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最近における獣医核医学診療の内外の現状
-わが国における法的整備の必要性-
伊藤伸彦†(北里大学獣医畜産学部教授)
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1.は じ め に |
2.わが国の獣医核医学に関する法的整備の現状 高度獣医療の要求に対して,大学付属病院や二次診療を担う個人病院では高分解能超音波装置,螺旋または多列X線CTスキャナ,MRIなどの高額医療機器が次々に導入されている.しかし,形態的な情報のみならず臓器の機能情報が得られる核医学診療は,欧米の獣医大学教育病院やセンター的な動物病院では常識となっているが,日本では実施されていないし,大学等においても獣医核医学関連の論文は最初から諦めているのか興味を持たれないことが多い. その理由は法的に整備されていないためであるが,この現状を打破するための国内の取り組み状況を報告する. わが国で放射線やRIを利用する場合には,文部科学省所管の「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律(以下,障害防止法)」を遵守しなければならない.この法律は,基本的には国際放射線防護委員会(ICRP)勧告に従っているが,放射性物質として取り扱う必要のないレベル(クリアランスレベル)の概念は取り入れてこなかった.つまり,日本においては,RIで汚染された“もの”は,放射能が物理的に減衰・消滅しても汚染物として,永久的管理が求められる.法律が制定された昭和32年には,現在多用されている短寿命核種は実用化されていなかったのでやむを得なかったことかもしれない. しかしながら,医療行為である人間へのRI投与は「医療法」に従って対処することになっており問題はない.具体的には,診断や治療のために放射性物質を投与された患者は当日帰宅が可能である.当然のことであるが,患者の体内に残る放射性物質のために他人や家族が被ばくする線量が評価されており,ICRP等の国際的勧告値以下であることが分かっている. では,動物はどうかというと,実験動物は“もの”として扱わざるを得ない場合もあるが,伴侶動物は“もの”ではないとの考え方が世の中の主流になりつつある.動物に対する考え方は各個人で異なるが,少なくとも「動物の愛護及び管理に関する法律」には動物は“命あるもの”と規定され,多くの国民はこれを支持している. このように動物に対する国民の意識変化があり,機が熟したと考えた大学教員らが,2000年に「獣医放射線学教育研究会」を企画し,勉強会を開きつつ各方面に働きかけを行う活動を始めた.その結果,2002年6月に(社)日本アイソトープ協会の学術組織ライフサイエンス部会に「獣医核医学専門委員会(唐木英明委員長)」を設置し,早速活動が開始された.この流れの背景には,医学・薬学関係者をはじめ,獣医学関連以外の人々の理解と協力があったことを付記する必要がある.同委員会には獣医学,医学,薬学,放射線防護などの専門家が集められ,議論が開始された.また,獣医核医学の実現には,「障害防止法」ではなく,医療法の体系に準じて「獣医療法施行規則(以下,省令)」に規定する方が適当であり,農林水産省の担当部署にも加わっていただくことになった. 省令を改定するためには,獣医事審議会ばかりでなく,放射線審議会などの理解を得る必要があり,多くの議論と関連資料の整備を積み重ねる必要がある.獣医核医学専門委員会には,4つの作業部会が設置され,2003年9月に中間報告書がまとめられた.この報告は,わが国の獣医療において核医学は必要であり,そのために法的整備や学会等による実施ガイドラインの策定が必須であると結論づけており,ただちに委員会はこの報告内容を農林水産省消費・安全局衛生管理課長に説明している.また,同委員会は,省令改定や実施ガイドライン策定のための情報収集や安全確保などの議論を継続して行っている. これと平行して,日本学術会議においても獣医核医学に関する是非が審議され,2004年12月16日付けで対外報告「獣医療における核医学利用の推進について」[15]が議決されている.報告では,日本の獣医療において核医学を早急に利用できるよう獣医療関連の法令を改正し,獣医学関連の学会,放射線防護の専門家集団,核医学会等が連携協力してガイドライン等を整備すべきであると提言している.また,新たな動きが農林水産省にある.昨年10月に発足した「小動物獣医療班」は衛生管理課に設置された新組織であり,小動物獣医療への対応や高度獣医療への配慮が期待される. |
