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診療室

寄生虫病との出会い

伊藤直之(かもめ獣医科医院院長・青森県獣医師会会員)

 すでに20年以上も前のことになるが,重度の貧血を示した土佐犬の血液塗抹標本を顕微鏡で覗いていた時である.赤血球内に寄生する虫体を発見し,胸の高まりとともに全身が熱くなったことを今でも鮮明に覚えている.Babesia gibsoni だった.当時,B. gibsoni の感染は,近畿地方の六甲山系や生駒山系を中心とした地域で発生が多いというテキストに記載された知識しかなく,また,土佐犬の特殊性(全国各地への移動)を知らなかった筆者にとって,青森県内でB. gibsoni に感染している犬に遭遇することは,予想外の出来事だった.と同時に,確定診断ができたという満足感があった.以後,日常の診療でも犬・猫の寄生虫病に興味を持っている.
 寄生虫病は不顕性感染であったり慢性経過をとるものが多いことから,ウイルスや細菌による疾患に比較して病害が軽視されがちであり,さらには,動物の飼育環境が改善されたことと有効な広域駆虫薬の登場により,すでに過去の病気であるかのような印象を与えるようになったことが指摘されている.確かにイヌ糸状虫の診断・治療・予防が,高感度抗原検出キットの出現や安全性及び駆虫効果に優れた成虫駆虫薬の登場とアベルメクチン系予防薬の開発により目覚ましい発展を遂げたこと,さらに,ここ数年,多くのノミ・マダニ用製剤が開発され,それらの防除に大きな成果をあげていることは事実であろう.しかしながら,それはごく一部の寄生虫に限られたことであり,犬・猫を宿主とする寄生虫は,原虫から節足動物まで多岐にわたることから,多くの寄生虫病はその発生状況すら十分に解明されていない.また,治療に関しても日本国内で入手可能な駆虫薬の種類はきわめて限定的であり,対応に苦慮しているのが現状であるように思われる.
 そもそも,寄生虫病は感染症であるという認識が欠けてはいないだろうか.また,検出感度や来院している犬・猫の病態にどう関わっているかは,慎重な判断を必要とするが,寄生虫病の一部は,特別な器具・基材を用いずに自らの観察力で病原体を確定し,その場で飼育者に伝え,治療を開始することができる身近な感染症であることを忘れてはいないだろうか.
 近年,動物介在社会の発展とともに犬・猫は,コンパニオンアニマルとして人との関係が親密なものとなり,その飼育頭数も増加していることで,犬・猫から人への共通感染症(人と動物の共通感染症)の伝播が危惧されるようになってきた.犬・猫が感染源となる可能性がある共通感染症の中には,細菌や真菌が原因となる疾患はもとより,犬・猫の回虫やエキノコックスに代表されるいくつかの寄生虫病も含まれている.これらのことから,寄生虫病に罹患した犬・猫に対する治療は当然のこと,人と動物に共通の寄生虫病に関する(もちろん,寄生虫病に限られたことではないが)情報の提供や感染リスクを減少させ,さらに,犬・猫から排泄される虫卵やシストなどによる周囲環境の汚染を最小限にくい止めるための衛生指導において,その第一線に立つ臨床獣医師の果たすべき役割は,日々増大していると思われる.
 20年以上前に,血液塗抹標本でB. gibsoni を初めてみたあの日と同じ情熱を持って,今も観察ができているだろうかと振り返る時,忸怩たる思いがある.しかし,臨床獣医師の一人として何ができるのかを模索しつつ,犬・猫の消化管内寄生虫に興味を持ち,今日も糞便検査を実施している.

伊藤直之  
―略 歴―


1981年3月 酪農学園大学酪農学部獣医学科卒業
1983年3月 岩手大学大学院農学研究科修士課程終了
1988年4月 かもめ獣医科医院開業

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