地方会だより

『日本獣医学』の生みの親 新山荘輔・宮内省下総御料牧場
初代場長の銅像60年ぶりに再建される


岩田頴三(千葉県獣医師会常務理事)

 新東京国際空港(成田空港),年間2億8千万人を超える人々(平成14年)が海外から,また,海外に向けて飛び立ってゆく日本の表玄関.成田市三里塚を中心として昭和53年5月に開港した.
 空港建設に提供された用地は,宮内省御料牧場を中心とした周辺地域で,その地域一帯は畜産及び畑作等の農業地域であった.
 この地域で畜産・農業が発展していたのは,江戸時代には徳川幕府直轄の牧が置かれていたこと,また,明治時代にはこの牧の一部が国の種畜場となったことなどである.
 幕府直轄の牧として千葉県には小金牧,佐倉牧,峯岡牧があり,八代将軍徳川吉宗の時代には峯岡牧に白牛を導入(フランス皇帝ナポレオンから贈られたと言われている)し,今でいうバターやチーズが作られていた.これが全国有数の千葉県酪農の礎となった.
 また,吉宗は唐馬・洋馬の輸入を行い馬の生産に力を注いだといわれており,牧における牛馬の管理をさせるため牧士が置かれ,恐らく治療等も行わせていたと思われる.(千葉県富里市には藤崎牧士記念館が設置されており,牧士の装束・携帯用具や当時の資料等が保存されている.興味のある方は訪ねてみてほしい.)
 明治初期には,政府の耕牧業振興により佐倉牧の一部に牧羊場と種畜場を開設し,海外から多数の緬羊を導入した.
 その後明治13年に下総種畜場と改称し,牧羊法,牛・馬・豚の管理,治療法,去勢法,酪農一般,農機の用法等について教育・実習を行ったことなどから獣医学教育の発祥の地として『獣医学実地教育創始記念碑』が建立されている(図1).
図1 獣医学実地教育創始記念碑

 明治21年には宮内省下総御料牧場と改称され,繁殖種馬の改良や地域畜産の発展に多大な貢献をしてきたが,昭和44年成田空港建設に伴い下総御料牧場は栃木県那須に移転し,跡地の一部が三里塚御料牧場記念公園として整備された.
 この下総御料牧場の初代場長として34年間務めたのが新山荘輔氏で,種畜の改良・繁殖・育成等を通じ飼養管理,治療法等にご尽力されたことなどから『日本獣医学の生みの親』と言われている.
 また氏は,牧場経営や畜産振興のかたわら地元小学校に奨学制度を設けるなど地域の発展にも貢献したことから,退職後の大正13年にその功績を称えフロックコートに帽子,右手にステッキ姿の銅像が建立された.
 しかしながら第二次世界大戦の砲弾用として寺の鐘などとともに銅像も供出され,わずかに台座だけが名残をとどめていたが,氏の功績を知る地元の人達が地域に長くその名をとどめたいと銅像の再建計画が持ち上がり,実行委員会を組織して募金活動を展開し,約8百万円の浄財が寄せられ,銅像の原型写真をもとに復元し(図2),平成16年4月11日盛大に除幕式が行われた.
図2 新山荘輔氏の銅像

 また,この三里塚記念公園には,三里塚御料牧場記念館が設置されており,わが国の畜産振興に輝かしい足跡を残した旧宮内庁下総御料牧場について,牧場の概要,歴史,牧畜と農耕,研究技術の発展,皇室と御料牧場,三里塚と文人などの関係資料・機材などが展示されている,ご莱葉の折りにはお立ち寄りいただきたい.



† 連絡責任者: 岩田頴三(千葉県獣医師会)
〒260-0001 千葉市中央区都町463-3
TEL 043-232-6980 FAX 043-232-6986