3.諸外国の獣医核医学の現状 米国では1950年代から原子炉で製造されたRI利用の生物学利用研究が開始された後,獣医大学でも研究が盛んに行われ,1959年にはJiro J. Kanekoら[10]が,131Iの臨床応用として犬の甲状腺評価について報告し,その翌年には英国の獣医師Jim R. Holms[7]が,核医学の獣医療への応用について報告している.初期のシンチグラフィは,動物体表面でプローブを直線走査する単純な機器を利用して行われた.平面画像を得るガンマカメラが導入され始めたのは1970年代であり,1974年にはセントバーナードの軟骨肉腫のシンチグラフィの報告[20]がなされている.しかし,米国の獣医大学で核医学が標準的な検査として定着したのは1980年代であり,1990年代に獣医療の専門分野として認知され,馬の診療を中心に普及した.現在,大半の獣医大学教育病院で核医学診療が日常的に実施され,多いところでは年間500症例以上が行われている. 伴侶動物の核医学検査には多くの利点があり,検査項目や技術は人間の核医学検査と大差ないが,立体画像を得るSPECTの利用はまだ少数である.小動物診療で多く実施される代表的な核医学検査には,甲状腺シンチ,心臓スキャン,肺シンチ,門脈シンチ,肝臓・胆道シンチ,腎臓シンチ,骨シンチ,脳シンチ,胃腸管シンチ,リンパ系シンチ,炎症シンチなどがあり,使用核種は半減期6時間の99mTcが大半である[2].また,猫に発生が多い甲状腺機能亢進症の治療には131I投与が行われる.治療を受けた大半の猫は1週間以内に症状が軽減し,80%以上の猫が3カ月以内に機能が正常となり,95%以上が6カ月以内に完全に回復する[2]. また,よく知られていることであるが,北米,欧州,豪州等の諸外国で最も多く実施される核医学検査は馬のシンチグラフィである.馬の核医学検査は高価であるが,必須の検査として定着しており相当な数が実施されている.競走馬のシンチグラフィに関しては,アジアの香港やシンガポール,及び中東のドバイにおいても実施されているようであり,日本でも国際的水準の獣医療が実施できるよう法的整備が望まれている. |
4.日本の獣医療で有望な核医学の臨床応用 (1)馬の運動器疾患 欧米や豪州などでは伴侶動物として飼育される馬が多いが,日本では馬に核医学診断が適用されるとすれば競走馬と馬術競技用馬が中心になるであろう.馬の核医学適用疾患として多いのは運動器疾患であり,日本ではX線撮影や超音波診断が多用されるが,これだけで微小骨折や腱の炎症などを速やかに正しく評価することは非常に難しく,諸外国では跛行診断と平行して骨シンチグラフィを実施することが多い.また,海外に比べ日本の競走馬で発生率が高いとされる疲労骨折の早期診断を行うには,99mTcを用いた骨シンチグラフィは非常に有力な武器となるはずである.(図1) (2)循環器疾患 伴侶動物の高齢化に伴い循環器疾患も増加しているので,核医学が役割を果たす場面は多くなるであろうが,通常のX線診断では明らかにできない心筋などの評価は,超音波装置等で診断可能となってきており,心疾患の診断には核医学が必須とはいえないかもしれない.しかし,心筋症の詳細な評価のためには後述するPET(Positron Emission Tomography)が有効となるかもしれない. (3)門脈体循環シャント(PSS) PSSは,腸管から取り込まれた栄養が血管の短絡によって肝臓を通過せずに全身循環に流れ込む疾患で,犬に多く発生し先天性と後天性のものがある.核医学を用いたPSSの診断では99mTc製剤を経肛門的に直腸・結腸に投与し,肝臓と心臓に集まる放射活性をガンマカメラで収集すれば,投与後1〜2分で,正常では肝臓にPSS症例では心臓にRIが集積するため,苦痛もなく短時間で診断が完了する[2].(図2) RIが利用できなければ,開腹して門脈に造影剤を直接注入しX線撮影を行うが,治療効果判定時にも同様な診断を繰り返すことになるので非常に侵襲性が高い.最近では超音波ガイド下で門脈造影を行い,多列X線CTで短絡部位を特定する試みも行われており,この方法が定着する可能性も高い.しかし,麻酔なしでも短時間で定量評価が可能な核医学診断が利用できれば,PSSの診断と治療効果判定の方法は大きく変わり,診断時のリスクはさらに低下する. (4)甲状腺疾患 猫の内分泌疾患では最も多いとされている甲状腺機能亢進症は,サイロキシン(T4)とトリヨードサイロニン(T3)の血中濃度が高いことによって生じる多臓器疾患である[18, 19].わが国では放射性ヨード治療が選択できないので,内科的療法(抗甲状腺剤の長期投与)が選択されることが多い[18].しかし,成書[4]には,「放射性ヨード法が猫の甲状腺機能亢進症の最良の治療法であり,施設が利用できない場合には甲状腺切除術が推奨され,長期にわたる抗甲状腺薬治療は入院・麻酔及び手術にかなりの危険が伴う場合にのみ薦められる」と記されている.日本で内科的治療が選択されるのは,外科的な切除術を行うにしても甲状腺の肥大と機能を明らかにするためにシンチグラフィが必要となる[2]ためである. 核医学診断と治療が実施できれば,小動物獣医療においてその恩恵を十分に享受できる疾患は甲状腺疾患であろう.特に犬と猫に発生する甲状腺癌疾患では,原発疾患の拡がりを明らかにし,遠隔転移巣を探索することができるのは甲状腺シンチグラフィであり[11],放射性ヨード治療を組み合わせることにより,短期間で副作用の少ない診断・治療が可能[2]である. (5)泌尿器疾患 血液検査の結果を見れば腎不全を疑うことは容易であるが,急性腎不全の予後を判定することは難しく,通常は治療に対する反応を見ながらの判断が必要なために豊富な経験が求められる[1, 13].