解説・報告

NOSAI獣医師の国際協力を考える

安里 章(元北海道農業共済組合連合会研修所長・北海道獣医師会会員)


 1.は じ め に
 国際協力機構(JICA)や日本獣医師会などにより開発途上国から招かれた多くの獣医師が,わが国の大学や動物衛生研究所などにおいて,最新の獣医技術に関する研修を受けている.私が以前勤務していた北海道農業共済組合連合会研修所(研修所)においても,本来業務である農業共済(NOSAI)団体の家畜診療所に勤務する獣医師(NOSAI獣医師)に対する卒後臨床研修を行いながらその一翼を担い,産業動物の一般臨床や生産獣医療の技術移転を行ってきた.私自身も,牛乳房炎防除対策と細菌検査の講義と実習を担当してきたが,その中で国際協力にたいへん興味をもったことから,NOSAI獣医師の酪農に関する国際協力について考えてみたい.
 2.研修を行いながら感じたこと
 研修を行いながら感じたことは,わが国に招かれた開発途上国の獣医師に対し,彼らが帰国してから牛乳房炎防除対策について何を考え,何を行っているか,あるいはどのようなサポートを必要としているか,さらに現地にはどのような牛がいるのか,どのような検査機材があるのかなどが解らないでただ単に技術移転に当たっているのではないかということであった.ケニアから来た研修獣医師は,「確かに臨床型乳房炎乳汁を培養することは重要であるが,ケニアでは中央にある研究所が細菌検査を行っているため,現場では採材してから研究所に乳汁を送付しなければならない.しかし,乳房炎乳汁を冷蔵あるいは冷凍で研究所まで輸送する手段がない.」と話していたことが象徴的であった.つまり,彼らが帰国してから牛乳房炎防除対策が現地でどのように活用され,役立っているか解らないで研修を行っていたということであった.このため,今後は彼らの国へ行き,一緒に乳房炎防除対策を行いながらその現実を把握すること,あるいは現場と研究所を繋ぐ手段を講じることが必要だと感じてきた.
 3.開発途上国を訪れ実施した乳房炎防除対策
 そこで,開発途上国で活躍しているJICA専門家や研修所で研修を受けた開発途上国の獣医師などと連絡をとり,タイ(1993年),スリランカ(1995年),モーリシャス(1997年),ネパール(1998年),韓国(1999年),台湾(2001年)及びベトナム(2002年)と,7カ国の開発途上国(韓国と台湾は開発途上国とはいえないが…)をそれぞれ1週間程度訪問し,現地の獣医師らと一緒に搾乳立会と細菌検査を組み合わせた乳房炎防除対策を実施してきた.1週間ということは,正味4日程度であり,まことに中途半端な期間であったが,これは,長期間の休暇をとりづらいことから,有給休暇の範囲内という限られた時間のためである.さらに,私用ということなので,細菌検査のための5%羊血液加寒天培地やウサギプラズマなどの機材を持参しての訪問であった.
(1) タ イ
  タイでは,バンコクにあるNational Animal Health & Production Institute(NAHPI)の要田正治JICA専門家及びNAHPIの獣医官らとラチャブリにある5戸の酪農家を搾乳時に訪問した.夕方と翌朝の2回の搾乳立会で5戸となったが,これは1牛舎を半分ずつ2戸で使用あるいは牛舎の軒を接してすぐ隣に他の酪農家の牛舎があるといったことが理由である.5戸の58頭の乳牛から採材した分房乳をNAHPIに持ち帰り,CMTと細菌検査を行った.その結果,これらの酪農家には搾乳手順及び搾乳衛生に大きな問題があったほか,StaphylococcusaureusS. aureus)とStreptococcus agalactiaeS.agalactiae)乳房炎牛が多数存在する高度伝染性乳房炎問題牛群であった.
