「診療室」という題目であるが,はっきり言って診療はほとんどない.
仕事は注射もできる飼育員といったところである.とは言っても,病気を出したり死亡した場合は獣医の責任となるので,プレッシャーがかかる.
佐渡トキ保護センターに勤務して13年が過ぎたが,その間,多くのトキを事故や病気で死なせてしまった.2003年10月10日早朝には,とうとう日本産最後のトキ「キン」が死亡した.36歳を過ぎて高齢ではあったものの,13年間家族同様に飼育してきた動物が死ぬのは言葉では言い尽くせない.日本産のトキは絶滅したが,中国から導入したトキの繁殖が軌道に乗り,ようやく39羽にまで増えた(平成16年2月現在).人工孵化・育雛の技術には自信を持てるまでになったが,今後は増えたトキを野生に返すという仕事が重要になってきている.
自然保護の象徴としてトキやコウノトリが有名になり,コウノトリでは2年後に試験放鳥が計画されている.一方,トキの数は増えたが,血統的に同じ個体ばかりで,遺伝的な多様性がなく,今の状態では野生に放すことができない.中国のトキとの交流が必要になってきているが,なかなか交渉が進んでいない.また,野生に再導入といっても,元々中国のトキを日本に放鳥することについては議論がある.ミトコンドリアDNAの解析では0.0625%の違いがみられただけで,ほぼ同一種であると認められたが,放鳥した場合,はたして昔の日本の野生トキのような行動をとるのか,不明である.獣医技術のほかにも,遺伝学や遺伝子解析,さらに動物行動学などを勉強しなければならず,頭が痛い.
野生復帰といっても,ただ放鳥すればよいというだけでなく,難しい問題を多く抱えている.まず,環境の問題がある.トキが野生で飛んでいた昭和40年代の環境に戻せばいいのだが,自然の破壊は簡単でも,回復には何倍もの時間と「トキは金なり」と言われるように金がかかる.また,農業も経済優先になって,人の心も変わってしまった.町おこしや観光側からは早急に対応を迫られ,農業側からは農薬が使用できなくなると反対の声もある.ますますプレッシャーがかかる.ストレスがたまる.
たとえ放鳥の環境が整っても,野生で生きていけるようなトキを育てる必要がある.今までのような孵卵器で孵化させて人間が育てた鳥では無理であろう.しかし,現在の飼育ケージの中では親が雛を育てる自然繁殖には成功していない.野生復帰への第一段階として,期待が大きく,プレッシャーがかかっている.
一方,トキの側からすれば「トキは野生復帰の夢をみるのか」と考える.個人的には,たぶん見ないと思う.鳥は自由になりたくて空を飛ぶ訳じゃない.生きるために飛ぶ.飛ぶということは想像以上にエネルギーを使う運動で,餌が十分にあり,外敵などがいなければ,無駄には飛ばない.そんなことを人前で言ったら「おまえは野生復帰に反対なのか」と怒られた.言いたいことも言えず,ストレスがたまる.
環境とか自然保護というと,漠然とした問題であり,なかなか理解できない.養老 猛氏が本で述べているように,自然とは「ああすればこうなる」というものではない.本来,トキは自然であるが,飼育や繁殖さらに治療でさえも,こうなると思ってやったことが裏目に出ることも多い.たとえば,繁殖にしても試行錯誤の連続であった.中国からペアが来た当初は,餌をやりすぎて過肥になり,次々と無精卵を生んでしまった.頭にきて,溶き(トキ)卵にして食べてみた.味は….まったりとして,まずかった.話はそれたが,結局,トキの野生復帰は根気と忍耐,努力しかない.それから,プレッシャーやストレスに負けない強い精神力が必要である. |