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行政・獣医事

ケタミンの麻薬指定について

富永俊義(厚生労働省医薬食品局監視指導・麻薬対策課課長補佐)

 厚生労働省は,ケタミンを麻薬に指定する予定で,これに関する意見を国民に広く募るためパブリックコメントの募集を行った(平成17年12月14日から平成18年1月13日まで).パブリックコメントの主たるコメントと回答は,近く厚生労働省のホームページに掲載される.
 ケタミンは,人用,動物用の麻酔薬として医療及び研究(動物実験)に利用されている.麻薬に指定されると,取り扱う者の免許取得や管理(保管,記録等)の義務が生じるので,使いにくくなることは避けがたい.厚生労働省は,取締りさえできれば正規の使用がどうなってもよいなどと考えてはおらず,有用な医薬品である本薬を使い難くすることは本意ではない.しかしながら,当課では,その乱用による保健衛生上の危害を防止するためには,ケタミンの麻薬指定はやむを得ないと考えている.本稿では,その根拠を概説したい.

  1. ケタミンの薬理作用等
     ケタミンはNMDA(N-methyl-D-Aspartate)受容体拮抗薬である.意識変容作用を有するなどの点で他の麻酔薬と異なる.この薬物の依存形成性,耐性形成,幻覚妄想惹起作用,医療従事者を含む依存症例(死亡例あり)に関する多数の報告がある.その化学構造と作用は,すでに麻薬に指定されており,かつて世界中でエンジェルダストという別名で乱用され,多大の被害を生んだフェンサイクリジンに一部類似している.ケタミン乱用者はフェンサイクリジン乱用者に生じる幻覚,妄想などの統合失調症様の精神症状(フェンサイクリジン精神病と呼ばれる)を示すと報告されている.[1-3]

  2. 国内の乱用
     クラブやディスコ等で「K」とか「スペシャルK」等と呼ばれるケタミン粉末(密輸品と考えられる)がおもに鼻からの吸引により乱用されていることが報告されている.一方医療用ケタミン(注射)の乱用は報告されていない.ケタミン乱用により惹起された精神疾患の症例が学会で報告されており[4],ケタミン乱用との因果関係が強く疑われる死亡例も報道されている.

  3. 海外の状況
     ケタミンの乱用は国際的に悪化しており,国連麻薬委員会(経済社会理事会の下部委員会.国際的な薬物問題に関する意志決定の中心機関.)は,その決議で,各国がその規制を考慮すべきことを呼びかけている(2002年).また,WHOも現在ケタミンの麻薬指定を麻薬委員会に勧告すべきか否かを検討中と聞く.ケタミンは,米国,仏,東南アジア諸国等で規制薬物となっている.
     東アジアではケタミンの乱用問題は一層深刻である.昨年11月にベトナムで開催された国連主催アジア太平洋地区麻薬取締機関長会議でも,域内各国でいまだケタミンを規制していない国は麻薬として規制すべきとの勧告が採択された[5].日本の近隣諸国を見ても,香港ではケタミンはヘロインに次ぐ第2の乱用薬物となっており,特に若者の間では,MDMAを押さえナンバーワンの人気である[6].中国では平成17年上半期だけで1.6トンのケタミンが押収されている[7](なお,ケタミンのわが国における正規用途の使用量は人用動物用合計して年間150kg程度である).韓国では,動物用ケタミン注射薬が加工されて乱用されていることが報告されている[8]この薬物が日本に本格的に上陸した場合の脅威は深刻である.

  4. ケタミンが麻薬になったら
     ケタミンが麻薬指定された場合であっても,これを診療や研究に使っている獣医師や研究者は,都道府県知事から麻薬施用者または麻薬研究者の免許を受けることによって使用を継続することができる.研究者の免許については,ケタミンそのものの研究でなくても,ケタミンを使って野生動物の研究をするという目的で申請すれば取得できる.(「研究」の範囲は広く,捕獲後,何らかの処置を行った上で放すといった行為も研究と解しうる.)
     麻薬の指定は「麻薬,麻薬原料植物,向精神薬及び向精神薬原料植物を指定する政令」を改正して行うこととなるが,改正した政令の施行までには十分の期間を設定し,この薬物を取り扱う者の免許取得,保管庫の設置等の準備ができるようにしたい.製造元には,(農林水産省の担当部局から)動物用ケタミンの供給確保を要請いただいている.メーカーによっては製造中止を決めたところもあるとの話であるが,供給を継続するメーカーもあると聞いている.なお,人用のケタミン注射薬については,製造者からは当課に対して供給継続を確約していただいているので,これを動物用に使うことに問題はない.このように,厚生労働省としてもケタミンの麻薬指定による現場の不便を最小限とすべく措置を講じている.日本獣医師会会員の方々のご理解とご協力をたまわりたい.

 

引 用 文 献
[1] 「NMDA受容体拮抗薬としてのケタミンの基礎知識」鈴木勉 他 ペインクリニック24(4),469-476(2003)
[2] "Ketamine Dependence" H.R. Pal et al. Anesth. Intensive Care, 30, 382-384 (2002)
[3] "Ketamine Dependence in Anesthesia Providers" N.N. Moore et al. Psychosomatics 40 (4) July-August, 356-359 (1999)
[4] 「尿・頭髪の鑑定により同定されたケタミン精神病の一例」清水 賢ほか(第40回日本アルコール・薬物医学会2005年)
[5] "Report of the Twenty-ninth Meeting of Heads of National Drug Law Enforcement Agencies, Asia and the Pacific, held in Hanoi from 7 to 11 November 2005", UNODC/HONLAP/2005/5
[6] 香港特別行政区保安局プレスリリース(2004年12月23日)http//www.nd.gov.hk
[7] 平成17年12月共同通信.主要各紙報道
[8] 朝鮮日報(2004. 04. 12,2005. 1012)
  (本稿は,平成18年1月23日受領)



† 連絡責任者: 富永俊義(厚生労働省医薬食品局監視指導・麻薬対策課)
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