意見(構成獣医師の声)

海外に残された軍馬を思う

木原滋陽(大分県獣医師会会員)

  第2次世界大戦はすでに過去のものとなりつつあり,参戦した者も年々減少して参戦した軍馬に思いを至す者は少い.東京大学の林 良博教授は「学術の動向2004―3」に20世紀後半の50年間に多くのものを失ってしまった.第2次世界大戦で雇用された何十万頭の馬たちは一頭たりとも帰国することはなかったと記述しておられる.
 このように軍馬を最もよく知る者は,旧陸軍獣医官であった私達である.従って軍馬のことを語るとともに動物愛護週間あるいは敗戦記念日に軍馬を追憶する企画を考える責任もある.
 以下私と軍馬との関係の一部を紹介して参考に資したい.戦前北九州小倉に野戦重砲兵連隊があり約千頭の軍馬が保管されていた関係で小倉城内の八坂神社に隣接する地に軍馬慰霊の碑(軍馬忠霊塔)が建立されている(その隣にはすべての馬を慰霊する「生馬神」が祀られている).この野戦重砲兵六連隊は支那事変勃発とともに軍馬1,400頭編成で北支に派遣され,北支各地を転戦し,敗戦後北支河南省許昌に集結し,遂次帰国したが.一方,軍馬は将兵以上の辛苦に耐え,或は銃砲弾に,或は病魔に斃れていったものや生存したが敗戦とともに國府軍に渡された.彼の地は青草茂る日本と異なり,少量の粟桿,小麦桿のみの飼料環境であり飢餓と病魔に死亡したことであろうと哀切の念が年とともに高まる昨今である.軍馬との別れに際し君らがみせた悲しみの瞳や一声の嘶きが今日なお脳裏を去来する.8月25日が近づくと夜目がさめては涙ぐむ日も多い.
 泰環,郡陽,隊営,泉花,膳石,勝為,福安,北勇とそれぞれの馬名が浮かんで来る.
 君達と過ごした4年間苦楽をともにした日々が思い出される.洛陽への強行軍途中敵機に空撃を受け多くの死傷が出たこと,泥濘の悪路,山津波,地雷等により僅か7kmしか進めなかった日のこと.曹張鎮では自分の食事を盗食された泰環号等,復員の際に秘かに持ち帰った1,400頭の軍馬名簿を捲るたび,さまざまな馬の想い出がよみがえる.
 このように従軍した多くの愛馬のことを思い出すにつけ鎮魂碑の建立や鎮魂行事が全国的に行われる日の実現を期待したい.

軍馬忠霊塔 生 馬 神


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