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黒沢信道†(北海道獣医師会会員) |
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北海道は,その面積から言っても,また野生動物の数や国内的に希少な動物種の多さから言っても,他の地域に負けない「自然と野生動物の宝庫」であろう.近年は北海道でも人間の生活域が広がり,本当に原生の自然環境が残されている場所は限られるようになってきた.しかし日本においては,その自然のスケールの大きさは魅力的である. 私自身は獣医業の傍ら,野生動物を観たりして単に楽しんできたのだが,ここ数年というもの風向きが変わってきた.獣医師が産業動物や伴侶動物,実験動物などの領域から,さらに野生動物にまで守備範囲を広げなくてはならない状況になったのである.私のように野生動物に関わることが好きな変わり者は「我が意を得たり」と喜んでいるが,実際には多くの獣医師あるいは獣医師会は,その対応のために新たな努力を求められることも多い.この状況は他の都府県でも大差はないと思うが,何かの検討材料になればと思い,北海道の現状を私見も交えながら報告する. |
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1.従来からの対応 北海道内では,毎年2,000件前後の野生鳥獣の保護収容があると言われていた.これは保護収容に係わる行政である北海道庁内で以前から言われていた数字である.もちろんこれは行政に届出のあったものからの推計であり,把握しきれていない保護収容例を含めれば,実数はこれよりもずっと多いと考えられる. 北海道には,環境省が都道府県に設置を求めている「鳥獣保護(救護)センター」はない.行政に届けられた傷病鳥獣に関しては,道庁(実働としては各支庁)が対応し,小さなものは役所の廊下で,あるいは鳥獣保護員の協力や,個人的に運営されているボランティア救護所の協力を得て,収容や治療を行ってきた.道内には野生動物救護に関する先駆者ともいうべき獣医師がおり,独自の努力を続けてこられたのはご承知のとおりである.また道内には4つの公立動物園(札幌円山,旭川市旭山,おびひろ,釧路)と,その他いくつかの野生動物飼育施設があり,そこへ搬入される傷病鳥獣もかなりの数になる.しかしこれらの対応は,組織的に行われていたわけではなかった. |
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2.新しく始まった救護システム 近年とみに自然環境や野生動物に対する住民の意識が高まってきたことで,行政内にきちんとした救護のシステム作りが求められるようになった.そこで北海道は平成7年度より,傷病鳥獣の取り扱いに関する新たな取り組みを始めた.北海道獣医師会の協力を得て傷病鳥獣の治療を行うというシステム作りである.その後2年の試行期間を経て,平成9年に「傷病鳥獣保護ネットワーク事業」を立ち上げ,現在にいたっている.それ以前にも,道内にある獣医学系大学の動物病院等に治療の協力を要請した時期もあったが,恒常的に受け入れを行うことは難しかったと思われる. 北海道の行う「ネットワーク事業」は,受け入れ・治療施設として「指定診療施設」と動物園等(公立動物園・協力機関)を掲げている.指定診療施設とは,既存の動物診療施設で野生鳥獣の受け入れを表明したところであり,これらはほぼすべて北海道獣医師会会員の施設であることから,業務委託の窓口は北海道獣医師会に統一された.北海道としては傷病鳥獣保護事業に関して,北海道獣医師会との間,及び各動物園との間でそれぞれ委託契約を結んで事業を行っていることになる.各動物園における保護活動については私は詳細を把握していないが,道内には広尾町と紋別市に海獣の飼育施設があり,ここでもアザラシ等の収容・野生復帰を行なっていることは特筆すべきことかもしれない. また環境省が保護増殖事業を立ち上げているシマフクロウについては,傷病個体は釧路湿原ワイルドライフセンターへ,同じくタンチョウについては保護増殖事業者である釧路市動物園へ搬入されることになっており,通常は獣医師会の指定診療施設が扱うことはない. 北海道獣医師会ではこの業務の受託を機に,新たに野生動物部会を創設した.部会の委員には行政,大学,動物園,現場の獣医師などが名を連ねており,ネットワーク事業の遂行に関することはもとより,野生動物の管理に関することなどを広く議論している.さながら獣医師が新たにカバーするべき分野の問題を先取りしている感さえある. |
