構成獣医師の声

保健所長職務の在り方に寄せて

池本卯典(日本獣医畜産大学学長・東京都獣医師会会員)

  先般発刊された医事新報(4148号)に,保健所長職務の在り方に関する検討会の最大のテーマは,保健所長の医師資格要件の是非論で,「優秀な人材を広められるようにすべきだ」として廃止を求める自治体関係者や法学者らと,「国民の安全確保のため医師である必要がある」として存続を主張する医療関係者との間で対立の構図は解けず,議論は平行線を辿った.と記載されていた.
 獣医師や獣医学専攻学生にとって,保健所など公衆衛生関係への就職は必ずしも好ましい職種とは理解されていないようである.その理由のひとつに,「将来展望に欠ける人事システムがあるのではなかろうか」と心配している.公衆衛生に係わる職種,とりわけ保健所は人の保健,地球環境の保全,生物の共生などにとってきわめて重要な戦略基地であり,有能な多数の人材の志望を願ってやまない.この機会が,問題解決の端緒になれば幸いと考える次第である.
 ついては,獣医師と公衆衛生との関係及び保健所に勤務している獣医師の実態等2・3のデータを示させていただきたい.

1.医師法,歯科医師法,薬剤師法,保健師・助産師・看護師法及び獣医師法等と公衆衛生の関係
 上記の職業と身分に係わる法律には,いずれもその第1条に,「公衆衛生の向上をはかることを目的とする」と定めた条文が見当る.法律において定める国家試験と公衆衛生の関係は,次のようである.
・医師法第9条は,「国家試験には医師として具有すべき…公衆衛生に関する知識及び技能について行う」と定めている.
・獣医師法(第10条)は,「国家試験には獣医師として必要な…公衆衛生に関する知識及び技能について行う」と定めている.
・歯科医師法(第9条)は,「口腔衛生について知識及び技能について行う」と定めている.
・薬剤師法11条は,薬剤師国家試験に公衆衛生の試験を行うことを定めていない.また,施行規則においても定めていない.
・保健師・助産師・看護師法は,国家試験に公衆衛生を課すことを定めてはいないが,施行規則第22条に看護師国家試験に公衆衛生を課すことを明示している.

 以上のように,国家資格に係わる法律において,国家試験に公衆衛生を課すことを定めているのは,医師法及び獣医師法ではなかろうか.
2.地域保健法と獣医師の関係
 保健所には,医師・歯科医師・薬剤師・獣医師・診療放射線技師・臨床検査技師・管理栄養士・保健師等,その他保健所の業務を行うために必要な職員を置くと定めている(施行令第5条).
 平成13年度末現在における保健所の常勤職員数は,30,072人(国民衛生の動向:2003年)であり,その保健所に勤務する獣医師は,3,759名(家畜衛生週報No. 2762:2003年)である.したがって,獣医師は保健所勤務職員の約10%強を占めているといえよう.
3.感染症法,BSE法等公衆衛生関係法規と獣医師の関係
 狂犬病予防法,感染症法及びBSE法等,公衆衛生と関係の深い法律にも,獣医師の責務は定められている.いずれにしても,獣医師の職務は,動物を対象とした獣医学的対応であるが,その法益はすべて人間であり,これらの法における獣医師の職務の究極は,人間の保健と安全確保にあるといえよう.したがって,保健所に勤務する獣医師は動物の保健医療を通じて,人間の公衆衛生に貢献しているといえるのではないだろうか.
4.国及び都道府県職員として公衆衛生に携わる獣医師
 国及び自治体等の公衆衛生に携わる獣医師数の概略は以下のようである.
・国家公務員82名(内訳:行政機関56名,試験研究機関26名)
・都道府県職員3,759名(内訳:保健所3,104名,行政機関453名,試験研究機関202名)

