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馬耳東風
 
 
平成の大合併で市町村地図が一変した.昔から慣れ親しんだ地名が消えて行くのは寂しい.寂しいのはもちろんだが,昔習った社会科での知識が通用しなくなるのは不便きわまりない.また何かにつけて地図を見るのが楽しみであったが,昔の地図では通用しないので,新しい地図を買わざるを得ない.政府の地方交付税の節約や諸々の効率化を図った合併推進政策であったが,これでは地図の専門会社を儲けさせるのが目的であったのかと勘ぐらざるを得ないほどだ.それに住民数が東京の百分の一にも満たない自治体で東京都議会の議員数を上回る議員を抱えるマンモス市議会が誕生したと聞くと何が節約だったのか,どこが効率化なのかと疑いたくなる.
 それはともかく,懐かしい地名が消えて行く一方で,地元の衆知を集めて命名したはずの新しい地名が古い人間にはピンと来ない例がある.いずれは慣れるではあろうが当分不便な思いをしなければなるまい.鹿児島おはら節で有名なたばこは国分の国分市が霧島市になる(なった?)とか,高知県の中村市が四万十市になったと聞いても寂しさは感じてもああそうかと地図上の場所や周囲の環境等はいくらか想像できる.しかし,福島県の田村市,栃木県のさくら市,茨城県の坂東市,同じく茨城県の筑西市,石川県の白山市,徳島県の美馬市,岡山県の赤磐市など新しい市の名前を聞かされても,地元や近くの人にはわかるであろうが,その他の多くの人にはどうもピンと来ず,それは何処だ? が本音であろう.若い頃の勤務地であった,家畜衛生試験場の支場があった兵庫県の和田山町も朝来市になったと聞く.支場の存在はもうとっくに忘却の彼方になりつつあるが,和田山の町名も同じ運命かと感傷的にならざるを得ない.
 この際,古い地名はJRその他の交通機関で例えば駅名としてでも是非残してもらいたいものである.JRの「博多」駅のように福岡市にあっても元々の博多地区にあるが故に博多駅の方が親しみやすい.ただ,過去においても有名な駅名必ずしも土地の名と一致しているとは限らないことにも注意すべきだ.東京はJR山の手線の品川駅と目黒駅は多くの人が東京都品川区,あるいは目黒区にあると思っていると思うが,そうではない.品川駅は港区にあり,目黒駅は品川区にある.これはちょっと面白く,クイズの問題に向いている.
 平成の大合併に限らず過去においても歴史的に由緒ある地名が消され新しい地名になった例がいくつもある.東京の下町にその例が多いが,ちょっと残念な気がする.歴史的に由緒ありと言えば,京都市の太秦(うずまさ)や,同じ京都府で丹後半島にある間人(たいざ)など素直にはとても読めない地名であるが,それなりの由来と歴史があり消すわけには行かない.日本全国には似たような難しい読み方の地名がまだまだあると思うが,歴史的に消してしまうにはもったいないものが多いに違いない.これらは住民,行政ともに是非残す努力をし,国としては義務教育の社会科で,歴史的由来と読み方ぐらいは教えてほしいものである.

(子)