論 説

日本獣医師会の役割(小動物担当職域理事として思うこと)

岡本有史(日本獣医師会小動物担当職域理事)

 第60回通常総会議案書を拝見し,日本獣医師会小動物担当職域理事としてわが国の動物医療の現状を考え,私たちが社会に対して行うべき事業や,ここ数年来全国各地に存在する現況,諸問題についての展望と,その原因やその解決についての一案など,不勉強,愚考,非才の謗りをお許しいただき述べてみたいと思う.
 わが国の社会が激しく変化し始めた昭和40(1965)年代以降,高度経済成長の時代を経て核家族化が進み,多くの家庭でかつての大家族のような人と人との関係が希薄となり,生活の多様化,孤独化のために多くの人々は心の拠り所を失し心の癒しを求め,人の代わりとなってくれるペット動物を飼育する人や家庭が増えてきた.現代の少子高齢化の中でペット動物は単なる愛玩動物から“生活の伴侶(コンパニオン・アニマル)”として,人の代用的役割を担い,家族の一員として人と同じ空間と時間を共有するようになった.このため,小動物医療界は21世紀に即した動物医療の使命を求めて進化して行かなければならなくなって来ている.
 また,ここ数年来,動物医療に対し社会は,必要欠くべからざる職業としてその期待がますます強まっており,その期待に応える意味においても,基本に立ち戻り,不足しているさまざまな概念および倫理規範を確立し,社会のニーズの変化をいち早く捉え,新しい動物医療の知識・技術の吸収・革新,現在表面化していない社会のニーズと積極的に取り組み,社会との対話を通じてより良き活動の実現へと練り上げて行かねばならないと考える.
1.学校飼育動物委員会
 まず,今年度の新規事業として学校飼育動物委員会事業が挙げられてる.
 将来の日本を支える子供達の心の教育の一環としての学校飼育動物対策については,日本小動物獣医師会がここ数年来,全国的な活動を行っており,獣医師はもとより行政関係者,教育関係者,PTA関係者,多くの市民を巻き込んだ啓発活動が少しづつではあるが結果を出しつつある.しかし,全国的規模でみた場合,啓発活動はまだまだ不十分のようで,いまだに,何故獣医師会がこの事業に関与しなければならないのか理解し得えていない地方もある.この事業は,小動物開業者だけでは完成し得ない事業であることはいうまでもない.動物を飼育し,その教育的に有効な利用方法について,また,それに伴う関係法令に従って動物を正しく飼育する方法を児童に教えるとともに教員に正しい基礎的な知識を伝えなければならない.これは,飼育することの権利に伴って,各種の疾病に対する予防や動物への愛護・健康管理など責任を持って飼育することなど種々の義務があること,すなわちこの社会の中で動物を飼育する上での円滑化を図るための必須の条件を教育することが望まれる.現在の管理された清浄な環境の下,動物や生き物と切り離された生活を送る今の子供達にとって,学校で動物に触れる体験は大切である.生死の不思議さ,飼育管理の大変さ・難しさ,生命の貴さを学び,子供達の社会性や生きる充実感ばかりでなく,生態の違い,住み分け,共生といった貴重な自然の仕組みを体験するといったことは,子供達への心の教育を図るための事業であるはずである.
 しかし,家畜伝染病予防法だけを,錦の御旗にするだけの方策では無理を生じて頓挫することも危惧される.学校飼育動物に疾病(伝染病)が発生した際,最小限で最大の効果をあげうる対処が成されるよう獣医師,市民ボランティア,教職員,行政のすべてが知恵を絞って考えなければならない.児童が愛情を持って飼育してきた動物をただ単に法律で定められているとの事で片付けられることがあっては,この事業がかえって社会からの反感を買う結果となってしまいはしないだろうか.
2.狂犬病予防接種
 次ぎに,獣医師としての責務の中でも特に国民の生命を守るため求められる防疫対策として狂犬病予防注射事業がある.わが国における狂犬病は終息から45年以上が経過しているが,今なお世界中では4〜5万人の発症例があり,国際交流による大量の人や動物を含めた移動が盛んな現状では,いつ再上陸してくるか分からない.この事業は正しく国家的事業であり獣医師に課せられた使命である.この狂犬病予防接種事業が一昨年からは,従来の都道府県対応から市町村対応へと権限の委譲がなされたが,本来国家的事業であるはずのこの予防業務が,接種料金や実施方法など全国的に不統一な対応であり,いざ有事となった際には日本国民の生命を守ることができるのかどうか大いなる疑問を感じ得ない.この国家的公益事業がある地方において,スーパー診療所や勧誘診療《自己の開設する診療施設以外の遠隔開設地の臨時仮設地において,不特定多数の動物飼育者に対して新聞折り込み,または郵送などにより市町村の定めた狂犬病予防接種料金や近隣動物病院の診療料金より低額の料金である旨を表示したり,キャンペーン料金と称して勧誘・診療を行ったり,各種医療品の販売などを行う行為》と呼ばれる料金問題を中心として大揺れしているという事態があると聞くが,大変嘆かわしい事態であると思っている.
