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鯉の環境水改善と飽食の弊害
小熊俊壽†(新潟県獣医師会会員) |
鯉は水棲動物であり,その水質は健康と密接な関係がある.今までに遭遇した諸種の原虫類や細菌等に起因する疾病は,水が汚れて亜硝酸濃度が上昇し,酸性水(PHの低下)になると病原体は急速に増殖しながら感染力を高める傾向がある.そのため池に新水の流入量が減少したとき,また水の濾過循環装置の能力が低下しているときは,短時日に大きな被害が発生するようになる.鯉の体調が悪いときは,まず水温,水質(PH及び亜硝酸濃度)を測定する.また病魚や死亡魚については鰓や体表粘液の視診所見を記録し,死亡魚は剖検する.病気の原因が不明の時はさらに主要臓器の切片を顕微鏡により検査をする.生体の血液検査も時々常法により行う. 動物の健康は空気や水中の酸素濃度に大きく支配されているのだが,主として屋外で飼育されている家畜ではこれが問題となることはきわめて稀れである.しかし限定されている水域に棲息している魚類の健康は,環境水の溶存酸素濃度が状況(天候,池の広さ,採食量)により大差を生ずるので,常に魚の行動(食欲,運動)を観察する事が飼育者に課せられた責務である. 魚類の酸素要求量は水温の上昇による運動量や採食量の増加により次第に多量が必要となる.これに反して水中の溶存酸素飽和量は水温の上昇により減少する.冷流水(水温10〜15℃)を好み生息しているニジマスの酸素要求量は高く,体重1kgで1時間に300mgが必要といわれている.これに比べ温水性魚類に属している鯉は体重1kgで1時間に水温10℃の時20mg,15℃の時38mg,20℃の時62mg,25℃の時は77mgが生存ために必要といわれている.さらに食物の消化や運動のために体内では多量の酸素が消費されているので,狭い水域の飼育魚は健康維持のために人工の酸素補給法(エアレーション,瀑気,噴水)を行う必要がある. 適正なニシキゴイの環境水はほぼ中性にして,PH6.8〜7.2位,亜硝酸濃度は0.1PPM以下が最もよいといわれている.鯉が病気になったり自家治療をしているが好転しないとの稟告のあった水は,検査をするとPHは6.6以下亜硝酸濃度は0.2〜0.3PPMとなっていた.また水を培養すると大腸菌をはじめ起病菌のFlexibacter columnaris(鯉病菌)やAeromonas salmonicida(穴あき病菌)が発見されることが多い.適正水であっても過密飼育を続けていると,代謝産物の増量により亜硝酸濃度は急上昇するようになる. 不適正の水とは多量の有機物(排泄物,動植物の枯死体)や化学的有害物(農薬,消毒薬等)が多く含有されている水である.これらの汚染水も自然界では太陽光線や空気及び多種類の浄化性細菌により順次酸化分解される.しかしその分解課程で鯉に有害な亜硝酸の発生等多くの注意事項がある. また水温の低下する晩秋より早春までの越冬期間に多数の鯉が罹病する鰓病(Columnaris infection)の病原菌はF. columnarisである.この菌は水質浄化性細菌の一種であり,水が汚染すると亜硝酸濃度は上昇し,PHは低下するので菌は大増殖するようになる.この悪循環を阻止するためにはPH検査を随時に行い,低下が予測される時は適量の中和剤(炭酸カルシウム製剤)を事前に散布することは必須の条件である.これを怠ると急性亜硝酸中毒症となり,稚魚や幼魚の時期には一夜で全滅する.雨水は弱酸性にして大量に降る梅雨期には中和剤の散布が急遽に必要な事がある.その時は消石灰を利用する事が多い.その方法はまず水量をできるだけ正確に測定する.その環境水を1tに対して消石灰100g以内をバケツかビニール袋内に溶解する.その上澄液を魚の居ない場所より静かに水を撹拌しながら順次に散布すると,比較的安全で効果がある.