最近ある大学教授が書いた「『矛盾』が書けない大学生」という文章を読んだ.学生のレポートを読んでいて,「無純」という字に出会い,しばらく意味がわからなかったらしい.前後の文脈からこの学生は「矛盾」の意味で書いていたことを発見したという次第だ.この先生はやはり学生のレポートに「精心」という字を見つけて衝撃を受けている.ただしこの場合「精神」という字の誤字であることはすぐに分かったらしい.そして「精心」は誤字であるが,「無純」は誤字とは言えない,「矛盾」という字を知らなかったのだと断じている.「矛盾」を「予・盾」と書いたり,「矛循」と書くのは正確に再現できなかったにすぎないが,知らなかったとは異なるというわけだ.先生は,最近の学生の学力は“壮絶なまでに”低下していると嘆いておられた.しかしこれは学生だけの問題ではない気がする.
他人のことをとやかく言える身分ではないが,最近立派な社会人でも平気で誤字を書いたり,根本的に間違った言葉の使い方に出くわすことがある.ある局長が,論文の講義で黒板に「起章・転結」と書いて文章はキショウテンケツが必要だ,まず文章に何を書くか文章を起こす,次にその文章を…とのたもうたという有名な話がある.もちろん「起承転結」の間違いだ.ある課長補佐の文章に「司局」という文字があったのでこれは何だと聞いたら,「司法当局のことだ,こんなことを知らないのか」と逆に言われた経験がある.「司直」のつもりで書いたらしい.ちなみにこの課長補佐,「日常茶飯事」を「ニチジョウチャハンジ」と読んでいた.大臣まで務めた某政治家はパーテイー等で発足や発起人を「ハッソク」,「ハッキニン」と読んでいた.完全な間違いとは言えないかもしれないがなんとなく違和感がある.前記課長補佐を含めこのような人の訓話や訓示は申し訳ないがまじめに聞く気がしない.
われわれの領域で「解熱」と「下熱」を間違える人はまず居ないと思うが両者意味が異なる.「発赤」と「発咳」もへたな読み方をされると戸惑わざるを得ない.
昔イアン・フレミングのジェームス・ボンドシリーズの映画化第1号だったと思うが,原題ドクター・ノーが「危機一発・007は殺しの番号」として日本に紹介された.「危機一髪」をもじったものであるが,これはうまいと思った.ところが,この後試験やレポートに危機一発と書く学生が増えたという.本来の意味を知らなかったに違いない.「五里夢・中」や「短・刀直入」と書くのと同類だ.本来の意味を知らなければパロデイにもならない.
真意を正確に伝えるには正しい日本語を正しく使わなければならない.この文も意とする所を正確にご理解いただけたであろうか.
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