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診療室

先を読むということ

柴崎 哲(大阪府立大学大学院生命環境科学研究科助手・大阪府獣医師会会員)

 最近,何かにつけて先を読むということに使っている時間が長くなってきた.食事や休憩時だけでなく,帰宅して微睡みながら考えていることもある.よく言えば考えて行動しているから無駄が少なく用意周到ということになるが,実際には考えすぎて前にも後ろにも進めなくなり周章狼狽になっていることの方が多い.自分でも呆れるくらいであるから,周囲の方々にはご迷惑をおかけしていることと思う.小学生の頃などは後先考えずに行き当たりばったりのその日暮らしであったから1日が長く感じていたのに,30歳半ばを過ぎた現在は1カ月単位であっという間に時間が経過していく.このような話を数少ない同世代の知人とすると,どうやら皆同じような感覚であるようで安心する.歳をとったせいだとする意見が多いのに対し,何カ月も先の予定を立ててそれに向かって生活すること,つまり先を読むことが原因だと論じるが,酒の勢いもありいつも結論には至らない.
 そもそも先を読むということとは予知能力や予言などのようにまじないめいたものではなく,能力や技術などのように自然に身についていくひとつの才能であると思う.ただ,その存在に気が付かなければいつまでも上達することはないし,逆に,いつも使っていれば珠のように光り輝く素敵なものになりえる.そして,その才能を発揮する場はなにも特別な状況ではなく,日常生活そのものである.
 よい例が車の運転である.刻々と変わる状況の中で,陰に人がいるかもしれない,子供が飛び出してくるかもしれない,もう少しで信号が変わるかもしれないと常に先を読みながら車を走らせているのである.この才能に気づかないと思いもよらない事故を起こしかねないので,教習所などは「かもしれない運転」なる標語でこの才能のことを意識させ運転技術の向上を指導する.私を含めて車の運転が趣味という方は,先を読むことが楽しくてたまらないのだと思う.
 また,臨床の現場も先を読むという才能が発揮される場である.救急の症例などは,来院した状況から危険な状況に至る前に先を読んで適切な治療を行っているわけである.どんな治療であれ先の過程で起こりうる変化が,高い確率で読める獣医師はあらかじめ飼い主に対し説明できるし,慌てず冷静に対応することができるため周囲から優れていると評価されるのかもしれない.また,外科手術では,術中に起こりうる事象を可能なかぎり先に考えて執刀している.これらの能力については,獣医学成書を紐解き,臨床現場で研鑽を積み,師範に指導を仰ぐことで遅かれ早かれ身につけることができると思う.
 しかし,もっと身近なところで先を読まなければならないことがある.一般的には気が利くとか思いやりという言葉で呼称されているが,日常生活における些細なことで先を読むということは,人間関係上非常に重要な場である.たとえば,両手に荷物を持った人の前で扉を開けた時,(このまま扉を閉めると後ろの人に当たるから)そのまま開けておき通過を介助して扉を閉めるといったような先を読む能力は,文字面にすると当たり前のことであるが,自然にできる人は決して多くない.荒んでしまったこの時代に,このような方には指導して才能に気づかせるべきであると思うが,このご時世では注意すると刺されたりするから困りものである.
 なにやら小言のようになったが,先を読むということは,何より気づくあるいは気づかせるということが重要なのであると思う.獣医師という人間性の問われる職業を選択し,志半ばの学生と接する場を与えられたのであるから,ごく自然に行動している紳士的な方を拝見するたびに我が身を律し,気づいていない学生達に対しては指導していこうと思う.折しも大学教育の改革が盛んに問われている現在,獣医学を担う臨床教員の一員として自分なりに獣医学教育の先を読みながら責務を果たしていきたい.たとえ,時間が短く感じられようともである.

柴崎 哲  
―略 歴―


1995年 麻布大学卒業
  岐阜大学大学院連合獣医学研究科博士課程入学
1999年 岐阜大学大学院連合獣医
学研究科博士課程修了
博士号(獣医学)取得
同 年 大阪府立大学勤務
  現在に至る

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† 連絡責任者: 柴崎 哲
(大阪府立大学大学院生命環境科学研究科獣医学専攻高度医療学講座)
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