光陰矢の如し,光陰に関守なし,を如実に感じるこの頃である.またまた新しい年を迎えた.今年は十二支最後の年,亥年である.新年の挨拶に最後の年なんて言葉は使われまい.必ずや猪突猛進が使われるであろう.猪は豚の先祖でもあり,カモシカや馬と違って足は短く形はスマートではない.それでも猪突猛進に表現されるように結構早く走る.オリンピックの百メートル選手よりも早く走れるらしい.昔,追いかけられたら追いつかれる寸前に牛若丸よろしくひらりと体をかわせば危険は避けられると子供のころ聞いた.しかしそれは間違いだ.猟師によると猪は如何に早く走ろうとも,急ブレーキや急な方向転換はお手の物だそうだ.昨今猪が増えているので気をつけたい.ちなみに昨年は,罠にかかった猪に,見回りに来た人が殺されたという報道があった. ところで,猪と人間の付き合いは相当古く,わが国の縄文期の遺跡から出てくる動物の骨で最も多いのが猪の骨である.若いころ仕事の関係で福井新聞の論説主幹と親しくなったことがある.他人の話を聞くのが私の仕事ですという彼をおだてて,逆に彼からいろいろ面白い話を聞いた.その彼がいうには,若い記者時代に縄文時代草創期を代表する福井県三方町の鳥浜貝塚の発掘に立ち会った事があるそうだ.その貝塚から多くの動物の骨が発掘されたが,もちろん猪の骨が一番多かったという.しかも不思議なことにその骨は幼獣と成獣の骨に2分極化されていたという.何故だかその中間の骨は見つからなかったそうだ.その話を聞いて,私はそれは猪を飼育していた証ではないかと思った.つまり,捕まえやすい猪の赤ん坊,つまりうりん坊を捕らえてきて,囲いの中で飼育して大きく育ててから殺して食べたに違いない.猪は豚の先祖である.雑食性で人間の食べ残しを含めて何でも食べる.したがって飼育は比較的容易である.では何故幼獣の骨が多く発見されたのか? それは当時の人が幼獣を好んで食べたわけではないと思う.今の技術でも新生児を無事育てるのは結構大変なことだ.ましてや畜産学,獣医学のかけらもなかった時代,幼獣の生存率はきわめて低かったに違いない.幼獣の骨が多く出るわけだ.それが骨の2分極化の原因だと思う.縄文期のわが国に畜産はあったのだ. 縄文期はともかく,江戸時代まで猪の肉は大衆に好んで食べられていたようだ.いわゆる牡丹鍋,しし鍋として愛されていたが,何せ公には四足の動物肉を食べることは禁じられていたため,商売としての店の看板には「山くじら」を掲げていた.最近まで東京新宿に「山くじら」の看板をみることができたのだが,今はどうなっているか知らない. 花札の猪には必ず萩がついている.逆かな? 萩に猪がついているのかな.猪鹿蝶というくらいだから猪の札でいいだろう.とにかく,猪と萩は相性がいい.秋のお彼岸に食べるおはぎは本来は亥の子餅といって,亥の日に食べるお餅だったのである.亥(猪)に萩はつき物だ.そこで亥の子餅はおはぎになるがストーリーだ.
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