(2) スリランカ
  スリランカでは,ペラデニヤ大学のL. N. A. deSilva講師及び同大学の獣医官とともに,ヌワラ・エリアにあるいずれも100頭程度の搾乳頭数をもつ大規模な政府系2農場を晩と朝に分けて搾乳時に訪問した.2農場の94頭の乳牛から採材した乳汁を大学に持ち帰り,CMTと細菌検査を行った.これら2農場には搾乳手順,搾乳衛生に大きな問題があったほか,両農場とも約半数の牛がS. agalactiaeに感染していた高度伝染性乳房炎問題牛群であった.
(3) モーリシャス
  モーリシャスでは,農水資源省のA. Jahangeer獣医官とキュールピプにある政府系1農場を搾乳時に訪問した.39頭のクレオール牛から採材した乳汁をモーリシャス大学内にある農水資源省の研究所に持ち帰り,CMTと細菌検査を行った.搾乳手順,搾乳衛生に大きい問題があったほか,環境性乳房炎問題牛群であった.それでも,東京都程度の小さい島国なので,外国の牛との接触が少ないためか,乳房炎自体は大きい問題ではないようであった.
(4) ネパール
  ネパールでは,佐々木正雄JICA専門家及びカトマンズにあるDairy Development Corporation(DDR)の職員と,カトマンズ近郊にある乳用水牛を搾乳している9戸を搾乳時に訪問し,12頭から乳汁を採材してDDRに持ち帰り,CMTと細菌検査を行った.また,インド国境に近いランプールにあるトリビュバン大学ランプール校獣医学科に行き,I. P. Dhakal講師及び学生とともに,すでに採材済のジャージー24頭の乳汁に対しCMTと細菌検査を行った.さらに,生乳の保管と輸送方法が生菌数に与える影響を調査した.S. aureus及びS. agalactiae乳房炎の問題はなかったものの,市販の低温殺菌されたパック牛乳から大量の細菌が検出された.このことから,集乳所からバルクタンクのあるMilk Cooling Stationまでの間の生乳の保管及び輸送方法,特に生乳の冷却を適正に行うことが今後の課題であった.
(5) 韓 国
  韓国では,春川市にある江原大学獣医学科李殷松助教授及びソウル牛乳の臨床獣医師らと,江原道にある酪農家1戸を搾乳時に訪問し,20頭の乳牛から採材した乳汁を大学に持ち帰り細菌検査を行った.搾乳手順と搾乳衛生に問題があったものの,乳房炎原因菌が検出された頭数割合は12.5%ときわめて低く,北海道でも類を見ないほど頭数陽性率が低かった.しかし,個乳の体細胞数は常に25万/ml前後のため,通常はこのような低頭数陽性率とはならないことから,私たちの訪問前に酪農家自ら抗生物質を乳房内注入したことが疑われた.なぜなら,薬局で乳房炎軟膏を含めて酪農家が抗生物質を買うことができるからである.このように,わが国からみると薬事法上の問題はあるが,数年で北海道に追いつくと思われた.
(6) 台 湾
  台湾では,口蹄疫発生の関係で搾乳立会ができなかったため,国立中興大学獣医学科荘士徳講師のお世話で,同大学と家畜保健衛生所で講演のみを行った.そこで,昼間に酪農家3戸を訪問したが,台湾での酪農家の平均飼養頭数は平均100頭と北海道並みであり,今後の発展が期待された.
(7) ベトナム
  ベトナムでは,ハノイにある国立獣医学研究所(National Institute of Veterinary Research:NIVR)強化計画に携わっている要田正治JICA専門家及びNIVRの獣医官らと,ハタイ省バビ郡にある政府系1農場を搾乳時に訪問した.搾乳手順,搾乳衛生に問題が大きかったほか,細菌検査に供した21頭中19頭からS. aureusが検出され,きわめて深刻なS. aureus問題牛群であった.