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3.実際の活動と問題点 さてシステムの概要はできたが,獣医師会及び受け入れ診療施設の業務は,どのような内容になったのだろうか. 野生動物救護には,いくつかの大切な要素があると思われる.ひとつはおもに獣医師が関わる「診断・治療」という部分である.またもうひとつの大切なものに「飼養・リハビリ」という分野がある.この他にも,発見者である住民との窓口業務,捕獲や輸送の対応,予後判定や放野というように,それぞれ大切な仕事がある.これらがすべて揃って,初めて救護活動が順調に進むようになると考えられる. 診断・治療の分野では,獣医師の知識や経験は十分に生かされているものと思う.各診療施設では,ふだん接することの少ない野生動物だけに,種類の見分けやその動物がどのような生態をもっているかなど若干の知識は必要であるが,これらは野生動物に詳しい人々の協力で,何とかなることであろう.こと動物医療技術という狭い範囲に限れば,特に心配はない.また北海道では2年前より,各支庁の環境生活課に動物管理係として獣医師が配置されている.予後判断や各方面との調整といった点で,行政内の獣医師の存在は非常に大きいものがある. もっとも問題なのは,治療が済んでから長期飼養やリハビリを行う施設である.実はこれが救護の結果を左右する重要なステップであり,一般的に言って治療よりはるかに時間と手間のかかることが多い.しかし残念ながらそのための施設が未整備なのである.もちろん指定診療施設では,治療設備や入院施設はあっても長期間の飼養が困難なことは明らかなので,ネットワーク事業においても「必要な応急治療や短期の収容を行う」と位置付けられている.「長期の治療や療養を要す場合」には動物園等に持ち込むことも触れられているが,動物園とて野生動物の収容は本業ではなく,飼養するスペースにもかぎりがあろう.動物園には財産である飼育動物がいるので,もちろんそれが優先であるし,万が一にもそこに病気などを持ち込むことは許されない. その他の受け皿としては「協力機関」「ボランティア等による長期飼育」があげられているものの,その制度化には時間もかかり,思わぬ問題が派生することも予想される.重要な部分ではあるが,残念ながらいまだに対応が完成されていないということができよう.現状では,指定診療施設が独自でスペースをひねり出したり,他の方法を考えたりという状況である. |
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4.検討しなければならない課題 このように一部未整備ながらもスタートした傷病鳥獣保護ネットワーク事業は,北海道獣医師会においては比較的順調に進んでいる.指定診療施設等から獣医師会に報告のあった収容数は,発足時より徐々に増加して,平成15年度には111病院,1,164件(鳥類,哺乳類合わせ)となっている.持ち込まれるルートは,市町村役場や各支庁などの行政経由,あるいは発見した市民が直接持ち込むなどのケースがある.これらの診療施設に対して獣医師会では,原材料費程度の金額を助成金として各診療施設に配分している.この金額は1件あたりの額を仮決めしており,実際には受託予算の範囲内で決められる.また指定診療施設として名乗りをあげていない病院にも持ち込まれることがあり,これについても報告があれば助成金を支給している. 収容された野生動物の内訳は,平成15年度では哺乳類がエゾシカ,タヌキなど47頭,鳥類が1,117羽であった.鳥類のうち最も数が多かったのはスズメで,次いでハト類であった.ハト類には在来種であるキジバトとアオバトのほかに,外来種であるドバト(伝書鳩の野生化したもの)が含まれていると思われるが,現場では区別されていないことが多く,雛の場合の見分け方は知識がないと難しい.また,ワシタカやフクロウも収容数が多くなっている.実際には識別のつかないまま手当てされている鳥類も多く,統計をとるにはあまり意味のない集計となっているかもしれない. このような現状下で,野生動物部会で常に議論されていることがいくつかある.一番議論の的になるのが,対象動物種をどの範囲にするかということである.野生下の動物といっても,すべてが在来の野生動物というわけではなく,外来種も含まれていることがある.野生動物保護の本来の趣旨から言えば,外来動物は救護の対象としないことが望ましいと思われる.しかし現場の獣医師は動物愛護の模範となるべき立場におり,傷ついた動物を目の前にすれば,在来種外来種の区別なく助けようと努力することのほうが普通であろう.しかし外来種は本来の生態系を損なう原因となるので,回復してもふたたび放野はしないという姿勢が徹底されるべきである. さらに,在来動物のうちにも駆除対象となっている動物がいるという問題がある.哺乳類ではエゾシカ,鳥類ではカラス類が代表例であるが,これらも傷病動物として持ち込まれることが少なくない(図1).これらをどう扱うかは,さらに難しい問題である.奨励金を出して駆除しているのと同じ種類の動物を,行政から委託された事業の一環として治療することに矛盾はないであろうか.しかし動物の命は助けるべきであるという意見も,当然ながら強い. また,数年前より環境省が国内希少動物種を,傷病対応も含めて管轄することとなった.このため北海道が委託している事業から,これらが外れるという問題も発生してきている.しかし現場の診療施設では,持ち込まれたものが何という種類で,国内希少動物種に指定されているかいないかということまで正確に識別できていないことも多いという実際上の問題がある.これらいくつかの問題を抱えながら,保護ネットワーク事業を進めているのが現状である.
