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小動物歯科診療の歴史ならびに現状と展望(I)
藤田桂一†(フジタ動物病院院長・埼玉県獣医師会会員)
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食物を体内に取り入れて生きていく動物において口腔は生命を維持していく大切な器官であり,人では言葉を発することで意思の伝達をはかる場所のひとつでもある.肉食動物において口腔は獲物を捕らえ,肉を切り裂くことのほか,外的攻撃から身を守り,毛づくろいをし,舐めあうことによるコミュニケーションや性行動の手段でもある. |
1.人の歯科診療の歴史 人がこの世に生を受けて出現して以来,口腔に対する関心は高かったようである.人の口腔内疾患の治療は,いつごろから行われていたのであろうか? 紀元前エジプトの時代には,歯肉膿瘍や歯肉腫脹に対して塗擦薬や内服が処方されており,すでに歯磨きの記録もある.また,エジプトのミイラの中には歯を削って金を詰めた跡や儀式として歯を削ったと思われる形跡もあり,さらに動揺している歯をワイヤーで固定したものも認められている.すでにこの頃,顎関節脱臼の整復術や下顎骨骨折に骨片を合わせたのちに隣り合う2歯あるいは数歯を金線や麻の糸で縛り合わせていた記録もある. ギリシャ時代にはエプーリスやアフタなどの歯科用語が用いられ,顎関節脱臼,顎骨骨折及び顎骨周囲の化膿性炎症の治療が行われていたようである.この頃は阿片やマンダラケを用いた麻酔下で外科用ピンセット,メスのほかに鉛製の抜歯鉗子を用いて頻繁に抜歯が行われていた. わが国では,弥生時代の人々は,水稲耕作を行っており,米を採食していた.その頃の数百体の歯に齲蝕(虫歯)が多く,歯と歯槽骨から歯周病も重度であることが判明している.歯周病は加齢とともに悪化傾向にあった. ローマ時代には,歯肉膿瘍に対して薬剤塗布のほか穿刺吸引も行われ,その後,歯肉膿瘍は瘻孔を作成することもあると記録されている.抜歯に関しては特殊な薬剤を塗って歯を弛緩させてから周囲の歯肉を剥離して現在とほとんど変わらない形状の抜歯鉗子を用いて抜歯を行っている.その際,強固に歯に力を加えると顎関節脱臼を引き起こすこともあることが分かっていた.また,奴隷の歯を自由民に移植していた記録もある.この頃はすでに口唇裂の辺縁を切除して両側に緊張がかかっている頬に減張切開を行って縫合して治療する技術もあった.また,最近ウサギに多く見られる歯の先鋭による舌の潰瘍が人に生じた場合にヤスリを用いて歯棘を削る処置も行われていた. 5世紀から6世紀にかけては,鎮痛剤や収斂剤が用いられるようになり,7世紀には,歯肉膿瘍やエプーリスの切除手術が行われていた.このころからヨーロッパでは歯科医は独立した職業となり,巡回して歯科治療を行っていた.9世紀から12世紀には,アラビア医学においてエプーリスは再発しやすいため切除後に焼灼すべきであるとしている.口腔内に認められる唾液腺嚢腫(ガマ腫)の手術も行われていた.また,抜歯鉗子で抜歯できない歯にはエレベータを用い,破折した歯根は歯肉を骨刀で切除してからエレベータを用いて抜歯することがすでに提唱されていた.さらに脱臼した歯をふたたび歯槽の中に入れて金あるいは銀で作成した線状物で結紮して固定していた. 15世紀のルネッサンス時代にはヨーロッパ全体で文芸,芸術及び医学の急激な発展を遂げた.16世紀になってはじめて歯科医学書が出版され,それまで一般医学や外科学とは独立した歯科専門誌となった.18世紀になってヨーロッパでは齲蝕(虫歯)は抜歯して鉛あるいは金箔を充填してからただちに再植する方法が盛んに行われていたようである.歯を移植する際には梅毒をはじめとする感染に注意する必要があると述べられている.再植された歯は神経も切断されているので歯の疼痛はなく,移植は単根歯のみで可能であると信じられていた時期もあった.口蓋裂の手術もヨーロッパやアメリカで行われていた.18世紀末には齲蝕(虫歯)の原因は細菌であるという学説が発表された. 19世紀には顎骨骨折の整復と固定に帯環を歯に装着して,その突起とネジで骨片を整復・固定する方法が提唱された.朝鮮では935年の高句麗,百済,新羅の三国時代には古代中国医書によって抜歯,切開,焼灼,ならびに下顎脱臼の整復などが行われていたという.日本では,6世紀に仏教の伝来とともに伝えられた「歯木(しぼく)」(歯ブラシの前身)により歯や舌を清掃されるようになった.この習慣は,仏教経典による楊枝による浄歯(じょうし)がひとつの儀式であることから僧や仏教徒の間で広まり,徐々に庶民に広まったものといわれている.