で十分考慮に入れるべき事実である」という文章が付け加えられた.
 この文章が盛り込まれた経緯は,次の月齢見直しの審議の冒頭で問いただされたが,あいまいな答弁しか得られず結局はっきりしないまま終わった.この20カ月齢以下の文言が入ったことが月齢見直しの根拠になり,米国産牛肉輸入再開につながったのである.
 この経緯をみれば,官僚の意向がこの文言に反映されたものと推測される.しかし,月齢見直しの諮問が提出されるまで,我々はこの文章の重要性に気づかなかった.科学者はこのようなレトリックの意味を認識できなかったのである.OIE,EUいずれも30カ月齢で線引きを行っている.しかし,30カ月齢の線引きは科学的に決定されたものではない.英国で1996年にvCJD発生が確認された際に,30カ月齢以上の牛をすべて殺処分して食卓にまわさない政策が決定されたのであるが,月齢確認の手段がなかったために30カ月齢で歯並びが変わることを利用したのである.そしてBSE発病が確認された牛のほとんどが30カ月齢以上であったことが,科学的根拠とされたのである.英国の専門家によればこの月齢は政治的に決定されたもので,科学者であればもっと若い月齢になったはずと言われている.
 一方,EUが30カ月齢の線引きを決めた際にも英国の場合と同様に,それまでに英国でBSE発病が確認された牛の99%以上が30カ月齢以上であったことと,月齢確認システムがなかったためである.すなわち,30カ月齢以下の牛でのBSE例は確率的にきわめて低いということが根拠であって,30カ月齢以下の感染牛が安全であるという科学的根拠にもとづくものではない.実際に感染実験では,6カ月目には回腸遠位部にかなり大量のBSEプリオンが見つかっている.脳や脊髄にBSEプリオンが見つかったのは32カ月目であるが,それまでの間,BSEプリオンが回腸遠位部からどのように広がり,どこで増殖しているのかはまったく分かっていない.30カ月齢以下であっても安全であるとはいえないのである.
 山内先生の主張によると,30カ月,20カ月齢の線引きには科学的根拠がないという事だと私は考えている.
 全頭検査が始まった頃,大多数の国民は,この検査で,100%近くBSE感染牛を見つけ出す事ができるものと思っていたのではなかろうか.しかし,ある時期から異常プリオンの量が少ない場合は,感染していても検査で陽性とならないという事が公けにされ,その後,国は20カ月齢以下の牛を検査の対象外と決定したのである.
 BSE対策について,平成13年9月,千葉県で我が国において,BSE感染牛第1号が発見され,その後僅かの期間に,全頭検査,特定危険部位の除去,肉骨粉の使用禁止,トレーサビリティ等の対策が実施,確立された.
 中でも,全頭検査の実施により,消費者,国民の国産牛肉に対するBSE不安は解消され,この任にあたる地方自治体の食肉衛生検査所の公衆衛生獣医師各位の功績は極めて大であると確信し,また,敬意を表する.全頭検査を行っていたからこそ,21カ月,23カ月齢の若齢のBSE感染牛を発見する事ができた訳で,英国やEU方式の30カ月齢線引きをしていれば,これらの若齢感染牛は発見できなかった訳である.安全対策は,その時点における最高レベルの方法をもって行う事を多くの国民は望んでいるのではなかろうか.これらのBSE対策は,真に我が国が世界に誇れる水準のものと考える.そして,その業務に携わり,日夜,額に汗している人の多くは我々の仲間である獣医師であるという事を忘れてはならない.国は全頭検査を見直した.しかし,私が住む三重県始め多くの地方自治体では継続して行われている.そして,世論調査では70%以上の人達が全頭検査の継続を望んでいる.
 一方,特定危険部位の除去を行えば,BSE対策は充分と主張する有識者がお見えになるが,平成16年11月1日,厚労,農水両省は,「日本で11頭目のBSE死亡牛検査で末梢神経や副腎からも異常プリオンが発見された.」と発表している.この事は,特定危険部位は,単に異常プリオンが多く蓄積される部位という事で,他の部位にも異常プリオンが存在する可能性がある.すなわち,特定危険部位の除去だけでは,安全対策は不充分である事が科学的に立証されたという事ではなかろうか.
 プリオン病研究でノーベル賞を受賞したS. B. プルシナ博士は,平成15年6月末に開かれた米国下院の食品安全に関する会議に出席し,「牛の異常プリオンは人間に感染しうる.欧州では,異常プリオンに汚染された牛肉や牛肉加工食品を食べた150人以上の若者らが死亡している」とBSEの危険性を強く強調.「今後も食品へのプリオン汚染はなくならないだろう」との懸念を示し,その上で,「日本が行っているような牛の全頭検査のみが,牛肉の安全性を確保し,消費者の信頼を回復することになる」と発言している.(土と健康誌・5年1,2月合併号より).このプルシナ博士の研究グループに属す米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校セーファー助教授は,日本農業新聞(平成16年8月29日)によれば,「日本が全頭検査を見直し,20カ月齢以上のBSE検査に切り替えるのは妥当か」という質問に対し次の様に回答している.「科学的根拠は何もない.検査の感度に左右されているにすぎない.今の検査は多い時で80%もの異常プリオンを壊してしまう.これが感度を落としている最大の原因だ.今回開発した検査法は,異常プリオンを壊さないので感度が高く,20カ月齢以下の若い牛でも感染牛を見つけられるだろう.検査費用も技術の普及が進めば,最終的に1頭当たり約1,300〜1,500円程度で済むと見込んでいる.BSEには肉骨粉が要因とみられる典型的なものに加え,まだよく分からない原因によるものが含まれている恐れがある.全頭検査の見直しは,データーの蓄積が進んでから考えることだ.新たな検査方法は,カリフォルニア大サンフランシスコ校が民間の企業に技術を供与して試験準備を進めている.米国農務省にも申請している.日本にも技術供与している企業の日本法人があり,数カ月後には準備が始まるだろう」(この検査法は欧州では現在承認されている.)このセーファー助教授が言う肉骨粉以外の原因には,英国のマーク・パーディー氏の「放射性金属,衝撃波,フェリ磁性プリオン説」も含まれているのであろうか.
 マーク・パーディー氏は日本でも講演しているが,その講演資料を私が日頃指導いただいているある国立大学獣医学科の名誉教授に送りお尋ねしたところ,その先生曰く,「私は以前からこの説に関心を持っていた.もし,今も現役だったら,牛を使って,実験をしてみたいと思った程だ.」との事であった.
 兎にも角にもBSEを始めとする海綿状脳症は,不解明な部分が多く,その全容とまでは行かなくても,それに近い状態にまでこの病気が解明されるまでは,全頭検査の継続,感度の高い検査法の導入が必要不可欠と私は考える.それが国民の安全・安心に繋がるのではなかろうか.さらにBSEの究明は重要な事であると考えるが,万が一にも,これを中途半端な形で幕引きする様な事があれば,その結果として残るものは国民の不安・不信ではなかろうか.
 我々小動物臨床獣医師が日々行っている診療において,科学的(学術的・技術的)な問題と同時に,飼育者に対する心のケアー,心の問題が重要な要素であると私は考える.当然,この両者には共有する部分は多くあるが,「食の安全・安心政策」において,安全は科学的な問題であり,その安全を基礎にしたところの安心は,真に心の問題である.「安全・安心政策」の主人公は当然国民である.食品安全基本法第13条には「施策の策定にあたっては,国民の意見を反映し」と定められている.この事が最も重要な事ではなかろうか.



† 連絡責任者: 岡部一見(おかべ動物病院)
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