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地域における小動物医療の昨今と現状
土井口 修†(熊本動物病院副院長・熊本県獣医師会会員)
早いもので獣医学系大学を卒業して24年になり,臨床経験24年と中堅の範疇に入るようになった.私は他の先生と会話する時,自分の臨床家としての位置付けをよく第三世代の臨床家と称している. 第一世代は70歳以上の大先輩の方々で独自に臨床獣医学を研究された日本獣医学のパイオニア的存在である.また,その当時はアメリカの臨床獣医学が導入され始めた時代でもあり,日本史に当てはめれば,黒船が来た幕末と言える.現在では第一線から引かれている感があるがいうまでもなく,この時代の先生方は日本臨床獣医学の大御所的存在であろう.第二世代は60歳位の先生方で,現在の臨床獣医学を完成させ,色々な方面で指導されている先生方である.この時代(1980年代)の先生方は放射線学研究会やJAHAなどの研究会が盛んに行われ,アメリカの臨床獣医学をこぞって受け入れ勉強された先生方であろう.明治の大久保利通が富国強兵のため西洋文明を進んで多く取り入れた時代と同様と言える.私はこの時代に臨床家としてスタートした.アメリカの臨床獣医学の導入によって臨床はかなり変化したように思える.私と同期の第三世代は大学を出て,最高の学問であると信じて違和感なく吸収したアメリカの獣医学が浸透した世代と思われる.しかし,それから日本の臨床獣医学はアメリカ獣医学だけの知識に偏らず,日本の大学や個人の獣医学も動物臨床医学界を中心として多くの学会や研究会などで討論されきわめて飛躍的に発展した感がある.今の,この時代の30代の臨床家が第四世代ではなかろうか.私は第一世代の父から受け継いで,子供の時から牛や犬,猫の診療を見て来て,このように臨床獣医学の時代の移りを感じている. 私が歩んで来た,臨床の現場は大都会である東京での経験と父が開業していた熊本県の小都市である玉名市,そして中都市の熊本市での三カ所である.玉名市は人口約4万5千人で,玉名平野に一級河川の菊池川が流れ,北東に300〜500mの小高い山々があり,西に有明海が広がり,温泉のあるのんびりとした田園地帯である.その地での臨床経験は6〜7年間であった.現在開業している熊本市は人口64万の中都市で,そこでの臨床経験は現在で15,6年である.熊本市も玉名市と似た地形で北東は阿蘇の一部の外輪山に囲まれ,西には有明海に囲まれ,やはり周囲は田園地帯である.この三カ所でみられた疾患はさまざまであり,時代とともに動物医療は発展し,飼い主の動物に対する考え方や獣医師に対する期待もかなり変化した. 20数年前の東京では,内科疾患が多く,交通事故などの外科疾患は少なく,骨折などはきわめてまれであった.現在では当然のごとく実施されているワクチネーションのダイレクトメイルを予防獣医学の普及のために実施していた.小都市では,その当時はまだ予防獣医学は普及していなかった.感染症を代表するフィラリア症などは現在とは違って毎日飲ませなければならない予防薬(ジエチルカルバマジン)のため煩雑さも重なって蔓延していた.第一世代の時代はその薬物以外に砒素剤(カパソレートなど)を予防と称して成虫駆除を実施していた.このような状況の中では完璧に予防されている犬はわずかであった.そのため1歳半でフィラリアの濃厚感染を起こし重度な右心不全を呈した犬もいた.またフィラリア症の治療として外科手術も良く実施されていた.虫体摘出のため,開胸手術で右心室及び肺動脈から摘出していた.それから数年後には岐阜大学の故石原先生が考案した非開胸下で頸静脈からアリゲーター鉗子を用いて摘出する方法が盛んに行われた.当然ながらVenae cavae syndrome(VCS)も多く見られ,多いときは年間20症例ほどあったと記憶している.また慢性タイプ(右心不全による腹水及び胸水を伴った症例)もお腹が大きくなってきたとの主訴で良く来院した.フィラリア症はまさにその当時ドル箱であり,また獣医診療,特に心臓病=フィラリア症であった.事実,獣医臨床で第一世代である大御所的存在の先生方はこのフィラリア症をいかに治療するかが最大のポイントであり病態や治療法に関して多くの研究がなされていた.ウイルス性の伝染病も少なくはなく,ジステンパーやパルボ性腸炎も流行した.非衛生的なペットブリーダーも多く見られ,そこからの感染も良くみられた.腫瘍及び性病である可移植性性器肉腫もまた見られ外科的切除やビンクリスチンの化学療法剤で治療を行っていた.東洋眼虫による結膜炎も良く見られ,ベノキシール眼科用表面麻酔剤を点眼して,東洋眼虫を麻痺させ眼科用ピンセットで摘出していた.