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診療室

「経験的に…」と「これらの所見から…」
― Evidence based medicineの実践 ―

遠藤泰之(鹿児島大学農学部獣医学科講師・鹿児島県獣医師会会員)

 現在私は獣医学科の臨床系の教室の家畜内科学教室に所属しており,当然大学の附属動物病院における診療業務にも従事している.略歴の欄を見ていただければお分かりかと思うが,獣医臨床という視点から見ると,私にはそこから離れていたブランク期間が約4年間ある.この間,もちろん何もしていなかった訳ではないが,このような男が大学で学生に教えていくべきものは何なのかとふと考える時がある.逆にブランクがあったからこそ,より強くそう思うのかもしれない.
 そのひとつは,特に将来臨床の場で活躍したいと考えている学生に対してであるが,より多くの経験を積んでほしいということである.学生にとっては,前述のように臨床獣医師として決して多くの経験を積んできた訳ではない私に,「そんなこと言われたくない」というのが本音かもしれないが,私にとってウイルスばかりいじくっていた期間の経験も決して現在従事している臨床の現場に無益な訳ではなかったと感じている.これについては後述するが,「科学の眼」を養うためにはまたとない機会であった.ではどのような経験をたくさん積めばよいのだろうか.
 臨床ということを考えれば,やはり多くの症例を見て,たくさんのクライアントと接することであろう.あらためて言うまでもないと思うが,動物病院には様々な症例が,多様な問題を訴えて来院してくる.下痢,嘔吐,食欲不振,起立困難,跛行,脱毛,掻痒,削痩,多飲,多尿,呼吸困難,発咳,運動不耐性,痙攣,麻痺,腫瘤,攻撃行動,難産,排尿困難,外傷…,挙げればきりがないほどである.これらの中にはパッと見て外見や特徴的な所見で診断がついてしまうものも中にはあるかもしれない.しかしそれは数多くの症例を経験しないとできないことである.教科書をたくさん読んで,多くの知識を有することは大事であろう.頭の中では鑑別診断リストがすでに出来上がっていて,次に何をすべきなのか明白かもしれない.ただし多様な症状とそれらのリストを結び付けるためには,その症例を実際に見て,問題を見つけ出す能力が身に付けていなければ成し得ないことである.我々獣医師,あるいは獣医師を目指す学生にとって,症例は常に「先生」であり,己の知識を豊かにし,技術を磨いていくためには,終わりのない見えないゴールではあるが,そこを目指して走り続けなければならないだろう.
 しかしそこには落とし穴があることも認識しなければならない.経験からの診断は,誤診と常に背中合わせでもある.したがって我々は客観的データを持って事にのぞまなければならない.経験からの診断は主観的であり,それを裏付けて行くのが客観的データとなりうる各種臨床検査結果である.この一連の流れはいろいろな事象について証拠を持って証明していく科学に他ならない.よく「自分は臨床をしたいから科学研究は関係ない」ということを耳にする.本当に関係ないのであろうか.獣医師であれ,学生であれ,獣医学に携わる方々は皆,科学者であり,「これらの所見から○○と診断しました」と言えることが理想ではないか.
 治療に関しても同様のことが言える.科学的根拠のもとに診断がなされ,それに適した科学的な治療法を選択していくことが,社会的背景を鑑みても我々獣医師に求められていることである.「作用機序はよく分からないが,この薬を使うと良くなることがある.」こんな言葉がしばしば聞こえてくる.これは前述の科学という観点からはかけ離れている.作用機序がきちんと解明され,使う側も理解してからの投薬でなければ科学的とは言えない.見切り発車と結果オーライを繰り返していては,「Veterinary Science」の「Science」の部分がいつか消えてなくなってしまう.
 偉そうなことを書いてしまい,ご批判を頂戴するかもしれないが,要は経験とEvidence based medicineの実践を融合させることで,より良い方向に臨床獣医学を導いていくことができるのではないかということである.自分で書いていながら耳の痛い部分もあるが,今後は今まで以上に科学の眼を持って診察していくということを意識して努力していきたい.

遠藤泰之  
―略 歴―

1994年 日本獣医畜産大学卒業
  東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻博士課程入学
1998年 東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻博士課程修了
  博士号(獣医学)取得
  米国立衛生研究所に客員研究員として勤務
2000年 東京大学医科学研究所助手
2002年 鹿児島大学農学部講師
現在に至る


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