訃 報

本会顧問 山中貞則先生の逝去を悼んで




 2月20日本会の顧問でおられる山中貞則先生が逝去されました.
 長きにわたる本会へのご指導に対して,深く感謝と敬意を表するとともに,先生のご冥福を心よりお祈り申しあげます.
 なお,本会五十嵐会長が月刊「畜産コンサルタント」誌に寄稿された追悼文を別記のとおり掲載します.

 

【別 記】
 畜産界の大恩人山中貞則先生を偲び
日本獣医師会長 五十嵐幸男
 2004年2月20日山中貞則先生ご逝去の訃報を中央畜産会より受け,唯々残念無念と同時に巨星消ゆるとの感を強くし,心から哀悼の誠を捧げる次第です.
 山中先生は,政界において沖縄本土復帰の恩人であり,消費税生みの親として偉大な存在であり,畜産,獣医界にとっても常に大所高所からのご指導を賜りました.
 ことに昨今,口蹄疫,BSE,高病原性鳥インフルエンザ等の発生により畜産界が重大な時代に突入し,食の安全性が国民の関心を深めている時代,山中先生のご指導にまつところ大であった折り誠に残念至極です.
 日本獣医師会といたしましては,1990年2月より1993年に至る間「近未来における獣医業のあり方」に関する審議会長として広視野からの意見を集約し,獣医師の社会貢献のありように関しての貴重なご提言をいただき,今日,このご提言を基として獣医界の発展に努力を傾注しているところであり,ご恩は生涯忘れることができません.また,当会の総会にも積極的にご臨席賜り常に適切なご助言,ご指導をいただいて参りました.
 一方,先生は家畜の生産技術として重要な家畜人工授精の発展にも深い関心と理解を示され,家畜改良増殖法による家畜人工授精師制度確立以来家畜人工授精師の技術的,社会的地位向上にも特段の関心を示され,1966〜1969年まで日本家畜人工授精師協会副会長,1969年以降会長として長年にわたりご活躍,家畜人工授精師制度検討会の推進や日本獣医師会との懇談会を進め,特に日本獣医師会と日本家畜人工授精師協会との間で長年にわたり問題となっていた家畜人工授精師の業務内容に直腸膣法による授精と直腸検査による妊娠鑑定を含めることに反対する日本獣医師会側と,その責務を遂行するためには直腸膣法による頸管深部注入をはじめ授精適期を把握するために行う卵巣の確認など一連の授精業務が必要であるとする日本家畜人工授精師協会側との対立であり,両者代表すなわち日本獣医師会長と日本家畜人工授精師協会長との間において数次にわたる会談をくり返し,遂に1978年5月13日農林省畜産局長以下関係者を交え,椿・日本獣医師会長(当時)と山中・日本家畜人工授精師協会長との間の協議の結果,懸案事項も円満に解決し,今日のように獣医師と人工授精師が緊密な連繋のもとに家畜改良増殖の事業が推進される時代となったのであります.山中先生は機会あるたびに「獣医師と家畜人工授精師は兄弟のごとく親しみ,協力して欲しい」と述べておられました.その後も山中先生は歴代の日本獣医師会長以外は顧問になっていない中で,特例として日本獣医師会の顧問に推戴され,関係者から敬仰の念をもって親しまれていました.
 私は,山中先生が日本家畜人工授精師協会長時代,葛原貫一氏(元小岩井農場長)とともに副会長職(1969〜1973年)を努めた当時から獣医師会役員に就任しての今日まで篤いご教導を賜り,折にふれて政界余話を拝聴することもしばしばあり,その中で,佐藤総理は人事の妙を得て人心の掌握する術に長じていた.その例として,総理官邸に竹を植えたのを見た中曽根議員が「総理官邸に竹を植えましたね」と申し上げると,佐藤総理は「君が官邸に入る頃竹の子が生えるよ」と話し,中曽根議員をよろこばせたことや,山中先生が佐藤総理大臣より沖縄長官の内示を受けた折,農林大臣を希望し一度は辞退して退室しようとするや,山中君,山中君とよばれ「君が沖縄長官に最適と思い頼むが受けてくれないか」と言われて受諾した経緯や,田中衆議院議長が某国の要人を議長席に着席させたことに関し,当時の野党から責任追求があり,中曽根総理大臣とともに護った秘話など坦々と話されたこと等印象に残っている.
 また,私の脳裡を離れない山中先生に関するエピソードに,1990年日本装蹄師会認定牛削蹄資格活用調査委員の立場で鹿児島県の牛削蹄が農協を中心に円滑に実施されている現状を調査するために鹿児島の和牛肥育農家を訪問した折,消費税批判を受け山中先生惜敗直後であったこともあり,老夫婦が涙ながらに「山中先生の落選甚だ残念かつ申訳ない.次回は必勝を期して戦う」と述べている姿に山中先生の地元民からの信頼の篤い実状を垣間みることができました.
 偉大な山中貞則先生も天の光となられましたが,日本の畜産のご加護を賜りますように,どうぞ安らかにお眠りくださいとお祈り申し上げ,筆を止めます.
 

平成16年3月17日 自民党葬祭壇