中国では959年頃の墓葬の出土品の中から歯ブラシが発見されている. わが国最古の医書である934年の「医心方」で,口舌瘡,口中爛痛,舌腫,及び歯断腫(歯肉腫)など口腔粘膜の潰瘍や腫瘍に薬草などの薬物療法を行っていると記録されている.徳川時代の「医方問余」(1679年)には,各歯科疾患に対して散薬や煎薬の治療が,その後,「傷科秘録」(1800年代)にはさらに詳細な口腔疾患とその治療法が記録されている.その間,江戸時代では入れ歯師という職業が確立されて,木製の義歯で「つげの木」を適当な形に削り入れ歯として,切歯には白い石をはめ込んでいた.また,この頃に結婚した女性は「お歯黒」と称して歯を楊の木で作成したブラシのようなもので掃除をした後に筆を用いてタンニン酸で歯を黒く染める習慣があった.その後,明治時代(1885年)には,アメリカの「A System of Oral Surgery」が「歯科全書」として日本語訳が刊行された.その内容は解剖学から口腔外科(顎顔面の形成外科,顎骨切除術),全身麻酔法,齲蝕(虫歯),歯科矯正,歯髄炎の治療,充填,補綴,及び気管切開法などであった.日本では西洋医学が導入され,木ブラシが作成され,のちに歯ブラシは柄が竹,鯨のひげ,水牛の角からなり,植毛は牛や馬の毛でつくられていた.また,明治39年の歯科医師法制定にともなって,その翌年にはわが国最初の歯科医専(共立歯科医学校―日本歯科大学の前身)が開校された.大正時代には歯の不潔から引き起こされる多くの疾患を予防する意味で6月4日を虫歯予防デーと定め,日常的に歯を磨くことが習慣となっていった. |
2.動物の歯科診療の歴史 すでに古代中国では紀元前に馬の年齢と切歯の形態が関係していることが記載されていた.1135年には,馬の年齢と質は歯の形態で判断できることを「家畜の管理と世話」という書物に記載されている.すなわち,歯の形態は内臓と関係し,歯は骨と連結して腎臓(当時,中国では腎臓を繁殖器官と信じていた)と関連していると考えられていた.治療は鍼灸及び薬草治療が行われていた.その後,1608年に馬の年齢と歯の関係がより詳細に判明し,口腔と歯は内臓の機能の状態を示すので唇,歯,歯肉,及び舌などの色を診て治療の予後を示すものであると信じられていた.嚥下困難,口腔粘膜潰瘍あるいは舌潰瘍などに対して適切な部位に焼灼用コテを用いて鍼灸を打つことにより治療していた.馬でこの鍼灸を打つ点は360箇所以上であると示されていた.しかし,馬の口唇交連部に生じた炎症に対して症状に応じて調合薬や粉末剤のほかに外科的切開も行われていた. 紀元前300年以上前にはギリシャのアリストテレスは馬の歯周病は自然に治癒しなれば治すことは不可能であるとされていた.ローマ時代には,馬の犬歯を抜去して舌の一部を切断することにより銜(はみ―馬の口にかませ,その両端の輪に手綱をつける馬勒(ばろく)の一部分)が付けられやすくなることが提唱されていた.1250年には「馬の医学」がヨーロッパで出版されたが,消化器疾患を認めた場合,口とつながっているという理由から,すべての治療を口腔内に行っていた.この頃は馬を馴らすためにガラスの破片を口腔内に入れたり,舌の一部や全部を切除したり,犬歯をハンマーで叩いて歯の破折を引き起こしたりしていた.また,銜(はみ)を受け入れやすくするために臼歯の吻側の歯槽隆起の歯肉を切開して,その部分にガラスの破片を挿入することで疼痛を引き起こし,このことによって馬がさらによく反応してくれるものと信じていた.一方では一部の歯槽骨をノミで削り取って銜(はみ)の入る部分を深くするようにしていた.ローマ時代から馬の口蓋を切開して瀉血させて悪い体液を除去するという考えもあった.この方法は,病気でなくても頻繁に病気の予防のために行われていた.頬歯先端の先鋭部によって頬粘膜が潰瘍を引き起こしても頬歯を治療せずに潰瘍部分を切除していた.また,1800年代ごろまで馬の年齢をごまかすために若い馬の乳歯を早く抜いて永久歯への交換を早める方法や,反対に切歯を鉄のコテで焼いたり,ドリルで溝を深く作ったり,硝酸銀を用いて変色を強めたりして人工的にくぼみを作って若い馬のように見せる方法も行われていた.1800年代に入り,英国では,これまで行われてきた治療法は馬に苦痛を与える野蛮な方法であるという考えが支配的になってきたが,一部では依然として無麻酔で馬の舌の切除や抜歯が行われていた.1847年になり,ようやく馬の手術にエーテル麻酔が使用されるようになったが,これらの歯科治療は,通常,蹄鉄工や馬屋の使用人によって行われた.19世紀末には,アメリカで馬の歯科学校が開校され,その後,獣医学校が増加した.1930年代には馬の歯科医の治療として充填,クラウン,及び義歯装着などが行われていた.1400年代から1990年代まで市場で若い豚の牙を歯肉の高さで切断することが行われていた.19世紀はじめから各地で動物園が開園し,象の歯の破折部から感染を引き起こしたため暴れる危険性があるという理由から安楽死が行われた例や破折した牙から眼窩下膿瘍が生じた象に対して膿瘍を切開し,治療した例が報告されている.19世紀後半には,ロンドン動物園において全身麻酔下でヒヒの抜歯が行われた.