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論 説

小 動 物 医 療 の 在 り 方

中川秀樹(日本獣医師会副会長)

画像 1 小動物医療の歩みと目的
 今日,1万人を超える獣医師が小動物医療に携り,9,000件を超える診療施設が存在している.
 今日のような小動物医療を社会が希求するようになったのは凡そ40年ほど前からで,日本が経済発展を押し進めて世界有数の経済大国へ成長してきた時期と符合する.日本の産業構造は経済発展により大きく変革することとなり,それが社会のシステムや生活環境をそれ以前とは別のものへと転換させてきた.
 経済が豊穣になるに連れて人々は生活様式や人生の価値観を転換させ,医療と社会福祉が充実したことも相侯って少子高齢化という社会現象を作りだし,社会構造や家庭の形態が大きく変革することになった.
 こうした状況の中で,犬や猫を飼育する人々の意識も防犯やネズミ対策など生活に役立たせる目的あるいは愛玩目的から,愛情を育くむ家族の一員として生活する命としてその存在を変化させてきた.
 人は動物が傍にいることで心が癒され精神が安定すると云われる.しかしながら,ひとたび動物が傷病に陥ったり,動物との関係性が破綻すると悩みとなり日常を左右する問題ともなる.こうした問題の解決を求める人々を救済することが現在の小動物医療である.
 近年は動物に対する愛情を一層強く持ち,人と同様の医療を求める人々が増加してきている.望まれる要請に呼応して各大学の付属動物病院では医療設備の高度化と教育研究を進捗させており,ハイテク医療機器を設備した民間診療施設も増加する傾向にある.一方では医療技術の高度化に対応するため,学術団体を中心として専門医の認定と養成が始まり,日本獣医師会では獣医師専門医制検討委員会を設置して制度の検討を進めている.癌やウイルス疾患,膠原病やホルモンが関与する疾患など難病の発症メカニズム研究と治療技術の開発は難治であった症例を救命できることに繋がり,こうした疾病から動物を救済したいと願う飼育している人々に福音をもたらすことは確かである.
 しかしながら,動物医療を求めるすべての人々がこうした状況を望んでいるわけではない.個々人の動物に対する価値観や感情は思想信条や経済状況,執着心などがさまざまであり,求める医療もさまざまである.多様な質の異なる要請に応えていくことが人の医療と大きく異なる点である.獣医師すべてが高度な医療を動物に施すことを飼育者に強いることがあってはならない.動物医療は問題を是正して人と動物の関係を良好にすることを目的としているからである.
 
2 獣医師の倫理について
 獣医師間の権益に関する争いや医療過誤,HPを利用した勧誘診療や薬剤販売などさまざまな問題が提起され,その要因が獣医師倫理の欠如に起因するという多くの声がある.獣医師研修制度が確立していないわが国では,その大多数の診療施設を開設している獣医師は臨床技術や臨床知識,病院経営法などを学ぶため民間の動物病院あるいは大学付属動物病院で研修をして独立を果たしてきた.
 したがって,小動物医療に従事する獣医師として備えるべき職業倫理は師事した指導者や周囲の獣医師が執る態度を規範として培われ,備わってきた.
 倫理欠如が本人の資質に起因する場合を除き,筆者が2004年10月号で論じたように,問題となる行動をする獣医師本人に影響を与えた獣医療界の体質や獣医師個々人が内包している態度こそがその要因といえる.言い換えれば40年程度という浅い小動物医療の歴史の中で,本来明確に論議されるべき職業倫理について,携わる者も組織も置き去りにしてきたことにある.
 職能組織として社会宣言をしたのも1995年と僅か10年前でしかない.(獣医師の誓い・1995年宣言 日本獣医師会)大学で倫理教育を取り入れるべきとの声もあるが,われわれが抱えている問題点を個々人が是正し,自らが行った社会宣言を遵守していくことで後進達の倫理は培われていくことになる.
 倫理とは人が履み行うべき道を指し,これを備えて形成された確固たる人格を持つことを徳と云う.職業それぞれに果たすべき社会的使命があり,職を通して人としての徳を持つことが職業倫理である.
 「人間には本質的要素と付属的要素があり,本質的要素とはこれがなければ,形は人間であっても,人間ではない.つまり人間にとってなくてはならぬ本質をなすもの,言い換えると徳性である.人を愛する,人に報いる,人を助ける,あるいは明朗で,清潔である,正直であるというようなことがなくなったら,人間ではない.これが本質的要素である.付属的要素は大別すると二つに分けられ,一つは知性・知能,もう一方は技能である.文明は知能技能により開発されてきたもので大切なものではあるが,人間そのものの付属的要素でしかならない.どのように有用であり,貴重なものであっても属性である」とスイスの教育思想家アミエルは彼の日記に残している.
 獣医師が携える知識,技術は動物医療を行う上で最も大切な要素であることは事実であるが付属的要素にすぎない.施術する獣医師には第一義に人としての本質的要素すなわち徳と云うものが備わっていなければならない.
 本質的要素と付属的要素が相侯った獣医師が増加することに従い,社会は高い信頼と評価を示すこととなる.
 科学に携わる者の社会では,知識や技術に卓越した人間が高い評価を受け,必然として指導者となり得るが,それは付属的要素を評価されている結果であって,必ずしも人格を含めて評価されているものではない.指導的立場に立つ者は後進に強い影響力があることに留意して,付属的要素を誇示したり,他者を見下した言動や態度を示さぬように心がけ,徳性を備える努力が肝要となる.
 動物医療を求めるのは動物ではなく人であり,依頼に応える獣医師も人である.動物医療は決して動物と獣医師の関係ではない.さまざまな依頼者の中には徳性を欠いた態度や言動を見受けることもあるが,決して受託する獣医師側にはあってはならないものである.動物医療に於ける依頼者との信頼関係は獣医師側の態度がすべてであり,徳性を欠いた態度つまり倫理が欠如しては信頼関係は成り立たないものである.こうしたことを実践することが小動物医療の在り方と結ぶ.

 


† 連絡責任者: 中川秀樹(日本獣医師会)
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