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鯉江 洋†(神奈川県獣医師会会員)
私が獣医師という職業を意識したのは中学2年生のときである.祖母と従弟と三人で北海道・留寿都の酪農業を営んでいる親類に夏休みを利用しておじゃましていた際にたまたま難産の牛に遭遇した時だった.たしか夕食も終わろうとしていた時間だったと思う.陰部から片前足しか出ていない雌牛が苦しんでいた.すぐに獣医師が呼ばれ,彼は外に出ていた片足をおなかの中に戻し,次に手を深くまで突っ込み,手際よく両前足を外に引っ張り出してきた.そこで長いロープをくくりつけ,興味の固まりの眼(まなこ)で見ていた私たちに「それじゃ一緒に引っ張ろう」と声をかけてくれた.都会で育った私たちが初めて接した牛の出産,しかも自分たちも参加した難産介助は多感な少年に大きな影響を与えてしまったらしい. 実はこれよりももっと以前に獣医師と接する機会はあった.私は物心ついたときには小鳥や金魚,野良猫(?)を飼っており,中学生になるまでインコ各種,トカゲ,カエル,昆虫などいろいろな動物を飼育していた.単にかわいいからというよりはどうしたら長生きできるのか飼育方法をあれこれ考えるのが好きだったように思う.そういうわけでセキセイインコが足を骨折した際に,その頃めずらしかった渋谷にある動物総合病院の獣医師にお世話になっていたのである.ただ残念なことに,この時は獣医師という職業を年齢が幼かったためか意識はしていなかった. 私は現在,日本大学(生物資源科学部獣医学科総合臨床獣医学教室)の講師を務めながら小動物臨床に従事している.大動物獣医師に影響を受けて獣医師を志したはずなのになぜ「小動物」獣医師をしているのか?そこには大学生になり現実を見極めた浅はかな考えがあった(小動物獣医師の先生方すみません!).こう見えても私は東京・中野育ちでしかも男ひとり長男で牛の飼育されている地方に住むことはないということで,自ら現実路線を選んでしまったのである.学生時代にはいろいろなことに興味があり,サークル活動は「牛」関係,実習先は「水族館」などを選んでいた.たぶん卒業したら小動物の世界にどっぷりつかるので,それまではいろんなことをしてみようと思っていたのだと思う. 自分はいったいどんな獣医師になりたかったのであろう? 産業動物獣医師から影響を受けたのは確かだが,本当に大動物獣医師になりたかったのか? 本気だったら生まれた場所を捨ててでも選択すべきだったのではないか? その一方で現在従事している犬や猫の小動物獣医師にどうしてもなりたかったのか? 幼い頃からのことを考えてみると動物に触れることや飼育法を試行錯誤するのに興味があったのかもしれない.ただ獣医師を志すきっかけは「牛の獣医さん」だったのである.その私がなぜ大学の教師をしているのも「摩訶不思議」なことである.大学6年間の後半は「生理学」研究室に所属し,どっぷり基礎獣医学の世界にはまっていた.研究室での3年間は,生まれて初めて自分で研究内容を考えてそれを完結させ学会発表を行う課程を経験させてもらい,ぼんやりと「こういうことが仕事になれば」と考えていたのは確かである.でも現実になるとは思わなかった.私の場合,先にも書いたが卒業後は町の「獣医さん」を考えていたので大学教員になる準備はまったくしていなかった.したがって教員になってから学位取得などで苦しむことが多かった. 私は今年で41歳になる.いわゆる厄年である.こんな時にこの原稿を依頼されるのはなかなか意味のあることだと思った.おかげで現在の自分がなぜこの職業に就いているのか復習することができた.その結果はこれといってすばらしい夢もなく流れにまかせて「大志」は抱いていなかったらしい.しかし教員になってからの10年間にさまざまな学生,卒業生に出会えたのは財産である.本当に私を育ててくれたのは彼らだったと思う.これからもそういう「彼ら」に出会えるのは本当にすばらしい職業だと思う.ということで流れ流れてすばらしい天職(?)に就けた自分は幸運だと思う. |
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† 連絡責任者: | 鯉江 洋 (日本大学生物資源科学部獣医学科総合臨床獣医学教室) 〒252-8510 藤沢市亀井野1866 TEL ・FAX 0466-84-3899 |
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