その後は,各動物における比較口腔病理学が次第に発展して1980年代からは動物園の飼育動物の歯科治療における報告も急増した. 一方,小動物の歯科分野では,西暦1世紀にヨーロッパで犬の舌のリッサの部分に狂犬病の原因である虫がいると信じられており,子犬の頃にそのリッサの部分を切除する手術が行われていた.1800年代後半には,狂犬病の蔓延を防ぐために犬の犬歯と切歯歯冠部先端をプライヤーで切断したのち,ヤスリで滑らかにしていた記録もある.19世紀末には犬の歯列不正の報告や無差別な繁殖が遺伝的に咬合異常を引き起こす報告,あるいは犬の歯周病の原因と治療について述べた報告もある.1900年代初めにはアメリカで遭遇する機会の少ない犬の齲蝕(虫歯)に対する治療(充填)を行った獣医師がいた.1908年には,アメリカで「Animal Dentistry and Disease of the Mouth」の中で獣医臨床と獣医歯科学について将来の獣医歯科学は他の獣医学と同様に取り扱い,臨床獣医師は治療のための技術を取得する必要性を述べている.1925年にアメリカで出版された「Surgical Disease of the Dog and Cat」の中で,犬の多くの口腔疾患が掲載されており,犬の口輪をして歯の表面に付着した歯垢・歯石の除去と必要に応じて抜歯の必要性を述べている.1929年には,犬で食物が変化することで発生過程の歯列に影響し,ひいては歯科疾患を引き起こすことを報告している.1936年には,「Variations and Diseases of the Teeth of Animals」で動物の比較歯科病理学が述べられている.1930年代は,ウィーンのVeterinarmedizinischen Universitat(獣医大学)で小動物歯科学が急速な進歩に貢献して,1970年代まで続いた.20世紀後半にヨーロッパではチューリッヒとハノーバ大学で獣医歯科学に力が注がれた. 1930年代にアメリカでは,歯石が多く付着した犬には全身麻酔下で食塩水と軽石で清掃していた.また,年に2回の動物病院でのスケーリングとポリッシング(歯面研磨),及び歯の清掃が歯石付着と歯の喪失を防ぐとして,その大切さを推奨している.乳歯遺残により永久歯が正しく萌出できなくなるために乳歯を早期に抜歯する必要性も説いている.同じ頃,アメリカでは一部ですでに犬の歯磨きが行われており,小動物歯科疾患とその治療法についての複数の論文も発表された.1975年には犬用の歯磨きペーストが販売され,1960年代にはドイツでも「獣医外科手術」の中で犬の歯内治療が掲載され,1967年にはアメリカ獣医師会雑誌に獣医歯科に関する論説が掲載され,獣医歯科に対する関心が高まっていった.1970年代にはアメリカの小動物歯科学に熱心な獣医師の中から小動物の口腔疾患は人と異なるものもあり,解剖学的にも相違があることが判明し小動物歯科学確立の必要性を訴え,各企業と協力して小動物用の歯科ユニットなどの小動物用歯科機材なども考案されるようになった.そして,1978年にはAmerican Society of Veterinary Dentistryが設立され,小動物歯科学や口腔外科学のセミナーが開催されるようになった. 1980年代は,この分野は飛躍的に伸び,アメリカでは獣医歯科専門医も出現し,さらに多くのセミナー,学会が開催されるにいたった.1983年にはConcepts in Veterinary Dentistryが,1985年にはVeterinary Dentistryが出版され,その後,次々と各獣医歯科専門誌が出版された.そのほか小動物総合雑誌や内科学及び外科学などの専門誌にも小動物歯科に関して掲載されるに至った.1986年には,Academy of Veterinary Dentistry が設立された.1989年には,アメリカ獣医師会が認めた臨床の専門医協会のAmerican Veterinary Medical AssociationによりAmerican Veterinary Dental Collegeが設立され,獣医歯科認定専門医として臨床分野のひとつに認められるようになった.また,ヨーロッパでもヨーロッパ獣医歯科学会が,日本でも日本小動物歯科研究会,比較歯科医学研究会などが設立され,獣医歯科学のセミナーが開催されるようになり,小動物歯科学の各翻訳本が多数,刊行されるに至った. |
(以降,次号につづく) |
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