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動物愛護・福祉と動物医療
山崎恵子†(ペット研究会「互」主宰)
![]() 「…私の世話にゆだねられた動物達の福祉を守るために絶え間ない努力をすることを約束する…」 これこそ獣医師の真の使命ではなかろうか.ではそれは具体的にはどのようなことを指すのであろう.まず最も大切なことは「動物愛護/福祉」という言葉そのものに対する理解を再確認することである.多くの獣医師は動物に対する関心や愛情などが原動力となり自ら進むべき道を選んだのであるが,残念なことに専門家としての教育を受けはじめると同時に,その気持ちを表現したり,それに伴った活動を展開する道が閉ざされてしまうようである.獣医師,すなわち科学者としての立場を強調しながら客観性を重視していく中で,動物愛護とは「煩わしいもの」,あるいは「怖いもの」に姿を変えていき,多くの獣医師はそれはあまり自分とは「関係のないもの」とすることを良しとしてしまうのである.しかし,動物に関わる唯一の国家資格を有する獣医師こそが実際に動物の置かれた境遇を把握し,その状況を評価,改善することができるのである. 自己主張ができない弱者の健康を守る,という点では獣医師は人間の小児科医に良く似ているともいえよう.では小児科医は子供達の福祉にどのように関わっているか,そして前述した彼等の「状況を評価,改善する」ような活動をしているか否かを考察しよう. まずはじめに最近注目されつつある小児科医の役割に焦点をあてる.児童虐待防止における小児医療の位置付である.従来家庭の問題として第三者があまり立入ることがなかった家族による子供の虐待に対して,最近,わが国でも診察をした小児科医が疑わしい例に対して積極的に関与することがようやく認められてきたようであるが,これは被虐待児を守るためにはきわめて重要なことである.保護者が自らの保護下におかれた弱者に対して虐待を加えたときにその弱者の福祉を守る第三者が存在しなければ文字どおりその弱者は絶体絶命の危機にさらされてしまうことはいうまでもない.そのために国家は児童を虐待から守るための法律を作り第三者が関与しやすい基盤の整備に力をを注いでいるのである.実は動物もまったく同じ状況におかれていると思える.動物を守るためにわが国には「動物の愛護と管理に関する法律」がある.その中にははっきりと動物をみだりに傷つけてはいけないという文言が記されてある.この文言だけでも適切に解釈されれば多くの動物の虐待を防ぐことができるはずである.児童虐待防止上の枠組みの中の小児科医と同様に獣医師もまた患者の様子や傷の状態などに基づき,より積極的に対応することができるのではないだろうか.ソーシャル・ワーカー,看護師等々数多くの専門家との作業分担ができる小児科医と比べ,むしろ獣医師は唯一の国家資格を保持する者としてより重い責任を有するのではないか.そして虐待の事実,親権(所有権)のあり方等々がしかるべきところで取り上げられ,裁かれる際は,小児科医も獣医師も専門家として証言台に立たなければならない.それが弱者の健康を守る職業についた者の義務なのである. さらに小児科医は子供達が参加するさまざまな活動に対しても助言を行っている.たとえばリトル・リーグのような児童スポーツにおいては成長期の体に害がおよばぬよう一定のルールが必要であり,当然のことながらその作成に当っては子供の体の専門家の意見が必要である.これだけ犬の訓練,ドッグ・スポーツ等々が流行している社会において,獣医師にもこのような役割が求められているのである.訓練に使用されているさまざまな犬具の中には使い方を誤れば犬を傷つけてしまうようなものも多々あるが,それらは獣医学の観点から有効であるか,それとも有害であるか.むろん答えは獣医師が示すしかないのである.問題はイエス/ノーをはっきりさせる,ということでは決してない.用具や動物の扱い方にはさまざまなものがあり,どれをとっても賛否両論あることはいうもでもない.それよりも獣医師がその事例に対して,自ら意見を表明するべきである,しなければならないという意識を持つことが重要である.またアジリティ,ギグレース,フリスビー等々の娯楽に参加する犬や,盲導犬,聴導犬,介助犬,災害救助犬,警察犬等の「プロ」として仕事をする犬達の健康管理は獣医師の仕事であることはいうまでもないがここでも獣医師は動物を守る側にまわらなければならない.スポーツをする前にウォーム・アップ,終了後のクール・ダウン,有害な運動をさせないための事前の健康診断,これらは人間にとっても動物にとっても必要なことである.補助犬は一体どの程度まで使用者の生活活動に無理なくつき添うことができるのか.飛行機などでの長距離の移動は? 登山やハイキングなどのレクリエーションは? 夏冬の極端な天候の中では? 災害救助犬や警察犬などの作業をする際,動物の心身の状態は? 以上について問題があれば健康管理のエキスパートとして声を上げなければならないのは獣医師である. このようなことから明らかとされるのは獣医師が動物愛護の精神を自らの診療活動の中で反映させることは,特別なこと,今まで認知しなかったこと,学習しなかったこととして実行すべきではない,とする誤った認識である.