 全体をまとめると,これら7カ国の乳房炎防除対策の水準は,韓国と台湾を除いてわが国の30〜50年前の状況であった.特に,S. aureusS. agalactiae感染による伝染性乳房炎の問題が大きく,「悲惨」と感じた国もあった.ほとんどの現地の獣医師らにとって,乳汁の細菌検査は初めての経験であった.このため,S. aureus乳房炎に対する防除対策などの認識はほとんどなかったが,わが国でも30年前は同じ状況であった.すなわち,乳房炎の損害防止の巡回で細菌検査を実施してS. aureusが検出された場合,酪農家に対して「S. aureusが検出されている」というのに留まり,獣医師も酪農家もだからどうしたらよいのかが解らない状態が続いていたのである.また,うがった見方をすれば,先進国が自国で淘汰したS. aureusS. agalactiae乳房炎牛をこれら開発途上国へ輸出していることも脳裏をかすめた.私が臨床獣医師になった頃,わが国でも北米からの輸入牛が白血病であったとか,分娩したらS. aureus乳房炎であったりしたからである.
 現地では,必ず搾乳立会の結果は乳汁の細菌検査成績をふまえてセミナーとして実施し,必ずや消費者は高品質乳を要求することを強調しながら,「教えることは学ぶこと」ということを強く実感した.1週間位で何ができるか,自己満足ではないか,日本ではもう相手にされなくなったからかなど自問自答したが,NOSAI獣医師の国際協力について考えるよい機会となった.
 いずれにしても,開発途上国の酪農現場に行ってみて,わが国で研修を行っているだけでは解らなかった現地の様子が一部分ではあるが初めて理解できたことから,現場第一主義での技術移転が重要であると理解した.
 4.NOSAI獣医師の国際協力
 この中で,わが国が行う開発途上国の酪農発展のために行う技術移転とはどういうものであろうか.やはり,わが国からみた牛の海外悪性伝染病を防除する技術移転が第一であることは確かではある.しかし,かつてわが国もそうであったように,国民の栄養状態の改善のため,酪農を発展させ牛の生産力を上げることも開発途上国の重要な課題であることから,一般診療及び生産獣医療に係る技術移転も同時に行うことが必要である.このためには,現場の状況を把握する必要性があることから,開発途上国に行き一般診療及び生産獣医療に係る技術移転を実施することが重要なことになる.わが国も欧米に助けられて畜産,酪農の発展が図られた時代があったからこそ現在に至っているのである.
 開発途上国の獣医師に対する一般診療及び生産獣医療に係る技術移転は,現場にあるもので何でもできる産業動物臨床獣医師,特にNOSAI獣医師に向いている仕事だと考えている.何といっても,NOSAI獣医師には畜産現場での臨床というベースがあるので,開発途上国において一般診療ができる「はだしの臨床獣医師」を育てながら,臨床現場と研究所あるいは大学との仲立ちを果たすことができるであろう.
 さらに,NOSAI獣医師の「仕事の意味」ということを考えると,若いうちに国際協力を経験するということは,将来に大変に大きい財産になるばかりか,NOSAI組織の活性化にもなるだろう.近年は,NOSAI獣医師も海外研修の機会が多くなったが,海外研修に行く獣医師のうちの10%でも20%でも開発途上国に教えに行ったらどうだろうか.欧米から習うことも重要であるが,教えることも同じように勉強になるからである.
 5.NOSAI獣医師が国際協力を行う場合の問題点
 今後はNOSAI獣医師が開発途上国で活躍する番だと考えているが,そのためにはいろいろな問題がある.
 1999年にノーベル平和賞を受賞した「国境なき医師団」の運営に対するわが国からの拠出金は全体の5%を占めているにもかかわらず,派遣している人員は0.3%にすぎないと報告されている.この理由は,「国境なき医師団」からは最低6カ月間の出向を求めているものの,わが国の労働環境では6カ月間も職場を空けることができないということにある.つまり,「国境なき医師団」に参加を希望しても,現在の職場を退職しないかぎり不可能だということが問題の根本にある.また,一般的な風潮として欧米に留学することへの評価は高いが,開発途上国にボランティアとして行くことへの評価は低いということも理由の一つになっている.欧米では「国境なき医師団」に参加したことを名刺に記載することができ,これがその医師の評価を高めることになるとのことである.
 ふり返って,NOSAI獣医師のことを考えてみると,国際協力に興味と意欲のある若く優秀なNOSAI獣医師は多いものの,国際貢献を行うにはハードルが高いと言わざるを得ない.「国境なき医師団」に参加したいが退職まで考えると断念せざるをえないという,わが国の医師と同じ悩みに直面することになるからである.結局,現在のところ技術移転のため開発途上国を訪問することが可能な獣医師は,出張で行くことができる公務員獣医師や大学教官及び余暇を有効に使うことができる定年退職後の獣医師といったことになる.しかし,酪農現場での「一般臨床技術の移転」という面を考えると疑問が残る.
 6.NOSAI獣医師が国際協力できる環境づくり
 NOSAI家畜診療所にとって,長期間にわたり獣医師1名がいないということは問題が大きい.すなわち,NOSAI獣医師が長期間にわたって開発途上国に行くとすると,家畜診療所は1人減で対応するか,アルバイトを雇うかということになり,理事者及び家畜診療所の同僚の協力(同意)を得る必要がある.このため,NOSAI獣医師の国際協力のためには,継続的に送り出せる体制整備が必要である.NOSAIは農業災害補償法に基づく組織であり,多額の税金が投入されている制度であるが,ただ単に組合員のためにある家畜診療所ではないはずであり,社会貢献,社会的使命を果たすといった面も重要である.逆にいえば,NOSAI家畜診療所は団体診療を行っていることから,組織として動ける面もある.このため,組織同士として,日本獣医師会や全国農業共済協会が窓口となり,JICAなどに対してNOSAI獣医師の国際協力への橋渡しができないであろうかと考えている.
 7.お わ り に
 今後はもう少し長期間滞在して技術移転に当たる必要性を感じてきたことから,平成16年3月末,私は定年まで4年残して34年にわたるNOSAI獣医師にピリオドを打ち,JICAが行っているベトナムの国立獣医学研究所強化プロジェクトの専門家としてハノイに行き,一般診療及び乳房炎防除対策に係る技術移転を行うこととなった.
 私自身も,微力ではあるが開発途上国での技術移転をとおして,NOSAI獣医師の国際協力への架け橋となることができればと考えている.


† 連絡責任者: 安里 章
〒069-0813 江別市野幌町80-11 コミニティ舘2-B
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