しかしイベルメクチンが開発されてからはより治療は簡単となった.このイベルメクチンが開発されると獣医界の診療はかなり変化した.ご存じのとおりフィラリア予防は画期的となり,月一回の投与で済む用になった.フィラリア症が減少した大きな要因の一つにこの薬物が挙げられる.猫伝染性腸炎の大流行もあったことも憶えている.毎日の診療で来る猫すべて伝染性腸炎であった程,大流行した.最初のころはほとんどが助からなかったが,後になってくると,猫たちの免疫力が高まって来たのか多くが助かるようになった.また猫伝染性腹膜炎もある地域では蔓延しており,その地域から拾った猫はほとんどが腹膜炎に罹患していた.その他,地域性のある疾患としてはマムシ毒による咬傷,風土病的なバベシア症やレプトスピラ症なども時折みられた.また土壌中に存在するClostridium tetaniの創傷感染で起こる破傷風も牛と犬で経験した.この破傷風については,余談ではあるが私が高校生の時,従兄弟(同じ高校生)が農作業時に傷から感染したことがあった.最初は肩こりや筋肉痛などと風邪に似た症状で町医者に行き“風邪”と診断された.しかし数日経っても筋肉痛が改善しないため,“寝違え”かもしれないと,整骨医院を紹介され,そこで筋肉や肩のマッサージを行った.しかしそこでの治療も効果なく,それどころか逆に筋肉痛が激しくなり,さらには全身性に硬直し歩行困難となり,慌てて熊本市内の総合病院に緊急入院した.そして,その病院で破傷風と診断され血清療法等の救急治療で危機一髪のところ無事一命を取り留めた.その従兄弟が救急入院する途中,私の病院に立ち寄った時,第一世代の父が破傷風ではないかとつぶやいたのを憶えている.今ではその従兄弟は元気に父の後を次いで農作業に従事している.玉名市周辺の郡部は酪農家が多く(現在では,かなり酪農家は減少したとのこと),父の診療に子供の頃良くついて行き,その時に子牛の破傷風を見たことがあった.また,この当時は犬や猫は放し飼いが多かったため交通事故も多くみられた.交通事故以外の事故として,喧嘩による外傷やイノシシ猟による外傷,さらには農作業時の電動草刈り機で犬肢の切断などが救急疾患として運ばれて来たこともあった,皮一枚残して.このように小都市での疾患はかなりバラエテイーに飛んで,ダイナミックであった.私としては多くの疾患を経験でき治療にチャレンジしていた時代であった.東京と玉名市の2カ所の疾患の特徴を考えれば,東京では内科疾患,玉名市では外科疾患が中心となっていた.この時代の地方では臨床獣医師の診療レベルは外科手術の腕に左右されていた感があり,外科手術の華やかな時代だった. 次に,私の診療の場は県庁所在地の熊本市である.前記した様に熊本市は人口約64万の人口を抱え,夏目漱石から森の都と歌われ,火の国とも称されるごとく,周囲に阿蘇の山々がそびえている.この地での診療は現在で16〜7年になるが,この中都市の熊本市においても開業当時と比べて,疾患と患者の意識はかなり変化して来た.特に,最近の5〜6年で診療形態も様変わりした感がある.疾患の種類や頻度を考えると,交通事故の外科疾患はかなり減少した.骨折は年に数例程で,あっても小型犬の橈骨骨折などである.整形外科疾患としては高齢で肥満傾向の動物が多くなって来たため関節炎や靱帯断裂などの関節疾患が骨折よりも多く見られる.また人気犬種などからダックスフンド犬が多数高齢化を向かえ,椎間板疾患が多発傾向にある.チワワもテレビの影響を受け地方都市でも増加し,チワワに特徴的な水頭症などの疾患も多く見られる.またペットブームでの飼い主の衝動買いやペットショップの過当競争の中で未熟児や離乳したばかりの動物の早期販売が目立つ.そのため,飼い主の購入後の健康管理の難しさや,獣医師としての治療の困難さも多々あり,三者間のトラブルも見られる.動物医療は人気犬種の普及によって,それぞれの犬種特異性をその時代時代でマスターしなければならない.最近の熊本市でも周囲は田園地帯であるにも関わらず,感染症はかなり減少した.玉名時代と比べてウイルスや寄生虫,特にフィラリア症は激減した.腹水タイプの慢性右心不全は年に数頭いるかいないかであろう.私は循環器に興味を持っているためか,紹介を含めて先天性心疾患(動脈管開存症,心室中隔欠損症,大動脈狭窄,肺動脈弁狭窄など)や心筋症そして心タンポナーデを呈するような後天性疾患など多種多様な心疾患が来院する.これらの疾患の頻度は玉名時代とかなり異なる.たとえばフィラリア症と先天性心疾患の来院の比率は完全に逆転している.さらに,玉名時代と比べて動物の平均寿命も延びていることも特徴である.小都市の玉名時代では10歳はかなり長寿であり,直接生命を脅かす疾患以外の手術等は見送る傾向にあった.