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![]() 三塚先生は,日本獣医師会顧問として,また獣医師問題議員連盟会長として,長年にわたりわが獣医界の発展のためにも多大に尽力され,特に獣医師法改正・獣医療法制定の実現等,獣医事の向上,発展にその手腕を遺憾なく発揮されたことが特筆されます. 先生は,宮城県小牛田で生誕,小牛田農林学校卒業後,地元馬産地の関係もあり,獣医師を志して東京高等獣医学校(現日本大学生物資源科学部獣医学科)に進学され,獣医師免許取得後さらに早稲田大学に入学されました. 早稲田大学卒業後,三塚先生は,政治家たらんと欲して宮城県議会議員を経て1972年,衆議院議員選挙に出馬,初当選以来14回の当選歴を重ね,1985年,中曽根内閣の運輸大臣としてあの有名な国鉄の分割民営化に改革の手腕を発揮され,以来政界の雄として1989年,宇野内閣で外務大臣に就任,また故安倍晋太郎元自民党幹事長の後を受けて清和会の代表に就任して一大派閥の領袖になられましたが,1991年の自民党総裁選挙では宮沢喜一氏に惜敗. しかしながらその後,自民党政調会長,幹事長を経て1996年,橋本内閣で大蔵大臣を務める等,獣医師出身の政治家として稀にみる政界の大御所として長年にわたりその重任を果たされてきましたが,平成15年11月の衆議院議員選挙では出馬せずに潔く政界をご勇退されました. ご勇退後間もない本年年明け早々に奥様が他界され,その約3カ月後,まさに奥様の後を追うようにして三塚先生もご逝去されたのであり,行年76歳,まことに残念至極のことであります. 祥徳院殿濟國博道大居士・故三塚 博先生に改めて心から深い感謝と哀惜の念を捧げ,ご冥福を祈る次第です. |