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5.獣医師会のさまざまな取り組み さて傷病鳥獣を受け入れる側の獣医師には,熱意はあっても経験や知識が十分でないという問題もある.指定診療施設にしてもそうである.そこで北海道獣医師会は,会員の技術向上のために救護技術の講習会を行なっている.北海道を中心に活動している「野生動物救護研究会」や地元の獣医師会会員の協力を得て年に1〜2回開催するこの講習会は,毎回盛況で,確実に会員の技術向上に繋がっている(図2). 一方これらの活動を通じて,新たな面での貢献もあった.そのひとつが鳥類の鉛中毒防止への取り組みであろう.北海道内で近年増加して問題となったワシ類の鉛中毒は,獣医師会会員の活動から発見されたものであった.野生動物部会ではこの問題を重大に捉え,議論を経て北海道獣医師会として北海道知事あてに防止対策を要請した.現在は徐々にその成果が出つつある.これは,獣医師の活動が環境問題への取り組みを提起した好事例となった. また傷病野生鳥獣保護センターの設置も,北海道に対して再三要請している.これも獣医師会が委託業務を通じて成果を上げていくことで,実現に向けて動き出す可能性もある.ただし施設に関しては,私自身は十分機能するためにいくつかのポイントがあると考えており,単に収容施設ができるだけであると,野生動物の「姥捨て山」をつくることになるのではないかと危惧している.そのポイントとは,獣医師を配置すること,施設の方針を明確にすること,近隣の獣医師との協力関係構築とボランティアの組織化,事故・病気の発生防止への取り組みにつなげるために啓蒙活動が行えること,などである. また平成15年度より,動物愛護法に対応する北海道の「動物の愛護及び管理に関する条例」に基づいて,北海道獣医師会の受託業務が「傷病鳥獣等保護委託業務」となり,野生動物に加えて,負傷や疾病で治療が必要な飼い主のいない犬猫等も含むことになった.私自身は,野生動物の救護活動は救護のみでは意味がないと考えている.そこを出発点にして野生動物の問題を理解し,生態系の保全と向上を目指すビジョンがあるべきだと思う.その観点からすると,野生動物と犬猫等を一緒に扱う場合は,単に動物の愛護活動にとどまってしまうことが危惧されるが,どうであろうか.しかし一方,近年では半野生化したペット類が野生動物を脅かしている状況も報告されている.そうなると野生動物の保護や管理に飼育動物の管理問題も関わってくるので,獣医師は野生・飼育動物の区別なく関与する必要があるとも考えることができる.ならば,それはそれでよいのかもしれない.
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6.今後への期待 さて,北海道には公設の鳥獣保護センターはないと書いたが,実は平成14年,苫小牧市に鳥獣保護センターが開設された.これは環境省が設置したもので,運営は地元の苫小牧市が行っている.ここには年間200件ほどの傷病鳥獣が持ち込まれるようになったと聞いており,常勤の獣医師スタッフはいないものの,パート勤務及びボランティアで獣医師が関わっている.また地元の動物病院とも連携をとっている.ここでは傷病鳥獣の受け入れのほかに,市民向けの救護講座を開催したり,学生実習を受け入れたりの試みを始めている.こういった中核的施設の活動が起爆剤となり,野生動物救護の真のネットワークが形成されることを期待している.行政の造るセンターのみで救護活動が完結するとは,到底考えられないからである.また同時に,救護活動は獣医師のみで行なえるものではなく,多くの市民との協働で進めていくべきものであろうと思う. 思い起こせば,平成9年1月に島根県沖の日本海でタンカーの沈没事故が発生し,重油で汚染された多数の海鳥がリハビリのために北海道まで運ばれてきた.日本野鳥の会の施設内に急遽設けられたリハビリセンターで,獣医師を含め多くのボランティアが自発的に集まり,活動した.これは奇しくも保護ネットワーク事業が正式に立ち上がる直前であり,このときには行政も北海道獣医師会もどのように対応するか迷ったのは事実である. 今後もこのような突発事故が発生した場合には,既存の施設やシステムでは対応不能となることが予想される.このような時にこそ,獣医師や獣医師会の技量が試されるのではなかろうか.また獣医師は,そこまで社会に期待されている存在である. 私自身も,どのような状況下でも自信を持って働けるよう,心構えと技術の研鑽は忘れずにいたいと思う. |
† 連絡責任者: | 黒沢信道(釧路地区NOSAI弟子屈支所) 〒088-3213 川上郡弟子屈町桜丘3丁目10-13 TEL 01548-2-2571 FAX 01548-2-4897 |