しかし急激な酸性水の中和操作は魚に大きなストレスを与えることもあるので,中和剤の散布は前記量を一日一回とし,検査を続行しながら順次に中性となるように心掛ける. 血液検査に採血可能な体表血管が鯉では少く,そのため採血は困難なことが多い.通常は心臓の後部に位置する「静脈洞」や尾動脈で行う.大型鯉からの採血は保定がやや難しいので軽度の麻酔をし,頭部を術者の左側に腹部を手前にする「横臥保定」で行う.左手掌で頭部をやや強く抑え,右手に持っている採血注射針を胸鰭根部の無鱗部分より,静脈洞の位置をよく確かめてから静かに刺入し採血をする.その際魚体に相応したサイズの採血針を選定すること. 鯉の赤血球数は飼育法の違いやその時期の体調により若干の差異がある.それぞれの調査報告者によると1ml中に140〜180万となっていた.私の調査では食用ゴイの越冬直前で平均200万であった.またニシキゴイについては診察の時に検査をしたのは別表1のとおりである.栄養のよい時は200万で衰弱している時は半分の103万の症例もあった.治療をする時は150万以下の状態では治療効果は薄く,完治するまでに期日を要するので飼育者には事情をよく説明している.大型鯉(4kg位)の穴あき病の治療例では,初診時に幼児の手掌大の潰瘍が背部にあったが,加療とともに患部の微出血は止って新生肉芽組織の再生がはじまり,数カ月後には新しい鱗が出現している例もあった. 赤血球数の変動は健康な家畜ではないが,変温動物であり温水性魚類に属している鯉は,水温の変化により運動や採食量に大きな差異があるので季節(水温)により変動がある.水温が高く食欲の旺盛な夏から晩秋頃までは血球数は正常でその数は多い.その反面越冬の中期以後から早春の5月頃までは長期間の水温低下により体調は衰え,造血機能も低下しているので血球数は少いものが散見されるようになる.したがって早春期は抗病性が減弱しているので諸種の病気発生率は高い.魚類の造血組織は頭腎部及び脾臓に造血細胞があり,他の血球類もここで生産されている.肥満症や卵巣腫瘍症の例では,長期間の造血臓器の圧迫により貧血は進行し,腫瘍の摘出手術を依頼された時,赤血球数は150万以下となっている症例が多くありこの状態では手術をしても予後不良となる. 血液の生化学的成分についてはレフロトロン(機種名)により,水温の異なる夏と冬及び病魚と試験魚を調べた.検査不能の項目もありまた差異の少ない項目については省略する. 別表2は鯉の生化学成分の変動である.「GLU」は糖分で過肥の時は上昇する.「CHOL」は血中の脂質で肝臓で合成されその多くは蛋白質とゆるく結合してリポ蛋白となっている.「サナギ」等の動物性飼料の偏食により上昇する.「BIL」はヘモクロビンの代謝産物であり肝臓で処理され胆汁中に移行する.薬物中毒の時は上昇するといわれている.「GOT」「GPT」はともに心筋細胞や肝細胞に障害のある時は上昇する血清トランスアミナーゼ酵素である.その増加は臨床上,最近は特に重視されている.GOTについては実に驚くべき数値を示した例がある.夏季には著しく上昇する.特に試験のために高蛋白質飼料の飽食を続けていると,検査値は急上昇して700〜1,000を示した例では,ほとんどが数カ月以内に死亡した.この事実は今後の鯉飼育の重要な指標となる事と思う.「AMYL」は消化酵素でその増域は消化器や消化液の分泌障害を示している.「BUN」は蛋白質の代謝産物であり腎臓に障害のある時は上昇する. 以上の所見から採食期の夏には鯉の肝臓に大きな負担のある事が証明できた. 病理組織検査は飽食と関係があると推測した症例について実施した.鯉には「肝膵臓」と命名されている臓器がある.哺乳類,鳥類,海水魚の大部分は肝臓と膵臓はそれぞれ独立臓器となっているが,鯉は舌状の細長い肝臓組織中にある太い血管を包むように,膵臓組織が付着しているのでこれを肝膵臓と呼んでいる. 