動物愛護,福祉運動を展開させている団体の活動を尺度として考えてしまうことで獣医師は自らが取るべき行動を見誤ってしまうのであろう.しかし実のところ獣医師は単に今まで学んできた動物の健康管理に関する知識をもとに当たり前のことを発信すればよいのである.そして,それこそが正に動物の福祉を守るための最大の武器になるのである. 世の中にはわれわれ素人が見ても「何か変だ」と感じるものが数多くある.そしてそれらのことを少しでも調べようと思えば一般の者でも多少の専門知識を得ることができる.私自身がよい例である,獣医師でもなければ動物学者でもない,しかしたとえば動物園の熊が行ったり来たりしているのは常同行動であり,それは決して正常な状態ではないことはわかるのである.ここで一般人として抱くのはこの異常事態に対して何故動物の健康管理のエキスパート達が何も言わないのであろう,という疑問である.子供達があれが普通の熊の姿である,と思ってしまってもよいのであろうか.しかしここで私のような者が情報発信をしても,人々から理解を得ることは困難であり,やはり獣医師という専門家としての意見が必要なのである.このような例はペット産業,動物業界のいたるところに多々見られることであり,今後社会はますます科学者にによる科学に基づいた福祉の定義とその実現を要求してくるであろう. もう一つより診療の現場に近いところで常に存在する問題が安楽死である.これは死が法律で複雑に縛られている人間の世界とはやや様子が異なるようである.動物医療の方が選択肢が多々与えられている,という意味においては獣医師の責任は人間の医師よりも重いかもしれない.いずれにしても獣医師全体として安楽死の定義や方法に関する見解をはっきりとさせておくべきである.本当に必要な「死」を獣医師が明確に判断することができれば多くの飼い主が安心して動物を看取ることができるのである.家族の死を願うものは誰もいない.しかし目の前の動物の福祉を守るため,苦しみから救うため,最終的にはその幸せのために死を選択せざるを得ない多数の飼い主が存在するのである.その決断を支え,最後まで患者の生活の質を守り,かつ必要なときには最後に「最良の選択」として優しい死をもたらすことは動物医療の現場における動物福祉の最大の課題であろう.人の医療においても「死」は敗北であるという考え方が少しずつ変ってきたように思える.終末医療,よい死を迎えるための準備もまた人間を支える医師の重要な役割の一つとして見直されているのである.動物医療の世界においても動物福祉における死のあり方や位置づけを獣医師自身が真剣に議論しなければならない時代がやってきているのではないだろうか. 今後動物の福祉にまつわる問題で獣医師が意見を述べる必要に迫らせる機会が増々多くなっていくであろう.もはや「医療とは関係ない」と言っている場合ではない.なぜなら今後,多くの場において医療をベースとした,客観的な意見が求められるからである.エキゾチック・アニマルの流行においてはたして人工灯が熱帯産の爬虫類のクル病を誘発しないか.繁殖する際,事前にチェックする必要のある遺伝性疾患はどのようなものがあるのか.ペットフードと手作りの食餌ではどちらの方が動物の健康にはよいのか.ペットショップなどで多数販売されている野生動物には人と動物の共通感染症の危険性はまったくないのか,等々.獣医師が社会全体から投げかけられる疑問は増える一方であろう.そしてその一つ一つが実は個々の動物の福祉と密接なつながりを持っているのである.獣医師は愛護教育や保護活動のような愛護団体の行っていることを自らが行う必要はないのである.むろん参加したい,と思う方々はこのような有益な活動に時間を費やすこともよいが,むしろ前述したように獣医師には科学的知識をベースとした動物福祉全般に対するご意見番として活躍していただきたい.それに加え,患者の死に対する対応を確立して行くことが今最も大切なことではなかろうか. 先日,人と動物の関係に関する国際会議グラスゴー大会で欧州の小動物獣医師会の連合体であるFECAVA(The Federation of European Companion Animal Veterinary Association)の会長,レイ・ブッチャー氏がこう語っていた「獣医師の大きな役割の一つにアニマル・アドボケート(動物の代弁者)になることである」.そしてそれに加えブッチャー氏は最後にこのような言葉を残された.「20世紀は近代科学の世紀であった.21世紀は近代科学の責任を担う時代である」.科学者としての責任,これが動物医療における福祉を語る時のキーワードのように思えてならぬのは私だけであろうか. |
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† 連絡責任者: | 山崎恵子(ペット研究会「互」) 〒204-0023 清瀬市竹丘3-4-25 TEL ・FAX 0424-95-7321 |
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