 これらの問題については,各地方獣医師会の絶え間ない地道な努力により問題は些か沈静しているかに見えるものの,新たな地域で同種の問題が発生したり,ペット関連企業などが開設する診療所への獣医師が勤務する問題,営利の追求と法的な逃げ道のみを理念とする経営コンサルティング会社の指導を受けた動物病院経営法などの実態はますます増えつつあることが現状である.法に触れなければ…とか,触れても罰せられなければ,何をしても….しかし,悪は悪,白は白であって白に近い灰色ではないはずである.日本獣医師会が,これらの事態をどのように受け止め,対処して行くべきか,日本獣医師会の職域担当理事として真摯に考えて行きたいと思っている.
3.身体障害者補助犬
 盲導犬,聴導犬,介助犬を総称しての身体障害者補助犬法が昨年10月より不完全ながら実施されたことはご周知のとおりであるが,獣医師で無ければ行い得ないアフターケアーについては,どのように関与して行けばよいかについては何の指針もないのが現状である.地方獣医師会が勝手に事業として捉えたり,意識の高い獣医師のボランティア精神に頼っている現状をみると,この法律に基づいて厚生労働省が認定した法人が多くの介助犬,聴導犬を認定し診療を求めてくるであろうに,受け皿である獣医師の団体にはそのガイドラインすらないのは大変恥ずかしいことだと思っている.
4.動物看護士
 今や,全国ほとんどの動物病院で獣医師の手足となり,動物の看護,病院管理に日夜働いてくれる動物の看護士の存在は社会に広く求められており,また,既成の事実として動物医療に貢献している.彼らは各地の専門学校で独自のカリキュラムで学んだ後,それぞれの専門学校が認定する資格を受け社会に出てくる.これこそ不統一の資格であり,動物の命を扱う仕事を行うのに雇用者(獣医師)の裁量にすべてが委ねられていることは真に恐ろしいことだと思う.専門学校のカリキュラムの中で生命を扱う者として動物医療の倫理への徹底した教育を受けていれば別であるが,もし雇用者が利益のみを追求する商人感覚である場合,倫理も獣医関連法規も知らず勤務していては,その命ずるままにしたがう従業員となってしまうことであろう.数種の団体が動物看護士をそれぞれの基準に則り認定しており,それはそれとして重要で必要なことであるが,これとても不統一な基準での認定であり,冒頭にも述べたように動物を家族の一員とし,動物に癒しを求める意識は今後も高まってゆくであろうことから,動物看護士の動物医療行為の範囲を定め,人の看護師と同様に国家資格またはそれに準じる国家認定を与えることが必要であると考える.
5.獣医学教育
 獣医学教育6年制が導入された教育目標の第一は充実した講座,教官の数,カリキュラムの充実など,質の抜本的向上を目指すことを目的として2カ年の延長がなされたはずである.臨床に即した臓器別(疾病別)教育,画像診断など,特に臨床教育の充実により国家認定を受けた獣医師が官民および臨床への進出を計ることによってより一層の社会的貢献がなされることが待ち望まれる.しかしながら,獣医学教育の整備に係わるソフトならびにハード面での労力,関係諸費用は莫大なものであり,整備・拡充の実現には大学の統廃合,教職員,地域のエゴ等多くの問題が存在し,遅々として改善が成されていない.実現にはまだまだ時間を要するのであれば,急を要し早期に実現しうる可能性のある講座として,また,これまで述べた動物医療における倫理面での諸問題の発生を防止する意味においても倫理・関係法規教育の拡充を最優先とされることはいかがであろうか.
 それとともに,獣医師会に入れば何をしてくれるのかではなく,獣医師として社会に何をすればよいのかを考え行動を起こす教育を要求したい.もちろん,先輩であるわれわれからも学生諸君への「獣医師の職域,獣医師の社会貢献の現状」など地方獣医師会,民間企業獣医師,公務員獣医師,共済獣医師,産業動物・小動物開業獣医師などの生の声を伝えることも重要であり,この課題については協力を惜しむものではない.
 獣医学への大いなる理想と動物愛護の心,高い教育水準を持ち,希望に燃えた今後のこの獣医業界を背負って立つであろう学生達に,いつまでもこのままの状況では,魅力のない業界として見放されるのも近い将来であろう.獣医学系大学,農林水産省,文部科学省,全国各地の獣医師会など多分野の機関と連携し獣医学教育への改革・改善に取り組んで行かねば成らない.