図1は健康な鯉の肝膵臓切片染色写真である.血管内には赤く染った赤血球がある.その周囲に紫青色に染っている胞状の組織は膵臓細胞である.さらにその周囲に広く不整石垣の如くに並んでいるのが肝臓細胞である.肝細胞の核は紫青色に明瞭に染まり,また細胞の周囲には間隙(すきま)がある.そこには毛細血管中の赤血球が散在しているので,肝膵臓の機能は円滑に活動していたものと推測している.肝腫大の所見があった例では栄養物の過量蓄積により肝細胞は膨らんで円形となり密着しているので毛細管の存在が不明瞭となっていた.そのため機能は衰えて死亡したものと診断している. 図2は肥満症となり死亡した鯉の肝膵臓である.摂取した余剰栄養物は初期には皮下や腸間膜に脂肪組織となって蓄積されますが,さらに過剰分がある時は,軟弱な組織で構成されている膵臓細胞を圧縮しながら,ここに栄養物は白い脂肪組織となって蓄積が続けられるため,活動している膵臓細胞は著しく減少するようになる.肝細胞もまた腫大顕著となり,極度の肝膵臓の機能減退症となって死亡したものと診断した. 死亡する一年半以上前より肥満症の徴候があるので管理の改善指導をしてきた.その後は体調もよくなり雌鯉であったので翌年は無事産卵をした.しかしその後は体調が優れず遂いに衰弱死亡したので剖検をした症例である.健全と推測される膵細胞は1/3位となり,残りの2/3位の部分は脂肪細胞の侵襲を受けて圧縮されていた.これが一年余の減食管理により肝細胞との境界附近より,蓄積脂肪の一部は次第に消失した形跡がある.しかしその部分の膵細胞は一年位の短い期日では再生復活されず,機能は消失していたものと推測される.このような顕微鏡所見により鯉は肥満症になると,膵臓の内分泌機能は次第に衰え,インシュリンやアドレナリン等による血糖や血圧の調整が,円滑に行われず死亡したものと診断した. 他の症例では事前に管理指導を行っていない.図3は腎臓内の血管周囲に,白く蓄積されている脂肪組織であるが,きわめて珍しい飽食弊害の症例である. それぞれの図下段には説明を簡記してあるが,死亡症例では染色までに時間を要した. 病気を予防するためには体力を増強し抗病力を向上させることが第一である.そのためには環境の改善が絶対に必要となる.鯉は受けた傷害や過剰なストレスを克服するために,多くの細胞が協調して活動する自然治癒機構がある.この機構を充分に発揮させるためにも環境改善をすることは大切である.それにはまず0.5〜0.85%程度の食塩浴(家畜の補液に相当)と水中溶存酸素濃度の充実(エアレーションの実施)である.さらに適正な水質と水温の中で静養を続けると速時に減退していた諸細胞の活動が促進され,代謝作用も次第に回復するようになる.特に鯉は体表部に傷害があると痂皮形成が困難なために微出血が続き貧血症となりやすいので,無処置の時は急速に衰弱するのである.必ず患部にイソジン等の塗布や抗菌剤の薬浴は有効な対策法となる.また自然池の水中には粘土コロイドがありこれにより患部の包摂作用も活発となり,コンクリート池よりも早く治癒へ転帰するようになる.結論として健康維持には変化しやすい環境水の調整が不可欠となる.また発育を促進させている高蛋白質飼料の飽食は,肝膵臓をはじめ諸臓器の疲労は進行し抗病性に乏しい体調へと変身している実態が,血液検査や病変臓器の顕微鏡検査により証明された.よい環境水で季節に適合した飼料を給与していることが,何よりの健康法であることを充分に理解していただきたい. |
注:本投稿原稿は,社団法人全日本愛鱗会会誌(435号/平成16年3月号)に投稿掲載されたものを投稿者(著者)が加筆・修正したものである. |
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