解説・報告

冷凍動物園と野生動物の未来

成島悦雄(東京都多摩動物公園飼育課課長補佐)


 来年,愛知県で開催される愛知万博では,シベリアの永久凍土から掘り起こされた氷づけのマンモスが展示されるという.1万年前に絶滅し,長年の眠りを破って現代に現れる姿をぜひ見たいと今から楽しみにしている.近年,冷凍動物園を併設する動物園が増えているが,冷凍動物園は冷凍マンモスなどの氷づけ動物を展示する施設ではない.いろいろな動物の精子や卵子といった配偶子,受精卵が発生した胚,皮膚などの細胞を継代培養したものをマイナス196度の液体窒素で冷凍保存する施設である.家畜で普通におこなわれていることの野生動物への応用である.動物園とはいうものの,市民への公開を前提としていない.冷凍された生殖細胞などは,将来,必要に応じて解凍され,人工授精や胚移植,クローニングなどに応用される.最近では保存対象が動物のDNAにまで広がっている.
 現在,地球上に62億人の人間が生活しているが,2050年には人口が100億人に達すると推定されている.このような人口の急激な増加に伴う森林開発に加え,狩猟や外来種の影響などで,絶滅の危機にある動物種は増加の一途をたどっている.これからの30年間で哺乳類は全種の24%にあたる1,130種,鳥類は12%にあたる1183種が絶滅するだろうという予想もある.
 このような厳しい状況に対し,動物園では,いままで培ってきた野生動物の飼育技術を応用し,緊急避難的に動物園で野生動物の個体数を増加させる努力を重ねている.本来の生息地内での野生動物の保護活動を「域内保全」というのに対し,動物園など生息地ではない場所での保全活動を「域外保全」と呼び区別している.域外保全活動は,野生では絶滅しても生息地域外で動物が生き続けられればよいとした活動ではない.将来展望として,もとの生息地に飼育繁殖個体を戻し,健全な自立繁殖群を確立することを念頭においている.
 域外保全にもいろいろな方法がある.動物園などでオスとメスが自発的に交尾し,メスが受胎し,新しい命が誕生することがもっともオーソドックスな繁殖方法である.そのために,国内外の動物園は繁殖計画をたて,協力して血縁関係に配慮しながら繁殖に適した動物を別の動物園に移動し,ペアーをつくり,繁殖をはかっている.世界のどこの動物園にどのような動物が飼育されているか,その動物の血統はどうかという情報は効果的な飼育繁殖計画に欠かせない.この目的のため世界の600以上の動物園水族館は,飼育動物のデータベースである国際種情報システム(ISIS:International Species Information System)を構築し,日々の飼育管理や希少動物の飼育繁殖に活用している.
 しかし,繁殖のために生体を移動する方法には欠点もある.たとえばゾウの場合を考えてみよう.体重が4トン以上もある巨大なゾウを繁殖させるため,遺伝的に適切な個体を移動するのは大変な労力と費用がかかる.輸送ケージに慣らすための訓練,輸送に使う飛行機の手配,輸送中のストレス対策,輸送費,検疫,新しい飼育環境への馴化,交配相手とのお見合いなど,交配に至るまでにクリアしなければならない課題が目白押しだ.
 病気の問題もある.各国に検疫制度があるとはいえ,基本的に家畜を対象としているため,多くの国で野生動物の検疫は家畜のレベルに達していないようだ.イギリスの動物園からフランスの動物園に繁殖のために貸し出された(繁殖貸与とかブリーディングローンと呼ぶ)チーターが,フランスで海綿状脳症を発症して問題になったことがあった.1980年代からイギリスの動物園動物において海綿状脳症が問題となっていた.牛海綿状脳症に感染した牛を動物園動物のえさとして与えていたためである.チーターの発症は,繁殖のためとはいえ,希少動物の移動が時として感染症をよその国に伝播させてしまう危険を持つ警告となった.
 一方,冷凍動物園の液体窒素に保存された生殖細胞は,餌を与える必要もなく,液体窒素の補充だけでよい.維持費も安く,半永久的に保存が可能である.移動も生きた動物の輸送に比べると,簡単で,安全,コストも安い.
 遺伝子の多様性を守る点からも多くの利点がある.自然交配では相性の問題があり,オスとメスを引き合わせても,思うように交尾してくれるとは限らない.しかし,人工授精を行えば,相性の問題を無視できる.上野動物園でジャイアントパンダの繁殖に,人工授精を行っているのも,オスとメスの相性が合わないためである(図1).足が不自由で物理的に交尾ができないといった場合も,人工授精を行うことで,その個体がもつ遺伝情報を有効に活用できる.繁殖に使える個体群が小さいと,飼育繁殖を重ねることで,近親交配の弊害が現われてくる.このような場合も,祖先にあたる個体の凍結生殖細胞を融解して繁殖に用いることで,ふたたび遺伝的多様性を高めることが可能となる.時計の針を前に戻すようなものである.