最近では,獣医療における透析治療が広く行われるようになっており,核医学診断が実施できれば腎臓の機能評価が非常に早期に,しかも短時間で行うことが可能となり,泌尿器疾患の診断・治療は大きく進歩すると思われる.また,欧米ではすでに腎移植が広く行われており[1],この治療効果判定には腎シンチグラフィが用いられている.わが国でも伴侶動物に対する臓器移植が行われるようになっており[21],左右の腎機能(分腎機能)をそれぞれ別々に分析できる腎シンチグラフィは,移植腎の評価に威力を発揮する.(図3) (6)悪性腫瘍 人間では死亡率第一位は悪性腫瘍疾患であるが,犬や猫でも悪性腫瘍が主な死亡原因になった[22].また,飼い主が異状に気づいて来院するときには病状も進んでいることが多い.このため,治療方針を決めるだけでなく予後の判定や治療期間・経費を判断するためにも,腫瘍の広がりや転移の判定が重要なことは獣医療でも変わりがない. 腫瘍の転移についてはX線撮影やCTによる肺への転移病巣の確認が主であり,局所転移については超音波検査や細胞診により評価するが,診断精度は不十分である.これについては,肺転移よりも骨転位の方が全身転移の検出が容易であるといわれており,米国では骨格転移の早期検出に広く骨シンチグラフィが用いられている.特に大型犬に非常に発生率が高い骨肉腫の現状を評価し,転移も判定可能な骨シンチグラフィは有用である[5].また,リンパシンチグラフィは犬の腫瘍のリンパ節転移の診断に有用であるという報告[12, 16]があり,また新しい技術としてセンチネルリンパ節確認の手法が獣医学領域でも術後のQOL向上のために盛んになると思われる.また,後述するように,悪性腫瘍をPETで診断することには大きな期待が寄せられている. (7)ペットのPET検診 人間の医療でもPET診断は悪性腫瘍の早期診断と転移の評価に威力を発揮している最先端の医療であるが,米国ではテネシー大学獣医学部教育病院やコロラド大学獣医がんセンターでPET診断が実施されており,北米や欧州の獣医放射線科専門医教育では研修項目に取り上げられている.米国では18F-FDG(Fluorodeoxyglucose)の配送システムができあがっており,獣医療でも普及すると予測されている.まだ日本の獣医療では実施できないが,超音波診断装置,CT,MRIの普及率は米国よりも高いといわれており,法的整備が進めば日本の獣医療においてもPETは普及すると思われる[8].特に検診として普及させれば腫瘍の早期診断が可能となり,また各種治療法の効果判定を早期に行えるなどメリットは大きい.(図4) PET診断は悪性腫瘍の診断ばかりでなく,獣医療で考えられる利用としてもさまざまな応用が考えられる.拡張型心筋症は大型犬種やスパニエル種などに発生し,猫にも多く発生する治療困難な疾患である[6].人間では拡張型心筋症に対する左室縮小手術(Batista手術)が有効であることが認められ期待されている.これは動物に対しても研究的に適用され始めているが,現時点では心筋のバイアビリティの評価は超音波診断に頼る不確実な方法のみである.もし,獣医療でPET診断が行われるようになれば,心筋のバイアビリティ評価が正確に行われ[14],Batista手術の成功率向上が期待される.また,動物の心筋症の治療に医師と獣医師がともに関わることで,医師の手術の技術向上も期待できるのではないかと考えている.将来は動物の痴呆症や異常行動の診断にもPETが応用される可能性がある. |
5.あ と が き 獣医核医学の有用性や法的整備の進捗状況を述べてきたが,放射能を獣医療で利用するためには,その安全性が保証されなければ社会の理解を得ることはできない.人間の医療では,患者に投与されたRIから放出される放射線による患者自身の内部被ばくと周囲の人間の外部被ばくが評価されるが,動物では低線量被ばくの発癌リスクが研究されていないために内部被ばくは評価対象外である.しかし,診断による内部被ばく線量はX線写真撮影と同等かそれ以下であり,非常に少ないものである.また,伴侶動物の核医学診療に関しては,動物に投与された放射能による獣医療関係者,畜主,一般公衆についての外部被ばく線量は,ICRP等の国際勧告値を超えないことが明らかにされている[9]. 諸外国の獣医療では核医学が安全に実施されているので,わが国で獣医核医学が実施されても何ら問題は生じないと予測されるが,その前提として,獣医大学における教育と獣医師に対する研修は欠かせない.核医学や放射線治療は一般の動物病院で行われるものではなく,大学付属病院やセンター的な動物病院で実施されるものであるが,一般の獣医師であっても核医学診療等を専門病院に依頼した場合には,退院時の説明を畜主に対して行う義務があることを忘れてはならない.また,核医学や放射線治療を実施する専門病院では,必ずしも獣医師である必要はないが放射線防護の専門家を配置することが求められるであろう. |
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