 上記のように,国家及び地方公務員として,公衆衛生に携わる獣医師は,届出獣医師総数30,723人の中3,841人(14年12月31日現在)を占めており,獣医師総数の約10%といえよう.
5.獣医学部における公衆衛生学教育の理念と実際
 獣医学部の教育年限は,医学部及び歯学部と同様に6年制である.
 教育科目としての公衆衛生学は,4年及び5年次に講義3単位,実習4単位を必修科目として課している.加えて,必修科目として獣医衛生学を,講義2単位及び実習1単位を修得させている.
 日本獣医畜産大学の獣医学部における公衆衛生学の教育目的は,獣医学領域における種々の方法論を駆使して,社会を構成する人々の疾患を予防し,精神的にも肉体的にも健康な生活を保持・増進するための医科学であり実践であるとし,人を取り巻く疾病・食品・環境・行政などに関わる幅広い課題がその対象になる,と定めて教育を推進しているところである.
6.国立医療保健科学院における獣医公衆衛生教育
 厚労省は,獣医公衆衛生学の必要性をいち早く察知し,かって国立公衆衛生院においては,獣医部が設置され獣医公衆衛生全般にわたる教育を実施してこられた.
 しかし,昨年,国立公衆衛生院は,国立医療保健科学院に改組され,新しく組織された医療保健科学院においては,食品衛生,食肉衛生検査,食品衛生監視指導等の課程が特別課程として置かれ,獣医学領域における公衆衛生教育を実施している.
7.お わ り に
 日本の公衆衛生業務には,前記のように約4,000人の獣医師が就業しているが,獣医師には医療職に適用されている給与表に相当する給与基準すらないのが実情であり,各自治体等によって格付けや給与表の適用は異なると聞いている.国民の保健を担保する医師や医療技能の重要性は十分に認識している.しかし,資格主義を尊重するあまり,有能な人材の活用を過ることは,国策に副うことにならないと思う.保健所に勤務する獣医師にも一定の条件を設定し,それに適った獣医師には,保健所長への道を拓いていただくよう切望する.
 以上の趣旨を,昨年11月13日,「厚生省保健所長職務の在り方に関する検討会」の座長宛に私信として送り,委員会からは受領の知らせをいただいた.
 昨今の報道によると保健所長の資格基準は改正される気運にあるといわれている.

 

【会報編集発行者から】
保健所長の医師資格要件の見直しについて
 保健所長の医師資格要件については,地方分権改革推進会議等より,保健所長の医師資格要件の廃止を求める要望等が出され,平成15年3月25日から平成16年3月4日まで合計10回にわたり,厚生労働省に設置された有識者等からなる「保健所長の職務の在り方に関する検討会」において議論が行われ,平成16年3月31日に報告書がとりまとめられた.
 今後,厚生労働省においては,獣医師資格者を含め,「医師と同等またはそれ以上の高い専門性を有する者」に対し,例外を認めることとし,地域保健法施行令の見直しが次により行われることが決定された.
1.見直し理由
 近年,健康危機管理への対応を始め,地域の安全・安心の拠点としてより高い管理能力が保健所に求められており,今後より高い水準の保健所長を確保することを目指す.そのような保健所長医師を確保するために,公衆衛生医師の養成及び確保に積極的に取り組むが,そのような努力を行っても公衆衛生に精通した適切な医師が確保できない場合には,以下の条件の下,例外的措置として,医師以外の者を保健所長とすることを可能にする.
2.見直し概要
(1) 医師以外の者とは以下の[1]〜[3]を満たす者をいう.
[1] 公衆衛生行政に必要な医学的専門知識に関し医師と同等またはそれ以上の知識を有する技術吏員
[2] 一定期間以上の公衆衛生の実務経験
[3] 一定の養成訓練の課程(国立保健医療科学院の保健所長用1年コース)を修了
(2) 地方公共団体が医師確保に努力したにもかかわらず確保ができない場合に例外を認める.
(3) 例外の期間は,おおむね2年程度とする.
(4) 医師を保健所の職員として必置する.


† 連絡責任者: 池本卯典(日本獣医畜産大学)
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