しかし現在では寿命は延び,おそらく当時の10歳が現在の14〜15歳位に値するのではないだろうか? 東京都日野市で開業されている須田沖夫先生らの研究では1980年から1999年の19年間で平均寿命は約3倍に延長し,現在では14歳前後と報告されている.また東京農工大の林谷秀樹先生の全国規模での平均寿命の統計(私の病院も参加)では平均寿命は11.9歳となっている.両者の研究結果の若干の差は母集団が東京と地方の差であろう.寿命の延長の原因は両者の先生方も述べられているが,予防医学や栄養学そして高度医療によるものと考えられる.また当然,動物医療の問題だけでなく飼い主の動物に対する考え方が番犬からコンパニオン化したことも大きい.さらには日本経済の安定によるGNPの増加にもよるところも大きいはずである.飼い主の動物に対する考え方がコンパニオン化したことで,動物愛護精神が情操教育や介護などのCAPPに利用され,動物と人間との接点が上下関係のみならず横の関係にもなっている.また最近ではテレビや雑誌などで動物を取り上げ獣医師の活躍や愉快な少女コミック的なドラマで少年少女の“動物のお医者さん”への願望が強くなった.当然,獣医学系大学入試の競争率は高くなり,優秀な学生が獣医師となって卒業してくるはずである.獣医学系大学は6年生となってかなり経過したが,大学の臨床講座数は満足する数ではないかもしれない.しかし,当時と比べてかなり増えている.実際,大学を卒業してから半分以上の多くの学生が小動物臨床希望で大都会を中心に各動物病院に勤務している.私のその時代と比べて臨床の形態はすべてにおいてさまざまに変化している.臨床獣医師としての立場では各分野がそれぞれかなり高度化して,臨床形態は“広くしかも深く”になっている.そのため各臨床獣医師の診療の幅もかなり制限され,医学と同様に専門的に高度化した分科傾向にある.以前は“広く浅く”のオールマイテイーで良かったし,初めての手術でも結果はともかくチャレンジもでき,飼い主の理解も得られていた.しかし現在では,社会風潮がアメリカ的になり訴訟問題などが都会を中心に各地域にも波及している.ここ熊本の中都市でもそのような傾向がある.動物は高齢化し合併症も多く併発しており,そのため治療は複雑,そして困難で危険を伴うことが予想される.その結果,非侵襲的な治療を優先し,消極的にならざるを得ないことも多い.また,熊本市でも動物病院の開業も増加し,半径1km周辺に数件も有る状況で過密化している.飼い主にとっては病院の選択肢が増えて好都合の面もあるだろう.最近の飼い主は賢く2件以上の動物病院を掛かり付けに持ち,それぞれの動物病院を自分の都合で使い分けしている.たとえば,ホームドクターと専門的病院あるいはデスカウントの動物病院でワクチネーションや軽度な疾患を,重症と判断した場合や診察に不安がある時は高度医療機器のある,または専門的な動物病院に依頼している.このような使い分けは以前もみられたが,最近では顕著になってきた感がある.中都市の熊本でも感じることから,東京などの大都市ではかなりその傾向は顕著であろう.「選ぶ患者,選ばれる動物病院」この形態は逆に,「選ぶ動物病院,選ばれる患者」とも考えられる.多くの臨床獣医師は選ばれるために,より一層の努力をし,特徴や特色を持たせ,自分にあった経営戦略を実施しなければならない.その特徴及び特色は,診療施設の形態がホームドクター的対応の施設と高度医療対応の施設とに,また診療方針もサービス的動物医療の提供と診断・治療技能を中心に据えた診療の提供とに二極化していく傾向を感じる.最近の第四世代を中心とした診療形態は日曜日診療が多くなり,患者の利便性はあるものの,日曜日診療を理由に知識,技術の向上のための学会や研究会には参加せず,サービス的動物医療の提供に専念する傾向が強くなってきている.このことは各動物病院の特徴となり動物医療の二極化に拍車をかけている感がある. この傾向は大都市を中心に見られ各地域に“津波”のごとく押し寄せて来ているのであろう.しかし,このような状況においても獣医学の数年後を見据えて,他人に惑わされず,自分自身の動物医療に対する信念と自信を持ち,常に勉学する考えを持つことが大事である.激化する過当競争の中で同業者との縦と横の連携も大事にしながら獣医学の原点を忘れずに努力していくことを望む,と同時にそのように生きていきたいと考える. |
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† 連絡責任者: | 土井口 修(熊本動物病院) 〒862-0926 熊本市保田窪2-11-7 TEL 096-385-1770 FAX 096-385-1860 |