6.ホームドクターと専門医制度
 インターネット等を通じ動物の飼育,疾病,管理についての情報が一般飼育者にもどしどし流されており,自分の愛する動物の疾病についてもセカンドオピニオンを求める事も多くなりつつある.獣医学の進歩と飼育者の動物への意識の高まりも相俟って,一人の獣医師がすべての診療を行うには限界があり,今後,動物医療過誤による訴訟も増加するであろうことから,人の医療と同様に,ホームドクターの問題をリンクさせた獣医師専門医制度の検討を早急に行わねばならない.患者を取った取らなかった等の次元の低い意識を無くし,命を扱う者としてのプライドを持った獣医師でなければならない.法律が不十分であり,獣医師の倫理が唯一の拠り所である現状,開業許認可制度と動物医療法人の取得とを合わせた方策は検討に値するであろうと思う.節税のための法人化を名目に多くの動物病院が株式や有限会社の登録を行っている.このことは,企業診療所の否定を唱えるにはある意味で矛盾をしていることになる.動物医療法人と開業許認可は,不良企業診療所の斯界への参入を防止し,動物医療のレベルアップにも繋がるであろうし,さらにはペット業界への許認可制度へと繋がってゆけば,日本の動物医療および関連業界は世界に誇れるものとなれるであろうと考える.
7.獣医師道の高揚
 平成15年度事業計画の第1に,日本獣医師会定款第4条第1項に掲げる重要な事業として「獣医師道の高揚に関する事項」が掲げられている.
 動物医療は,基本的には人の肉体的・精神的健康を守ること,すなわち国民への福祉を目的としてなされる社会的行為である.このことから動物医療行為が,営利事業か,非営利事業かについて,議論が永年なされたが,農林水産省が動物医療は営利事業として結論付けた.これに伴い,動物病院経営が営利を目的とすることとなり,先述の諸問題が発生し,初期の小さな問題である時期に適切な対応が成されないままでいたため,次第に全国各地に拡大するとともに,次々と新たな問題が生ずることになった.
 このような事態の増加,地域への拡大を防止,改善する手立てとして大胆な提案を申し上げるなら,開業獣医師に係わる各種公共事業,たとえば狂犬病予防接種料金,学校で飼育する動物への衛生管理,保健衛生指導など学校獣医師への委託料金,介護犬への診療費等については,国・行政に対しこれらを国家的事業とし,公共料金と設定する働きかけを積極的に行うべきであると強く考える.診療体制や料金問題についてのガイドラインと統一マニュアルが定められ,全国一律化されれば,日本の何処においても等しく実施されることとなり公正取引委員会からの介入・指導を受けることもなくなるのであろう.
8.保健所法施行令
 保健所法施行令第5条の条文に保健所の業務に必要な職員として獣医師が明記されていなかった.昭和51年12月以後,“獣医師”のランクが“医師,歯科医,”の次ぎ“薬剤師”の下に獣医師が加えられることとなった.しかし,獣医学教育6年制獣医師が社会に送り出されてから20数年が経過し,獣医学系大学への進学者の学力が歯学を抜き,医学と同レベルの高さとなり,公衆衛生学,各種衛生学関連カリキュラムの履修が成されているにもかかわらずこのようなランク付けである.第5条を「保健所には,医師,歯科医師,薬剤師,獣医師,保健婦,…」を医師,獣医師,歯科医師,薬剤師,…とし,同法第4条(所長)についても「保健所の所長は,医師であって,…」を,「保健所の所長は医師又は獣医師であって,…」と改正されるのが当然であるべきではないだろうか.
 これらが改正・施行されてこそ,獣医師の社会的・経済的地位の向上と獣医界の更なる前進が計れるよう積極的な行動を起こさねばならない時だと思う.

 以上,各項目について,思い,考えを述べたが狂犬病防疫事業,学校飼育動物対策事業,身体障害者補助犬事業は国家的事業として対応をすべきであると考える.
 すべての国家的事業が国民に平等に還元され,今獣医師の求めていることに声に耳を傾け,先頭に立ち,日本の獣医界の方向性を示すことこそ日本獣医師会の仕事であると考える.日本獣医師会は全国を隈無く照らし,問題への対処,解決を実行し,正しい情報を素早く伝える大きな灯台であることこそが最大の事業である.
 そのことにより,各地方獣医師会や各種団体は足元を見つめた地道な事業を行うことが出来,これがすなわち国民の幸せに繋がって行くものと信じている.


† 連絡責任者: 岡本有史(岡本獣医科病院)
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