図1 ジャイアントパンダの採精風景

  良いことずくめのようだが,冷凍動物園に問題がないわけではない.たとえば,精子などの生殖細胞の凍結方法が十分に確立されていないことである.動物種により凍結に対する抵抗性に差があるため,ヒトやジャイアントパンダでおこなわれる方法を,そのまま,ほかの動物に応用することができない.ヒトやジャイアントパンダの精子は凍結に対してよく耐える.しかし,ヒトと同じ霊長類であるゴリラの精子は,凍結に対しとてもデリケートである.また,麻酔したゴリラから電気刺激による採精では,受精能力がとても低い精子しか採集できない.精子の採集方法や凍結保存方法に,さらなる研究が必要である.
 最近,国立環境研究所で,環境試料タイムカプセル棟が完成したとニュースが報じていた.環境試料タイムカプセル棟は,いわば冷凍動物園の一種と言ってよい施設である.環境研究所では動物園,大学,自然保護事務所などと協力体制を構築し,保存種の選定,細胞の採取及び凍結条件の検討,輸送体制の整備を始めるとのことで,今後の取り組みが期待される.
 私が勤務する多摩動物公園では,日本獣医畜産大学臨床繁殖学研究室の協力を得て,コアラ,チーター,ライオン,マレーバク,ターキンなどの凍結精液が70本ほど保存されており,凍結精液を使った人工授精でライオンが誕生している.神戸大学農学部には関西の動物園を中心とした動物園動物の共同冷凍動物園が設置されている.
 世界の動物園でも,冷凍動物園のための生殖細胞の保存が行われている.最も活発な冷凍動物園は,米国サンディエゴ動物園にある冷凍動物園であろう.この施設は25年の歴史を持ち,355種3,200個体の細胞が保存されている.英国自然史博物館は2004年7月からロンドン動物学協会やノッティンガム大学の協力を得て冷凍方舟(Frozen Ark)の名前のもと,国際自然保護連合IUCNの希少動物リストに従い,絶滅の危機にある動物のDNAや組織サンプルを収集し,冷凍保存する活動を開始した.この活動のユニークなところは,無脊椎動物から脊椎動物まで広範にわたる動物種のDNA保存をめざしていることである.冷凍動物園ではなく冷凍方舟と命名したところに,彼らの心意気が感じられる.
 もちろん,これ以上,絶滅動物を増やさない努力を欠かすべきではないが,あわせ野生復帰をめざして100年〜200年後にも遺伝的多様性を保つことができるような野生動物の飼育繁殖計画を進めていく必要がある.冷凍動物園はそのための有効な手段の一つになりうる.世界各地に冷凍動物園が増えていくことは,貴重な細胞が複数箇所に分かれて凍結保存されることになり,危険分散の意味からもよい傾向である.今後,取り組むべきは,どの動物種のどんな細胞がどこに保存されているか,データベースを構築し,情報を共有化することである.野生動物の未来を明るくするため,生殖細胞の採取方法や冷凍保存技術の発展と早期の冷凍動物園のネットワークの完成が待たれる.私たち動物園人も,関係分野の方々の協力を得て,最新の畜産技術を取り入れながら飼育繁殖に取り組んでいきたい.


図2 上野動物園の冷凍動物園(液体窒素のタンク)


† 連絡責任者: 成島悦雄(東京都多摩動物公園飼育課)
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