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鶏 と の 関 わ り を 通 じ て
― 鶏の改良そして学校飼育動物HP ―
昭和40年代は日本の鶏の育種改良法が大きく変わった時代であった.個体中心の選抜方法から集団選抜の方法に移行した.当時,ファルコナーの量的形質改良の理論,ラナーの集団遺伝学の理論はあったが,この理論の実践は不可能であった.何故ならこの理論の実践には膨大な量の計算が必要であり,とても手計算では処理できなかったからである. しかし,40年代になると自治体にも大型コンピューターの導入が始まり,そのような計算も可能となった. 当時,私は研修生として千葉県にあった畜産試験場の育種第4研究室で,故山田行男博士,横内圀生(当時,技官)先生に,6カ月間研修を受け,ここで育種理論とそのコンピューター処理について叩き込まれた.そして,研修終了後,新しいシステムを電算課と共同で作成した. その後,育種改良に携るようになるが,どうしても外国鶏に追いつくことができなかった.もっとも大きな要因は集団の大きさにあると思われた.いわゆる選抜規模の違いである.これでは外国鶏に勝てるわけがないと思い,東北農業試験場(盛岡)で行われた,試験場の会議の際,東北5県の試験場のロード種を一つの集団として選抜することを提案し,実施することとなった.これなら集団の大きさも1,000羽以上になる. 全国の中からロード種を飼養している7試験場を選び,各形質の選抜基準を設け,それに合格した鶏からの種卵を福島県養鶏試験場に集め,ふ化させ,東北5県の試験場に配布するという大規模な育種改良を開始した. しかし,試験と言うものは面白いもので,本命が失敗しても,期待せずに試みたものが予期せぬ良い結果を出すことがある. 上記の試験でも,120日齢で体重が2kg以上となる,とんでもない成績を残すものがあった.これは採卵鶏としては論外であり,淘汰の対象である.しかし,10数羽であったが2年間,飼育してみた.この鶏が現在の肉用地鶏の雌方として大いに役立った.福島県の場合は福島赤しゃも(川俣しゃも)の雌方として用いられている. また,当時,当場では赤玉鶏の作出が,改良の主体を占めていた.その組み合わせ検定のコントロールとして導入した鶏と本命のロード種を交配してみると以外にきれいな赤玉卵鶏ができた.この結果から戻し交雑を行ったが,これは現在の赤玉鶏(福島クロスPブラウン)の元となった.これも試験設計外のことである. この時,試験研究というのはどんなことでも試みるものだと言うことを悟った. 一方で,福島赤しゃも(川俣しゃも)では「しゃも」と言う銘柄なのに単冠がバラバラ出るため,商品価値が下がるとの苦情が出た. トサカの形と言うのは質的形質の遺伝である,初めての経験ではあるが,レッドコーニッシュとしゃもの交雑鶏からメンデルの優性の法則を用い単冠遺伝子を取り除いた.この鶏は私が退職した後2年くらいで完成し,地鶏の雄系として用いられている. 以上のような仕事に携ってきた私が,学校飼育動物のホームページを立上げることとなった. 私が定年になって間もなく,新聞に掲載された学校飼育動物の記事を見たのが発端である. まず,平成11年3月福島県内地方紙が「相次ぐ飼育中の死亡,けが」と言う見出しで,問題点を取り上げた.また,同年9月朝日新聞の福島版では小学校の飼育動物「飼い方もっと知りたい」と言うタイトルで,県生活衛生課のアンケート調査結果も掲載された.紙面から学校で約86%も動物が飼われ,多くの問題を抱えていることをはじめて知った.その際,養鶏試験場(ウサギも飼っていた)での経験を生かし,何か役に立てるのではないかと考え,ホームページを手作りで立ち上げた(http://www.abnet.or.jp/personal/niwatori.usagi/).しかし,養鶏試験場での経験が学校飼育動物の飼い方に,そのまま当てはまらないことを思い知らされる. 大きな違いは養鶏試験場では不必要な動物は淘汰すればよいのだが,命の大切さを教えなければならない学校飼育動物はそれができないからだ. 現在,このホームページには技術的なものを中心として,子供達にも先生方にも興味を持っていただけるような内容の掲載を心がけている. |
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